銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

銅像あるある その12

№12 銅像の写真が撮れない(2)

 

 銅像は屋外にいることが多いが、酸性雨の関係か、屋内に移転されることも多い。屋外にいるときは撮影がフリーのことが多いのだが、屋内に入ったとたんに「撮影禁止」となるケースが出てくる。東京文京区の森鴎外記念館は、建て替える前は鴎外の胸像が屋外にあったのだが、リニューアル後屋内で胸像がメインの展示に変わり、撮影が一切ダメになった。長野県の伊那市の信州高遠美術館では、「中村彜」の胸像が屋外から美術館内に移転された。美術館の受付でダメもとで頼んでみたら、ここの受付の人は対応がうまくて「撮らせてあげたいが、現在一般の客がいるので残念ながら…」と言われた。なんでも展示コーナーの奥の方に銅像がいるらしい…。

 確かに銅像も芸術作品なのだが、他人に見られてなんぼのものではないか?と思う。海外のものも屋外にでんと置かれているものが多い(というか、海外の美術館はよほどのものを除いて、館内での写真撮影が可であることが多い)。絵画はストロボ撮影などで絵具が劣化する(特に日本画は顕著)なので、撮影させないことに納得できる部分もあるのだが、銅像である。何とか改善の方向で考えてほしい。

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高知県編 その34

〇楠瀬喜多(くすのせきた) (1836<天保7>年~1920<大正9>年)

 婦人運動家。通称「民権ばあさん」。結婚をしたが、旦那と早くに死別、子供がいなかったために、彼女が戸主となった。しかし1878年高知県区会議員選挙で、戸主として納税しているにも関わらず、女性のため選挙権がないとされ、抗議のために税金を滞納、同時に県庁に抗議文を提出した。県が彼女の要求を拒否したため、内務省にまで意見書を提出した。その後自由民権運動を結びついて、区町村会法が作られ、高知市上町町会は戸主に限って女性参政権が認められた(その後改訂され認められなくなる)。

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 <楠瀬喜多>

場所: 高知市桟橋通4-14-3(自由民権記念館内)

竣工:

作者:

像高:

撮影時:2012年1月8日

説明:自由民権運動の発祥の地の一つ、高知市にある自由民権記念館内にある石膏像。館内の「自由大懇親会」と銘打った銅像群には、「植木枝盛」がいるのだけど、写真を撮った当時は気が付いていなくて、右の奥にちょこっといる感じですね…。 

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         ↑この辺の人が「植木枝盛」ですね…

 

〇仮本熊吉  (生没年不詳)

 撮った碑文が読めないが、地域の村長をやっていたらしい…

 

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<仮本熊吉>

場所: 高知県吾川郡いの町鎌田288-1(川内集会所)

竣工: 1936<昭和12>年7月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月8日

説明:石像である。

 

〇三谷泉水 (1894<明治27>年~没年はわからず)

教育家、政治家。旧大豊村の初代村長。高知県議会議員。

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<三谷泉水>

場所:高知県長岡郡大豊町高須231(大豊町役場)

竣工:昭和56年4月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:車で走っていて発見。大豊町役場の入り口わきに鎮座していた。

 

 

〇小原教應 (1883<明治16>年~1939<昭和14>年)

高知県出身の社会運動家。旧赤岡町光明寺の僧侶。地域の部落解放運動に尽力し、赤岡漁港の建設、婦女子の教育など多くの活動をした。孫に北野(ビート)武の妻幹子がいる。

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<小原教應>

場所: 高知県香南市赤岡町325-1(赤岡市民館)

竣工: 1989<平成元>年11月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:赤岡の街を流していて発見。えらいお坊さんだったし、孫がビートたけしの嫁とは…。

 

〇水原直馬 (1877<明治10>年~没年は不詳)

園芸家。大正年間この地に下山園芸組合を設立、その後安芸郡園芸組合連合会副会長などを務める。 

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<水原直馬>

場所: 高知県安芸市下山356(JA安芸自動車事故処理サービスセンターそば)

竣工: 1960<昭和35>年11月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:この像も走行中に見つけた。ある場所は正確には「JAあき下山出張所」と呼ぶべきかもしれない。

 

〇西岡正勝 (1896<明治29>年~1967<昭和42>年)

園芸家、政治家。下山園芸組合副理事長から村会議員、市会議員を歴任。 

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<西岡正勝>

場所:高知県安芸市下山456(国道55号線沿い。下山小学校の入り口付近)

竣工:

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:この像も走行中に見つけた。国号55号線沿いは銅像銀座であった。

 

〇川田耕太郎  (生没年不詳)

政治家。明治41年から50年にわたって田野町長の任にあった。 

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<川田耕太郎>

場所: 高知県安芸郡田野町1828(田野町役場)

竣工:  

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:特になし。

 

〇大石大(おおいしまさる) (1878<明治11>年~1966<昭和41>年)

政治家。高知県長岡郡長岡村(現南国市)生まれ。戦前は政友会から立候補し、衆議院議員5期。戦後公職追放となったが、追放解除後は一線を退くも平和活動、日中・日ソ国交回復などで活動した。

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<大石大>

場所: 高知県南国市大埇甲2301(南国市役所)

竣工: 1973<昭和48>年11月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:南国市役所はとさでん沿いにあるが、役所の建物の裏側に立っている。

  

〇武市安哉 (1847<弘化4>年~1894<明治27>年)

土佐国長岡郡大埇村生まれ。政治家。自由民権運動に加わり、自由党から高知県議会議員に。1892年第2回衆議院選挙に自由党から出馬し当選。1893年に議員を辞職し、北海道の開拓に携わる。樺戸郡浦臼に聖園農場を開く。その後武市は急逝し、この農場は坂本直寛(坂本龍馬の甥)が引き継ぐ。武市瑞山坂本龍馬の親戚にあたる。

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<武市安哉>

場所: 高知県南国市大埇(おおそね)甲2073(南国市大篠小学校)

竣工:

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:小学校の校庭に立つ。

高知県編 その33

〇志磨村治(しまむら・おさむ)

高知県議会議員で、1969<昭和44>年に県議会の副議長をしているようだ。赤岡町選出の議員だったか?

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<志磨村治>

場所: 高知県香美市赤岡町325-1(香美市赤岡庁舎支所)

竣工:

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:ネットで探していたら、2013年に修復されているんですね。

 

 

〇進藤貞和 (1910<明治43>年~2002<平成14>年)

実業家。広島県生まれ。高知県育ち。三菱電機に入社後、一貫して重電部門を歩き、1970年取締役社長に就任、重電部門が強かった同社を「家電を経営の柱にする」と宣言し、クリーンヒーター、ふとん乾燥機などのヒット商品を生んで家電部門を黒字化し、その後は半導体、通信事業などエレクトロニクス部門を成長させ、1980年会長となる。三菱電機中興の祖と言われた。

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<進藤貞和>

場所: 高知県香南市香我美町徳王子2220(香我美市民館)

竣工:平成3年10月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:香我美市民館の敷地に立つが、道路を背にし、自らが育てた三菱電機高知工場(ルネサスセミコンダクタマニュファクチュアリング高知工場。2018年5月に閉鎖)を背景に立っている。

 

 

 

〇富田幸次郎 (1872<明治5>年~1938<昭和13>年)

新聞人、政治家。高知県安芸郡川北町(現安芸市)生まれ。当初教員となり、その後高知新聞を興し、主筆となる。1908年に衆議院議員選挙に立候補し当選。以後死去するまで当選を続けた。1936年には衆議院議長となった。

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<富田幸次郎>

場所: 高知県安芸市川北甲2588-1(川北公民館)

竣工:

作者:本山白雲

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:公民館と川北小学校の敷地の境がなく、その間のようなところ(おそらく銅像のための敷地)に立つ。銅像脇の説明板は、文字のペンキが薄くなっていて、早晩読めなくなるのではないか?

 

 

〇柳原勝紀  (生没年分からず)

高知県室戸市生まれ。日東捕鯨(現デルマールホールディングス)の創始者。18歳で捕鯨に身を投じ、日東捕鯨を作り、一代で世界的な会社に育てた。 

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<柳原勝紀>

場所: 高知県室戸市吉良川町丙890-11(キラメッセ室戸鯨館)

竣工: 2010年5月

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:氏の詳細は『土佐の鯨男』(水産タイムズ社:柳原紀文、大隅清治共著)に詳しいらしい。キラメッセ室戸は、国道55号線沿いに立つ道の駅。中に土佐の捕鯨を紹介する「鯨館」がある。胸像はその中に置かれている。

 

〇島田信保 (1912<大正元>年~1995<平成7>年)

僧侶。高知県須崎町生まれ。大善寺に生まれ、高知市安楽寺で修業をし、大正大学卒業後、最御崎寺の住職となる。寺院の整備だけでなく、地元室戸市の文化、社会福祉の向上に貢献した。

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<島田信保>

場所: 高知県室戸市室戸岬町4058-1(最御崎寺

竣工:

作者:

像高:

撮影時:2012年1月9日

説明:室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)は、四国八十八カ所霊場の24番札所。室戸岬直近の丘の上に立つ。島田師が昭和54年に多宝塔を再建、さらに昭和60年に大師堂を再建し、中興の祖である。