銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

徳島県編 その5

〇原菊太郎 (1889~1972)

 政治家。家業は材木商。徳島市議から徳島市長、さらに徳島県知事(3期)を歴任。徳島市生まれ。徳島県地方木材会社社長、徳島市商工会議所会頭などを務めた。 

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<原菊太郎像>

場所:財団法人原菊太郎基金徳島県徳島市山城町東浜傍示32-3)

竣工: 1991年11月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:県知事時代道路整備に命をかけ、「道路の鬼」と呼ばれた。また本四架橋を呼び水にするため、借金をしてまで「小鳴門橋」を架橋した。15年後にそれは実現した。また元々材木商だったこともあり、徳島県木材団地協同組合連合会にも胸像が立っている(徳島県徳島市津田海岸町8-20:1975年3月竣工)。 

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〇田中殖一(たなかふいち) (1907~2008)

 実業家。徳島製粉㈱創業者。徳島県板野郡藍住町生まれ。1947年に徳島製粉を創業し、自社ブランド「金鶴」を製造、1965年に「キンツルラーメン」を発売、1967年に「金ちゃんラーメン」に名称変更、カップ麺「金ちゃんヌードル」などともに、自らCMに出演し、有名になった。

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<田中殖一像>

場所:徳島製粉㈱本社駐車場(徳島県徳島市南二軒屋町3-1-8)※道路の反対側の本社住所

竣工: 1995年5月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:本人の米寿の年に作られた寿像。屋外のためか、像の上には屋根がつけられている。

 

 

〇島谷金之助  (?~?)

 実業家。㈱島谷建設の初代会長。 

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<島谷金之助像>

場所:㈱島谷建設(徳島県徳島市富田橋7-17)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:石像である。会社の建物の脇に立つ。銘文を撮り忘れたので、人物について紹介ができない…。会社は1906年創業の老舗(当時は島谷組)である。

 

 

〇吉の川  (?~?)

 相撲取り。

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<吉の川像>

場所:眉山登り口(徳島県徳島市西二軒屋2丁目)

竣工: 1957年11月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:石像。眉山病院の入り口付近である。ちょっと調べた範囲では、どのような相撲取りだったかわからないが、像の脇には「阿波力士供養塚」の石碑が立っているので、関連がありそうだ。

 

 

〇ヴェンセスラウ=デ=モラエス (1854~1929)

 ポルトガル出身の軍人、外交官、文筆家。リスボン生まれ。ポルトガル海軍士官として、1889年に初来日。その後外交官として、1899年にポルトガルの在神戸副領事として再来日。その後総領事として1913年まで勤めた。神戸在勤中に芸者のおヨネ(本名福本ヨネ)と出会い、共に暮らすようになる。おヨネの死後、故郷の徳島市に移住、おヨネの姪(斎藤コハル)と住む。コハルとも死別し、孤独の中徳島市で没した。地元では「とーじんさん」「西洋乞食」と呼ばれた。 

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<モラエス像>

場所:眉山公園徳島県徳島市眉山町茂助ヶ原)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:眉山の山頂、「花と鳥と展望の広場」に立つ。日本を愛した人柄を表すように、和装であり、傍らから犬が彼を見上げている。彼の死後に著作が日本語訳され、評価されるようになると、徳島でも顕彰が進んだようで、眉山の山頂には「モラエス館」があった(2015年閉館)。また彼の旧居があったところ(徳島市伊賀町3)一帯がモラエス通りと名付けられ、胸像が立っている(新町小学校:徳島県徳島市東山手町2-25)。また墓所は潮音寺(徳島市西山手町1-1)。しかし、今こうして解説をつけるために検索していると、モラエスをめぐる徳島市の状況はひどい感じがする。眉山山頂のモラエス館の閉館(新しい施設の建設は経済の停滞と県政の対立から止まったままらしい)、旧居にあった胸像も、土地が売却されたため、像を残すことができず、新町小学校に移設(旧居跡には石碑のみ)。調べていると、もっと評価されてもいい人物だと思うが…。

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 また、阿波踊り会館前の道路中央歩道には、モラエスの顕彰碑が立っている。

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なお、神戸市の中央区東遊園地(神戸市中央区加納町6丁目)の南西のはずれにもモラエス像があるが、こちらは壮年期のビシッとした像である。

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銅像情報 その11

山口市大村益次郎像が!

 

 7月23日(木) 大村益次郎の出身地、山口県山口市鋳銭司(すぜんじ)に、大村益次郎像が立つ。

 没後150年事業として、地域の人などから寄付を募って、地元のデザイナー、高實まりえさんが原画をデザインした。地球儀の前で、左手に書物を持って講義する姿(像高1.55m)だそうだ。

 地元の鋳銭司地域交流センターの前庭(山口市鋳銭司5675ー1)に設置される。

徳島県編 その4

喜田貞吉 (1871~⑲39)

 歴史学者東京帝国大学卒業。徳島県那賀郡櫛淵村(現小松島市)生まれ。文部省で小学校の教科書を編纂するが、南北朝期に南朝北朝を併記したため、休職処分となった(南北朝正閏問題)。法隆寺再建・非再建問題では、再建論の立場だったほか、日本民族の形成史について歴史学・考古学の立場から多くの仮説を提示した。

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喜田貞吉像>

場所:櫛淵八幡神社徳島県小松島市櫛淵町太田32)

竣工: 1999年10月

像高:

作者: 大杉直

撮影時: 2014年1月5日

説明:「日本の銅像探偵団」に積極的に登校されている林久治氏のブログによると、この像は京都の中西氏が小松島市に寄贈したもので、氏の父が喜田氏に師事していたことから、喜田氏の郷里に偉業を顕彰するために作ったのだそうです。WIKIなどに載る喜田氏の写真よりも像のひげが長いことが気になっていたのですが、本来喜田氏が郷里に帰るときはいつもひげを短くされていたようです。しかし、像は中西氏の父のイメージで作られたようで、ひげが長いのだそうです。

 

 

〇石丸米蔵 (1889~1959)

 教育者。小松島市初代教育委員長。徳島県小松島市立江生まれ。徳島県師範学校卒業後、教員として立江小学校に奉職し、校長となる。ほかにも俳句和歌や剣道にも精通し、保護司や文化財専門委員など、地域の教育のために尽力した。

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<石丸米蔵像>

場所:小松島市立立江小学校・幼稚園(徳島県小松島市立江町松本34-3)

竣工: 1959年7月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:亡くなってすぐに胸像が立てられているので、人望のある人だったんだな、と思いました。校門を入ってすぐ左にいますが、右側には二宮金次郎像もいます。 

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源義経 (1159~1189)

 平安末期の武士。鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の異母弟。仮名は九郎、幼名は牛若丸。幼くして奥州藤原氏の庇護を受けていたが、兄の頼朝の挙兵を知り馳せ参じ、一の谷・屋島壇ノ浦の戦いで活躍した。その後兄と不和になり、奥州に逃げ戻ったが、1189年衣川で討ち死にした。

 

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源義経像>

場所:王子神社八幡神社)(徳島県小松島市芝生町宮ノ前43)

竣工: 1991年7月

像高: 6.7m

作者: 石黒孫七

撮影時: 2014年1月5日

説明:この地は「旗山」といって、1185年屋島の戦いのとき、平氏を挟み撃ちするために源義経たちが小松島に上陸し、源氏の白旗を挙げて軍議を行い、士気を高めたという故事の地。この像は日本最大の騎馬像だそうで、山もふもとからも見える大きさ。 

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〇庄野祐吉 (1876~?)

 政治家、実業家。徳島県小松島町江田村(現小松島市)生まれ。町議会議員、県自動車協会会長、消防協会副会長、県公安委員会長を歴任した。

 

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<庄野祐吉像>

場所:東八幡神社<千代の松原>(徳島県小松島市中田町千代が原40-2)

竣工:1957年3月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:像が立った段階では氏は存命で、いわゆる「寿像」である。神社参道の入り口付近、鳥居の右脇にいる。

 

 

〇前田秋政 (?~?)

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<前田秋政像>

場所:徳島ダイハツモータース本店脇(徳島県徳島市論田町本浦下84)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:おそらく徳島ダイハツモータースの社長だった人だろう。