銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その10

〇大橋正行 (?~?)

 不明だが、ご夫婦で児童福祉資金を寄贈し、そのお金で図書館の新館を設立したらしい。 

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 <大橋正行像>

場所:坂出市立大橋記念図書館(香川県坂出市寿町1-3―10)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月29日

説明:館内に像は立っている。

 

〇番正辰雄 (1916~1989)

 政治家。香川県坂出市中央町生まれ。市役所に入庁してから助役を経て、1973年から4期坂出市長となった(在職中に死去)。 

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<番正辰雄像>

場所:坂出市民ホール脇の広場(香川県坂出市京町2-1-13)

竣工: 1991年

像高:

作者: 矢野秀徳

撮影時:2019年1月29日

説明:

 

〇山口嘉次郎 (1875~1954)

 実業家、教育者。香川県丸亀市広島町生まれ。ここは塩飽諸島最大の島であり、氏は船大工から建設工事請負業になり、朝鮮半島にわたって財を成した。その後島の発展を考え、島の子のために学校の建設を思いつく。1940年高松に興亜中学校を設立し、島の子を優先的に入学させた。戦後屋島中学校となり、学校は現在は四国電力学園として残る。

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<山口嘉次郎像>

場所:しあく学生寮香川県綾歌郡宇多津町浜七番丁94―2)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月29日

説明:興亜中学校が廃止された後で、氏は丸亀城下に「塩飽学生寮」(全寮制)を作り、塩飽諸島の生徒を多く受け入れたそうだ。宇多津に移転後の今も島の子が多く集っている。

 

〇日隆 (1385~1464)

 室町時代日蓮宗の僧侶。越中国射水郡(現富山県射水市)生まれ。本門法華宗本門佛立宗の祖。 

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 <日隆像>

場所:本妙寺香川県綾歌郡宇多津町西町1563)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月29日

説明:本妙寺は、讃岐6番神の1つ。日蓮の像と共に立つ。

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弘法大師空海) (774~835)

 讃岐国多度郡屏風浦(現香川県善通寺市)生まれ。真言宗の祖。四国八十八か所巡りのお遍路は、弘法大師の四国における修行の場所を巡り、功徳を積もうというもの。従って、八十八か所の寺院には、弘法大師像が立っていることが多い。ここではそれをまとめて掲載しよう。

 ※小豆島のものはすでに掲載済み。また八栗寺の石像、焼杖庵の衛門三郎との像も掲載済みである。

 

 ①白峯寺香川県坂出市春海町2635):81番の札所。ここには保元の乱後、崇徳上皇が配流となり、そのまま亡くなった。そこに西行が訪れたことから、西行の石像もある。

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西行像。崇徳上皇西行は、崇徳の生前から交流があったが、崇徳の崩御後3年たち、西行はこの地を訪れている。その話は『雨月物語』が詳しい。)

 ②弥谷寺(いやだにじ)(香川県三豊市大見乙70):71番札所。厳しい山の斜面に立つ。修行大師像である。また境内には道範阿闍梨の石像も立つ。

 

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 ③善通寺香川県善通寺市善通寺町3―3-1):75番札所。弘法大師の出身地であり、「誕生院」と呼ばれた。 

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 ④出釈迦寺香川県善通寺市吉原町1091):73番札所。この地は弘法大師が7歳の折、我拝師山に登り、仏門に入りたいが、釈迦が願いをかなえてくれるなら山から飛び降りても姿を現すだろうと、ダイブしたところ願いはかなえられた。かつては山上にあったが、現在は山のふもとにある。 

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 これで香川県編は一応終わりである。しかし、見つからなかったところ、時間の関係や見学の厳しそうなところは、像の存在をわかっていても周れなかったので、ここに記しておく。

 (1)香川県JA本部(香川県高松市寿町1-3-6)岡佳吉・宮脇朝男… 

    JAビルが新築中で像の存在が確認できなかった。

 (2)高松赤十字病院香川県高松市番町4-1-3)アンリ=デュナ

    ン…存在はわかっていたが、病院内のどこにあるかが確認できな  

    かったため、時間の関係で訪問を割愛した。

 (3)香川県畜産公社(香川県坂出市昭和町2-1-9)大社義規…公社

    の敷地内は入場しにくいと考え、訪問を割愛した。

 (4)坂出市役所(香川県坂出市室町2-3-5)島田恭平…訪問時、役

    所の改装工事中で、像の存在を確認できなかった。

 (5)坂出商工会館香川県坂出市京町3-3-8)田畑久宣・加藤忠

    八…商工会館は移転されたようで、訪問時は廃墟となっていた。

    現在は更地(Googleストリートビュー参照)となっている。坂

    出商工会議所は(坂出市久米町1―14-14)移転しており、今の

    ところ像の存在は確認できない。

 (6)檀山岡崎公園展望台(香川県小豆郡土庄町豊島唐櫃)岡崎金次

    郎…豊島という島で、周る余裕がなかった。島の山頂の公園にあ

    るらしい。

 (7)女木島海水浴場(香川県高松市女木島87)西尾末廣…女木島にあ

    る。周る余裕がなかった。

 (8)きんかこども園香川県坂出市西庄町638―1)沼野美智子…香川

    県を旅した後で発見した銅像

 (9)府中小学校(香川県坂出市府中町1193―3)藤井亀三郎ともう1

    体…香川県を旅した後で発見した銅像

 (10)旧JA香川県府中支店(香川県坂出市府中町1159-1)横山繁正…

    香川県を旅した後で発見した銅像

 

25000アクセス、ありがとうございます!

ブログをはじめて3年がたち、ついに25,000アクセスを達成しました。

みなさん、ありがとうございます!

 

ネット情報以外、あまり調べずに更新しています。杜撰な面が多々ありますが、

写真は基本的に自分のものだけです。

銅像と関わってから、20年はたとうとしていますが、

多分訪れた銅像は2300か所くらいになっています。

再訪も多くなりました。

銅像の魅力って何だろう?と、最近考えることが多くなりました。

明確な答えはありません。

ただ、ブログのためにその人物を調べていくと、多くの人物が

地域に、その分野に貢献してきたことがよくわかります。

それが魅力なのかな?と。

また、銅像を立てることでその地域に人が訪れたり、

その地域が活性化するのはいいことだと思います。

自分は、銅像にはなり得ないけど、銅像というものを

知ってもらい、価値を知ってもらうことに少しでも貢献出来たら、

そうした銅像の人物や銅像を立てた人たちの思いを広められているのではないか?

と考えているところです。

将来的には、もう少しそれぞれの人物を調べていきたい、と思っています。

また自分の訪れた銅像は全部紹介したいな、と思っています。

(中には、写真を撮らせてくれたけど、「ブログなどに上げないでください」

と言われたところもありますけど…)

細々とではありますが、さらに紹介していけるように頑張りますので、

応援お願いします。

香川県編 その9

最初に訂正です。前回の「琴陵光煕」の設置場所の住所が違っていました。「琴平町榎井」の「榎井」はいりません。

 

アフリカ象 

 金刀比羅宮の大門から続く石畳の道、桜馬場の左側にいる。奥には今治の造船会社が奉納した巨大なスクリューもある。金刀比羅宮のある山は「象頭山」と呼ぶところも関係しているか? 

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アフリカ象像>←なんか変ですね…💦

場所:金刀比羅宮桜馬場(香川県仲多度郡琴平町

竣工: 1955年4月

像高:

作者: 小倉右一郎

撮影時:2019年1月29日

説明:「樽谷鹿太郎」という東京の方からの奉納。この方は動物サーカスの興業主だったそうで、宮城県岩沼市竹駒神社には、この地でサーカス興行をして成功した感謝として「飛躍の霊狐像」(小倉右一郎作。1956年)を奉納している。

  

〇こんぴら狗  

 江戸時代には、伊勢神宮金毘羅大権現・東西本願寺への参拝が人生のイベントとなっていた。しかしなかなかいくことが難しい人々もいた。そこで主人に代わって犬が金毘羅大権現(現在の金刀比羅宮)にお参りする風習があり、「こんぴら狗」と呼ばれていた。飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入った袋を首にかけ、旅人から旅人へとかわるがわる連れられ、街道筋の人々に世話されて、金比羅大権現へとたどり着いていたらしい。 

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<こんぴら狗像>

場所:金比羅高橋由一館前(香川県仲多度郡琴平町892―1)

竣工:

像高:

作者: 湯村輝彦デザイン

撮影時:2019年1月29日

説明:像のデザインをした湯村輝彦さんは、1970年代に「ヘタウマ絵」で一世を風靡した。糸井重里との共作での『ペンギンごはん』シリーズが有名。1994年にこんぴら狗をイメージした『走れゴン~こんぴら狗物語』という絵本を描いている。その縁でこの銅像のデザインをしたらしい。

  

坂本龍馬  略

 幕末の志士。土佐藩(現高知県)出身、以下は略してもいいでしょう。 

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坂本龍馬像>

場所:金比羅道(伊予土佐街道)牛屋口(香川県仲多度郡琴平町谷川)

竣工: 1989年

像高:

作者: 原鋳造所(原寛山か?)

撮影時:2014年12月5日

説明:この地は「伊予土佐街道」の金毘羅口で、「牛屋口(うっしゃぐち)」と呼ばれる。近代的に観光地化した金刀比羅宮の表口と違い、昔の雰囲気が色濃く残っている。後ろ側になっている右足は、かかとが浮いていて、急いで歩いている様子だとか。脱藩をした龍馬は、藩の追っ手を気にしながら歩いていただろう姿。

  

〇大塚義三郎 (?~?)

 琴平町の町長。 

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<大塚義三郎像>

場所:琴平老人の家(香川県仲多度郡琴平町榎井553近く)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2014年12月4日

説明:2014年段階では、金刀比羅宮の南側、旧金毘羅大芝居(金丸座)の南西にあったが(Googleマップではまだ存在していることになっている。しかしGoogleストリートビューではすでに更地)、琴電琴平駅の北東の榎井地区に移転している(日蓮正宗福成寺の隣地)。敷地内の西側の角にいる。写真は2014年当時のもの。 

 

〇杉田秀夫 (1931~1993)

 香川県丸亀市生まれ。本州四国連絡橋公団坂出工事事務所の初代所長。架橋工事の最大の難関であった、南北備讃瀬戸大橋の海中巨大基礎の建設にあたり、設置ケーソン工法を提唱し、自らも延べ300回を超える潜水をおこなって指揮するなどした。 

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 <杉田秀夫像>

場所:瀬戸大橋記念館(香川県坂出市番の州緑町6―13)

竣工: 1995年11月

像高:

作者: 立体写真像㈱(盛岡公彦)

撮影時:2019年1月29日

説明:瀬戸大橋の建造は、四国出身の人には本州とつながるという夢の実現であったようだ。「プロジェクトX」にも取り上げられた杉田氏の仕事ぶりは、まさに「昭和の男」の生き様だったのであろう。

 

 〇津島寿一 (1888~1967)

 官僚、政治家。愛媛県阿野郡坂出村(現香川県坂出市)生まれ。大蔵省の官僚から戦後すぐに大蔵大臣。公職追放、追放解除を経て、1953年に参議院議員2期(自由党から自由民主党)。防衛庁長官などを歴任した。

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<津島寿一像>

場所:塩竃神社下(香川県坂出市常磐町2―1―75)

竣工: 1972年10月

像高:

作者:渡辺弘行

撮影時:2019年1月29日

説明:塩竃神社は常盤公園の東側。像は神社の下の広場に北東側を向いて立つ。広場のいちばん奥には、次に紹介する久米通賢の像も立つ。

 

 〇久米通賢(くめみちかた) (1780~1841)

 江戸時代の洋学者、発明家、暦学者。讃岐国大内郡馬宿(現香川県東かがわ市)生まれ。船の舵職人の家に生まれたが、幼少時に時計を修理して周りのものを驚かした。大坂で間重富の門下となり、暦学・数学などを学び、のち高松藩の測量方として地図作成に従事した。1824年に藩主松平頼恕から藩の財政再建を依頼され、阿野郡坂出浜での塩田開発を進言、通賢は普請奉行となった。しかし藩の財政ひっ迫で思い通りに建設はできず、私財を投じる形で5年後に塩田を完成させた。この塩田は全国の塩生産の半分を占めるまでになり、藩主を喜ばせた。 

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<久米通賢像>

場所:塩竃神社下(香川県坂出市常磐町2―1―75)

竣工: 1964年か?

像高:

作者: 矢野秀徳

撮影時:2019年1月29日

説明:塩竃神社は、1829年に坂出の塩田の守護神として造られたものを、1964年にこの地に移転したもので、銅像も中央小学校の脇の塩竃神社にあったものが、戦時中の金属供出で失われ、再度作ったもの。なお坂出市塩業資料館(香川県坂出市大屋富町1772―12)にも通賢の胸像があるが、時間の関係で訪問できなかった。

  

三土忠造 (1871~1948)

 政治家。讃岐国大内郡水主村(現香川県東かがわ市)生まれ。三土家へ婿養子で入ったが、これにより本籍地が現在の坂出市となった。立憲政友会衆議院議員を長く務めた(11期)。文部大臣、鉄道大臣を歴任し、戦争期は枢密院に入った。戦後幣原喜重郎内閣で内務大臣を務めた。香川県では最初に大臣になったという。 

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 <三土忠造像>

場所:常盤公園(香川県坂出市坂出町)

竣工: 1958年4月

像高:

作者: 小倉右一郎

撮影時:2019年1月29日

説明:常盤公園は、坂出市と隣の多度津町の境にあり、山頂の展望台は多度津町なのだが、この像はその少し東側のトイレの前にあり、ここは坂出市であった。いろいろと調べていくと、生家は宮脇姓で、忠造の弟の息子に、鉄道紀行作家の宮脇俊三がいることを知って驚いた。私は彼の作品を多く読んでいた。

 

〇鎌田勝太郎 (1864~1942)

 実業家、政治家、社会事業家。讃岐国坂出村(現香川県坂出市)生まれ。号は淡翁。醤油醸造を業とする家に生まれ、若くして家業を継いだ。その後海運や塩業にも進出、銀行経営にも乗り出した。貴族院議員(4期)、衆議院議員(1期)を務めた。一方で早くから鎌田育英会を起こして、育成や慈善事業にも尽くした。 

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<鎌田勝太郎像>

場所:鎌田共済会郷土博物館(香川県坂出市本町1-1-24)

竣工:

像高:

作者: 新田藤太郎

撮影時:

説明:像の立つ施設は、予讃線の線路際にあるが、元々の博物館は1992年に壊され、現在の建物は、1922年に作られた鎌田共済会図書館だったもの(国の有形登録文化財)。像は敷地内の建物の前に立つ。館内には石膏像もあるが、訪れたときは休館日で写真は撮れていない。館には久米通賢関係の資料が豊富らしい。なお隣接する淡翁荘(勝太郎の邸宅)は、現在は四谷シモン人形館として公開されている。