銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

4万アクセス ありがとうございます!

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と言いながら、先週は宮崎に遠征していたので、ブログのアップがありませんでした。

さらに、神奈川県編をまとめなければならないのですが、厚木方面の最後のデータが

まだ撮れず、今日は更新ができません💦 来週には完結させたいと思います。

 今日は、再来週から「鹿児島県編」を始めたいので、鹿児島県の銅像の地図をアップさせておきたいと思います。

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銅像の小ネタ

 

 神奈川県編は、まだいくつか残っていますが、以前も書いたように写真の整理ができておらず、厚木方面を再度取材しないと掲載できない状況なので、ちょっとお休みです。

 そこで今回は、2つほどの小ネタでお茶を濁しましょう…

 

(1) 3月16日(水)の夜遅くに、福島県沖でM7強の地震がありました。こちらで

   も結構長く揺れて、「ヤバい」と思いました。東北新幹線が脱線するなどし、11

   年前の東日本大震災を思い出した方もいらっしゃったのではないでしょうか?

    東日本大震災では、それで銅像が倒れたなどの話はあまり聞きませんでした

   が、今回の地震では、仙台城青葉城)址のシンボルでもある「伊達政宗」像が

   被害を受けました。「台座に接続する左前足と右後ろ足に幅1センチ程度の亀裂が入

   り、正面から見て左側に10度ほど傾いた」(河北新報3月17日付)そうです。

    銅像も建造物なので、災害の影響はあります。取手市間宮林蔵像も、小貝川

   の中州に立っていますから、洪水の時は大変だったのではないでしょうか?直接

   の被害以外にも、東日本大震災による福島原発の事故の影響で、福島県南相馬

   市には立ち入りができなかった。南相馬市の中核をなす旧原町市地域には「夜の

   森公園」があり、いくつかの胸像が集まっているのですが、撮りに行くことがで

   きませんでした。これも災害の例に挙げられるでしょう。

    伊達政宗像は、現在周りを立ち入り禁止にしているが、すでに足場を立てて修 

   復に入っているようです。一刻も早い修復を祈っています。

 

(2)銅像のマスク問題

   私の活動母体である『日本の銅像探偵団』上で、最近話題になっているのが、表

  題の「銅像のマスク問題」です。これは以前から冬場になると、風邪やインフルエ

  ンザの流行において、啓蒙の意味だと思うのですが、銅像(特に胸像)にマスクを

  つける傾向はありました。しかしこのコロナ禍において、より多くの銅像がマスク

  をつけるようになってしまいました。有名像だとニュースになるので、世間の人

 (もしくはマスコミ)は好意的に見ているのでしょう。そして銅像の設置もしくは管

  理主体が、地方自治体や自治会、商店会などであることから、啓蒙の意味なのでし

  ょう。しかしその効果はどうなのでしょうか?世の中の8割の人はマスクを着用し

  ているように見受けます。もはやその啓蒙の意味はないように思います。していな

  い人は、「しなければならない」という同調圧力にも負けない信念(どこかの市議

  さんのように)やよほど健康面の問題などがあるように思います。つまり、もはや

  マスク啓蒙問題は、解決しているのでは?そして「コロナ退散」を願うなら、違う

  手が有効なのではないでしょうか?

   銅像マニアは、暇を見ては全国の銅像を見て歩き、写真に収めます。そのタイミ

  ングで銅像がマスクをつけていると、「興覚め」「がっかり」します。いらぬ勘繰

  りをしてしまいます。愛媛県を中心に銅像を紹介されている「ワインカラー」さん

  は、多くのマスク銅像を写真付きで紹介されていました(興味のある方は『日本の

  銅像探偵団』の掲示板をご覧ください)。私は、2020年秋に岩手県を訪れた際に

 (この状態でも銅像めぐりをするのは、もうサガとしか言いようがありません

  が…)、盛岡市の材木町商店街にいた「石川啄木」像がマスクをしていたので、思

  わず写真撮影時にマスクを外してしまいました(撮影後に元に戻しましたが)。幸

  い早朝で人気がなく、人目を気にすることもありませんでしたが、やはりこういう

  行為は気にします。銅像マニアは、人知れず活動しているので、目立つことはした

  くないのです。

   コロナ禍が収束することが一番ですが、世の中にはいろいろな人が、いろいろな

  考えの人がいることを考えてほしいなと思います。これはマスクに限らず、銅像

  さまざまな扮装をさせる方へも伝えたいことです。銅像はナマ?の姿で見たいもの

  ですから…。

 

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盛岡市宮沢賢治像。かたわらに外したマスクを…)

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(2007年に行った静岡の山田長政像ですが、すごいでしょう⁉さすがにこの扮装は外せませんでした…)

神奈川県編  その18

〇星崎定五郎  (1879~1952)

 実業家。昭和の戦前から戦後にかけてアメリカに移民し、成功した。神奈川県足柄下郡矢作村(現神奈川県小田原市)生まれ。1899年にアメリカに渡り、カリフォルニアの果樹園で労働、その後一度は日本に戻るも再び渡米し、食料雑貨の店を開くと成功し、その後日本製品の輸入をおこなう。太平洋戦争中は内陸の荒れ地に強制的に移住させられるも耐え、再び成功をした。

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<星崎定五郎像>

場所:小田原市中央図書館(かもめ)(神奈川県小田原市南鴨宮1-5-30)

竣工:1959年

像高:

作者:横田七郎

撮影時:2022年3月4日

説明:もともとこの像は、星崎氏が寄付してできた「星崎記念館・小田原市立図書館」にあったが、館が老朽化したため、2021年3月で閉館し、鴨宮の市中央図書館に移された。なお、市内の文化堂印刷㈱が、像を3Dプリンターで複製し(大きさは原像の1/3)、小田原駅東口ミナカ6Fに開設した「小田原駅東口図書館」に設置している(下記)。

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〇長谷川豊吉 (1852~1923)

 政治家、実業家。相模国足柄下郡曽我谷津村(現神奈川県小田原市)生まれ。村の名主の家に生まれ、明治期には自由民権運動に邁進、戸長から下曽我村長、神奈川県議会議員衆議院議員(通算5期)を歴任した。その間小田原電気鉄道取締役などにも就いている。衆議院議員時代に日本精糖汚職事件で有罪となり、議員を辞職、関東大震災に罹災して亡くなった。

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<長谷川豊吉像>

場所:下曽我駅(神奈川県小田原市曽我原)

竣工:1954年11月

像高:

作者:横田七郎

撮影時:2022年3月4日

説明:1921年に開設された下曽我駅の設置に尽力したことから作れられた。像は、下曽我村が小田原市と合併される際に作られた。下曽我駅は御殿場線の駅である。御殿場線は1899年に開業、東海道線の一部であったため、当初は複線であった。しかし1934年の丹那トンネルの開通で、東海道線から御殿場線に変更され、1944年には単線化された。現在はJR東海管轄のため、suicaなどが使えない(国府津から一駅であり、神奈川県内なのに)。

 

〇金太郎 (956~1012)

 坂田金時の幼名。もしくは昔話、童話の主人公。生没年は坂田金時としてのもの。南足柄市の伝説によると、この地の地蔵堂にいた四万長者の娘、八重桐の子ども。夕日の滝で産湯につかり、金時山に登り、熊とも相撲をしていたとされる。976年に源頼光と出会い家来となる。その後京都に上り頼光四天王の一人となる(他は渡辺綱卜部季武碓井貞光)。990年には頼光とともに大江山の酒吞童子を退治している。頼光が死ぬと故郷へと戻ったとされる(隣の静岡県小山町金時神社の伝説では、九州の賊を退治に向かう途中で亡くなったとされる)。

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<金太郎像>

場所:大雄山駅(神奈川県南足柄市関本592-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:

説明:少し引いて見ると、熊に跨った金太郎以外に、サル・ウサギ・タヌキ(?)がいる(右の写真参照)。2015年からは駅の発車のメロディが童謡「金太郎」である。近くの足柄大橋(神奈川県足柄上郡開成町吉田島)の欄干には、「マサカリだけ担いだ金太郎」(西詰)と「クマに跨った金太郎」(東詰)がいる。

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河野一郎 (1898~1965)

 政治家。神奈川県足柄下郡豊川村(現神奈川県小田原市)生まれ。母方の親戚に長谷川豊吉がいる。早稲田大学卒業後朝日新聞記者を経て、衆議院議員に戦前5期、公職追放期をはさんで戦後に6期務める。日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。農相、東京オリンピック担当国務大臣、行政管理庁長官、副総理などを歴任。自民党総裁選に出たりしていたが、急逝して首相には手が届かなかった。現在の河野太郎は孫。早稲田大学時代に弟謙三とともに箱根駅伝に出ている。

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河野一郎像>

場所:平塚市役所4F(神奈川県平塚市浅間町9-1)

竣工:1969年

像高:

作者:

撮影時:2022年3月4日  

説明:河野謙三、比企能達とともに平塚市役所が新しくなるまでは1Fのホールにいたようだ。4Fの中央エレベーターホールから南側のロビーのところに、3体並んで立っている。

 

〇比企能達(ひきよしさと) (1893~1968)

医者、教育者。専門は病理学、内科。神奈川県平塚市生まれ。東京大学卒。日本大学医学部教授から国立がんセンター総長となる。

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<比企能達像>

場所:平塚市役所4F(神奈川県平塚市浅間町9-1)

竣工:1969年

像高:

作者:

撮影時:2022年3月4日  

説明:特になし

 

河野謙三  

 略

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河野謙三像>

場所:平塚市役所4F(神奈川県平塚市浅間町9-1)

竣工:1984

像高:

作者:

撮影時:2022年3月4日  

説明:特になし。下記のように3体が並んでいる。

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〇竹内武雄 (1898~1963)

 寒川神社宮司京都府船井郡瑞穂町生まれ。1938年に寒川神社宮司となる。その後戦争を経て、寒川神社存続の危機となったとき、氏子などの請願により、寒川神社に戻り、神社の再建に尽力した。

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<竹内武雄像>

場所:寒川神社参集殿(神奈川県高座郡寒川町宮山3885-1)

竣工: 1973年11月

像高:

作者:

撮影時:2022年3月4日   

説明:寒川神社は、相模国一之宮。八方除の守護神として知られ、多くの参拝者がある。祭神は寒川比古命寒川比女命