銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

高知県編 その11

ジョン(中濱)万次郎  (1827<文政10>~1898<明治31)>

 幕末から明治にかけて日米で活躍した日本人。現在の高知県土佐清水市(当時は幡多郡中ノ浜村)の貧しい漁師であった。14歳の1841<天保12>年1月にアジ・サバ漁の漁船に乗り込んだが、船が漂流し伊豆諸島の鳥島に漂着。同年6月にアメリカの捕鯨船(ジョン・ハウランド号)に助けられ、アメリカ本土へ渡った。この時アメリカ人の乗組員から「ジョン・マン」のあだ名が付けられた。マサチューセッツ州に着いた彼は、船長の養子として高等教育を受けたが、1851年日本へ帰るために琉球に着き、その後鹿児島で薩摩藩の尋問を受けてからようやく故郷に帰ることができた。

 土佐藩では士分に取り立てられ、1853年ペリー来航後には幕府に招聘され、旗本となった。この際に故郷の地名から「中濱」の姓が付けられた。日米和親条約の調印に尽力し、1860年日米修好通商条約の批准書を交換する咸臨丸に乗船、通訳及び航海士として活躍した。明治維新後は開成学校(現東京大学)の英語教師として活躍した。

 

<ジョン万次郎像1>

場所:土佐清水市足摺岬1349

竣工:1973年7月11日

像高: 約7.5m(台座含む)

作者: 西常雄(台座には別名があり、説明にあるように裁判沙汰となっている)

撮影時: 2012年1月7日

説明:足摺岬に向かう観光案内所前(道路わき)にある。南東向きに立つため、冬の夕方は完全な逆光であった。像は2005年に像の制作者と像の台座に記載されている人物が違ったため著作権をめぐって裁判が起こされ、像の著作権は塑像の製作者である旨が示された、「ジョン万次郎像事件」の当該物件である。

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<ジョン万次郎像2>(正式には萬次郎少年像)

場所:土佐清水市養老303 海の駅あしずり内

竣工: 1996年3月

像高:

作者: 濱田浩造

撮影時: 2012年1月7日

説明:この像は、万次郎だけでなく、一緒に遭難し鳥島に流れ着いた、重助・傳蔵・寅右衛門・五右衛門の4人も作られ、島にアメリカの捕鯨船(ジョン・ハウランド号)が現れたときの姿を、背後にコンクリート製のダイナミックな波とともに表わされている、躍動感にあふれる(そして必死な感情まで表現された)群像である。リーダーシップがあり、才覚があった若き萬次郎がイメージされる。ちなみに海の駅あしずりには、他所にあった「ジョン万次郎資料館」が移転され(2006年)ている。

※2018年2月18日、渡米後米国での生活を経て日本へ帰国をした際、最初に上陸した地とされる、沖縄県糸満市の大度海岸にもジョン万次郎の銅像が建立された。

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