長宗我部元親 (1539<天文8>年~1599<慶長4>年)
戦国大名。土佐の国人層から成長し1568年には土佐を統一。1580年ごろには讃岐・阿波も落とし、5年後には伊予も落とし四国の統一をしたとされる。しかし豊臣秀吉はこれを良しとせず、この年のうちに秀吉軍に攻められ降伏、土佐一国を安堵された。その後は秀吉軍の一員として九州で島津軍と闘うが、その際に長男信親を失い、以降政治的に乱れた。
若いころは「姫若子」と呼ばれたが、初陣の際に自ら槍をもって突撃し、「鬼若子」と称せられるようになったいう。
<長宗我部元親像1>
竣工: 1999年5月23日
像高:約7m(台座含めて)。槍の長さ5.7m。
作者: 濱田弘造
撮影時: 2012年1月7日
説明:「長宗我部元親初陣の像」。この地は、元親22歳(1560年)、本拠地の岡豊城から宿敵本山氏の長浜城を攻める際に陣を敷いたところ。見事に初陣を飾った。像形は、合戦の前夜に陣を敷いた時の姿で、力強く伸ばされた左手で、足もとに広がる四国をつかみ取ろうとしている(像の前の地面に土佐の地図が表わされている)。高知の異業種集団「一領具足会」が中心となって建設した言う。
若宮八幡宮の参道脇にあるこの像は、動きがあり、迫力のあるいい像である。
※これ以外に、2015年5月3日に除幕式が行われた像が、南国市の県立歴史民俗資料館前(南国市岡豊町八幡1099-1)にある。こちらは、彼の人気にあやかってか躍動感のある、ゲームキャラ的な仕上がりらしい。