山内一豊 (1545<天文14>年~1605<慶長10>年)
※一説には1546年生まれ
戦国時代から江戸初期の武将。大名。土佐藩初代藩主。豊臣秀吉、徳川家康らに仕え、関ケ原の戦いの前の小山評定でいち早く東軍、徳川家に付くことを表明し、関ケ原の戦い後土佐一国を与えられた。高知城を建てた。読み方は「やまうちかつとよ」。
妻見性院(まつ。千代とも。実名は定かではない)が夫に馬を買わせるために大金を差し出した話は有名。
<山内一豊像>
場所:高知県高知市丸ノ内1-1-5(高知城内、県立図書館前)
竣工: 1996(平成8)年9月20日再建
像高: 4.32m(台座込みでは9.4mで国内最大クラス)
作者: (元は本山白雲)
撮影時: 2012年1月8日
説明:本山白雲作の初代山内一豊像は、藤並神社境内(高知市丸ノ内1-1にかつてあった神社。現在は山内神社に奉斎。跡地には県立図書館・県立文学館が建つ)に大正元年作られたが、1944(昭和19)年に金属供出。現在の像は、その近くに立ったものと思われる。
見性院(山内千代) (1557<弘治3>年~1617<元和3>年)
戦国時代から江戸初期の女性、土佐藩初代藩主山内一豊の正室。近江浅井家家臣若宮友興の子との説が有力。1573<天正元>年頃までに一豊と結婚したとみられる。良妻賢母の典型とみられ、自らのヘソクリで夫の欲しがっていた名馬(鏡栗毛)を購入し、織田信長の馬揃えの時、信長の目に留まり出世していった話が有名である。
<山内千代像>
竣工: 1965<昭和40>年2月26日
像高:
作者:
撮影時: 2012年1月8日
説明:内助の功の伝説を顕彰し、高知商工会議所婦人部が建てた。