銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

秋田県編 その1

  1. 物部長穂  (1888<明治21>年~1941<昭和16>年)

土木学者。秋田県協和郡(現大仙市)生まれ。土木耐震学の第一人者。河川工学、ダム工学に特に優れ、日本の河川開発に当たり、彼の「河川統制計画」により多目的ダムが多く作られることとなった。)水理学、土木耐震学の第一人者。河川工学、ダム工学に特に優れ、日本の河川開発に当たり、彼の「河川統制計画」により多目的ダムが多く作られることとなった。

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<物部長穂像>

場所:物部長穂記念館(秋田県大仙市協和境字唐松岳44-2)

竣工: 1993<平成5>年10月

像高: 等身大

作者:

撮影時: 2012年8月24日

説明:実家はこの地にある唐松神社。記念館は神社から淀川を渡った、「まほろば唐松パーク」内にある。銅像は館の外に立っている。唐松神社には、大正期に完成した「唐松山天日宮」なる奇妙な宮と庭園がある。物部家はこの神社の代々の宮司。彼は次男のため家を継いでいない。(『土木工学界の巨星物部長穂』:川村公一<無明舎出版>を読むと、もう少し詳しくわかるかも…)

 

  1. 山下太郎  (1889<明治22>年~1967<昭和42>年)

実業家。秋田県平鹿郡大森村(現横手市)生まれ。若い頃から貿易などで成功していたが、満鉄と取引をして巨万を得て「満洲太郎」と呼ばれるようになる。戦後は日本の復興のために石油資源の獲得に奔走、「アラビア石油」を創立し、アラブにカフジ油田を採掘し大成功した。かくして「アラビア太郎」と呼ばれるようになった。

 

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<山下太郎像>

場所:山下太郎記念館(秋田県横手市大森町字大森145)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2012年8月24日

説明:旧大森町の公民館も兼ねている施設。この胸像も館外にある。

 

  1. 高橋信雄 (1914<大正3>年~1976<昭和51>年)

 政治家。秋田県平鹿郡大雄村(現横手市)に生まれる。1951年阿気村村長になり、1955年町村合併で大雄村が生まれると、引き続き大雄村村長となり、地域に貢献した。

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<高橋信雄像>

場所:横手市役所大雄地域局(秋田県横手市大雄三村東18)

竣工: 1978<昭和53>年8月

像高:

作者:

撮影時: 2012年8月24日

説明:役場の西側の駐車場入り口付近にいる。

 

 

  1. 塩田団平  1881<明治14>年~1963<昭和38>年)

 政治家、実業家。秋田県雄物川町(現横手市)に生まれる。家は大地主で、東京で学び、帰郷すると8代目「塩田団平」を襲名し、若くして地元の沼館町長に就任。この間秋田県議会議員、衆議院議員2期、さらに貴族院議員(高額納税者議員)にもなった(町長のままで)。1943年からは羽後銀行頭取にもなった。

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<塩田団平像>

場所:蔵光院(秋田県横手市雄物川町沼館429)

竣工: 1960<昭和35>年10月

像高:

作者: 佐々木素雲

撮影時: 2012年8月24日

説明:あまり記憶に残ってないなあ…今見ると寿像ですね。