銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

秋田県編 その11

〇歌舞伎(勧進帳の像) 

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<歌舞伎(勧進帳)像>
場所:明治百年通り(秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2=康楽館住所)※康楽館よりやや南
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月26日
説明:小坂町には、幕末から始まる銀、金を掘る小坂鉱山があった。その後は銅や亜鉛、鉛が主体となり、鉱山は1990年まで存続したが、現在は廃坑となり都市鉱山のリサイクル施設が稼働している。経営した藤田組はインフラの整備もおこない、1910<明治43>年には「康楽館」という芝居小屋も竣工される。この建物は現存し、国の重要文化財になっている。現在も松竹大歌舞伎などを上演していることから、こんな銅像が立っている。
 
〇小坂鉱山事務所を臨む
 

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<小坂鉱山事務所を臨む像>
場所:小坂鉱山事務所前(秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館48-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2012年8月26日
説明:小坂鉱山事務所を眺める2人の夫婦を再現した像。当時の衣装を着て、男性は洋装、女性は和服である。鉱山事務所は、1905<明治38>年に小坂鉱山の事務所として建設。1997年に役目を終え、2001年に現在地(元小坂鉱山病院)へ移築された。写真を撮ってこなかったが、これ以外に旧美園マリア園「天使館」前に、シスターと子供像。小坂鉱山事務所前に、外国人技術者とその妻。康楽館前に、芝居のビラを配る人(これらは2016年竣工だったらしい)。

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(後ろから撮った方が絵になるね)
 
〇クルト=アドルフ=ネット―  (1847年~1909年)
 ドイツ人の鉱山技師。1874<明治6>年に日本政府に招かれ、鉱山冶金技師として小坂鉱山に赴任(~1877年)、銀の精錬において日本最初の湿式精錬を実現した。その後東大理学部教授として日本の鉱山近代化に寄与した。

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<55.   クルト=アドルフ=ネット―像>
場所: 小坂鉱山事務所3F(秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館48-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月26日
説明:小坂鉱山事務所3Fの小坂鉱山の常設展示内にネット―は2体の石膏像としている。一体は家族と過ごす像、もう一体は久原房之助と話す像である。
 
久原房之助 (1869<明治2>年~1965<昭和40>年)
 山口県生まれの実業家、政治家。1890<明治24>年に藤田組に入社し、29歳で事務所長心得となり、小坂鉱山を銀山から銅山へと復興させることに成功した。その後日立鉱山を経営、久原鉱業(のちの日本鉱業)、日立製作所などを創設し、政界に入って政友会総裁、逓信大臣(田中義一内閣)を務めた。
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久原房之助像>
場所: 小坂鉱山事務所3F(秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館48-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:  2012年8月26日
説明:小坂鉱山事務所3Fの常設展示内に、ネット―と話をしている姿で登場している。

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立山弟四郎(たてやまていしろう)(1867<慶応3>年~1937<昭和12>年)
農業指導者。陸奥国鹿角郡毛馬内村(現秋田県鹿角市)生まれ。郡内で耕地整理組合、小作人組合を結成し、種苗交換会では中心となって活動した。小学校時代の師、和井内貞行の十和田湖開発を助け、故郷に立山文庫(現十和田図書館)を創設した。

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立山弟四郎像>
場所:立山文庫継承十和田図書館内(秋田県鹿角市十和田毛馬内字上陣馬19-5)
竣工: 1958<昭和33>年11月
像高:
作者: 永山義孝
撮影時: 2012年8月26日
説明:郷土の偉人。この施設の元が立山氏の寄贈からスタートしたものなので、こんな像が玄関を入ったところに鎮座している。
 
〇和井内貞行  (1858<安政5>年~1922<大正11>年)
十和田湖開発の先駆者。陸奥国鹿角郡毛馬内村(現秋田県鹿角市)生まれ。小坂鉱山に勤務しながら十和田湖の養魚事業に着手し、多くの失敗を繰り返す中、1903年に放流したヒメマスが1905年に成魚となって回帰したことから、十和田湖養魚事業に成功した。このことが十和田湖の観光開発にも寄与した。十和田湖湖岸北西部には、夫婦を祀った和井内神社がある。
 

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<和井内貞行像>
場所: 十和田南駅(秋田県鹿角市十和田錦木浜田)
竣工: 1950<昭和25>年5月
像高:
作者: 永山義孝
撮影時: 2012年8月26日
説明:十和田南駅前にいる。鹿角市の先人顕彰館前には、和井内貞行のレリーフ像がある。
 
辰子姫

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辰子姫像>
場所:御座石神社(秋田県仙北郡西木町桧木内相内潟1)
竣工: 1981<昭和56>年
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月26日
説明:御座石神社の辰子姫は、下半身が蛇になった姿で作られている。御座石神社(ございのいしと読む)は、辰子姫も祀っていて、美の神だという。
 
 
〇たつこ
 

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<たつこ像>
場所:
竣工: 1968<昭和43>年
像高:
作者: 舟越保武
撮影時: 2012年8月26日
説明:田沢湖に伝わる「辰子姫伝説」は次の通り。類まれな美しさを持った娘・辰子が、その美しさを永遠に保ちたいと思ったあまり、龍となり、田沢湖の主になってしまう。また八郎潟にも人間から龍になった八郎太郎がいた。両者は結局結ばれ、田沢湖で済むようになった結果、八郎潟はどんどん浅くなり、田沢湖は冬も凍らなくなった。
写真は、移動中に車内から撮ってしまった。