〇下村湖人 (1884~1955)
小説家、社会教育家。本名は下村虎六郎(旧姓は内田で、結婚として下村家に養子)。佐賀県神埼郡千歳村(現神埼市千代田町)生まれ。大学卒業後、佐賀県で教師となり、校長にまで昇り詰める。退職後、本格的な執筆活動に入り、1936年から『次郎物語』を書き続けた(第5部は1954年上梓)。
<下村湖人像>
竣工: 2019年2月
像高:
作者:
撮影時: 2019年6月2日
説明:肥前さが維新博に合わせて造られた1体(当初は佐賀市内の維新博時のみに使用知る予定が、好評のため佐賀市外出身の偉人は、そのゆかりの地にもう1体を造立)。佐賀市の中央通りのアイプリモ佐賀店前(佐賀市唐人1-2-16)には、盟友田澤義舗とともに立っている。
(なお、旧生家の中には『次郎物語』の主人公「次郎」の銅像もある)
〇市村清 (1900~1968)
実業家、リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者。佐賀県三養基郡北茂安村(現三養基郡みやき町)生まれ。戦前は苦労をしたが、理化学研究所の陽画感光紙の九州総代理店の権利を譲り受けると、たちまち業績拡大をして「理研光学工業(のちのリコー)」の基を作る。戦後は銀座4丁目に土地を得て「三愛」を作り、さまざまな経営を手掛けて成功した。晩年は技術革新の研究開発助成を目的とした財団を作り、科学技術の貢献に対する「市村賞」を創設した。
<市村清像>
竣工: 1958年春
像高:
作者: 中島快彦
撮影時: 2019年6月2日
説明:当初、みやき町役場にあった市村清像は、隣接する北茂安小学校(市村清の母校で講堂を寄付した)に移設されている。
肥前さが維新博に合わせても銅像は造られており、佐賀市中央通り駐車場前(佐賀市松原1-2-22)にも中冨三郎とともにカメラ(リコーフレックスⅢ)を持つ姿で立っている。また生誕地(三養基郡みやき町白壁)には、市村清生誕100年を記念の「市村記念公園」が造られ、胸像が立っている(2001年。像自体は1962年10月に古賀忠雄が造っている)。他に、リコー本社玄関前(東京都大田区中馬込1-3-6)には座像がある。
〇木下十四三 (1868~1942)
政治家。北茂安産業組合長、北茂安村長、佐賀県議会議員、衆議院議員を歴任した。
<木下十四三像>
竣工: 1944年2月
像高:
作者:
撮影時: 2019年6月2日
説明:みやき町役場の市村清像を探索中に偶然見つけた。県道22号線の役場とは反対側にあるJAの施設の入り口付近に立っていた。
〇梁井(やない)幾太郎 (1868~1944)
実業家。三養基郡基山町生まれ。基山町の近代化に尽くし、基山農協の前身の協同組合の建設に努力し、薬種商の梁井商店(ヤナイ一心堂を経て、現フォレストグループ)を作った。
<梁井幾太郎像>
竣工: 1958年1月
像高:
作者: 富岡朝堂
撮影時: 2019年6月2日
説明:農協の建物の裏手にあって、通りからは全く見えない。本人の銘の部分だけが金メッキされている。
〇中冨三郎 (1876~1957)
鳥栖市出身の実業家。旧姓久光三郎。祖父の起こした「小松屋」を発展させて、「久光兄弟合名会社」を作り、「鬼神丹(健胃清涼剤)」「朝日万金膏(鎮痛消炎貼付剤)」を発売、1934年に「サロンパス」を発売し、ロングセラーとなって同社の基礎を固めた。
<中冨三郎像>
竣工: 2019年3月
像高:
作者:
撮影時: 2019年6月2日
説明:肥前さが維新博に合わせても銅像は造られており、佐賀市中央通り駐車場前(佐賀市松原1-2-22)にも市村清とともに立っている。両手で「サロンパス」を持った姿で、博物館のアプローチ入り口付近の芝生の中に立っている。館内には、ヒポクラテス像(1985年、中村晋也作)もある。