〇田中鐵三郎 (1883~1974)
官僚。佐賀県鹿島市生まれ。大蔵省から日本銀行に移り海外で活躍、その後は満洲中央銀行総裁、朝鮮銀行総裁などを歴任した。晩年に生家と600坪の土地を母校の鹿島高校に寄贈した。
<田中鐵三郎像>
竣工: 1968年11月
像高:
作者: 朝倉文夫
撮影時:2019年5月31日
説明:この場所は佐賀藩の支藩、鹿島藩があったところ。19世紀になってからこの場所に城が築かれた。鹿島高校や旭ケ丘公園が城跡。像は鹿島高校に向かう道筋(かつての大手門筋らしい)にある。
〇愛野興一郎 (1928~1998)
実業家、政治家。佐賀県鹿島市生まれ。父の起こした祐徳自動車社長を経て、自民党から衆議院議員を9期務め、経済企画庁長官も務めた。のち新生党に参加した。
<愛野興一郎像>
竣工: 2005年12月
像高:
作者: 高岡鋳藝社
撮影時: 2019年5月31日
説明:像は氏の7回忌を記して有志により造られた。田中鐵三郎とは通りの反対側に立つ。
〇鍋島直彬(なべしまなおよし) (1844~1915)
肥前鹿島藩13代藩主(最後の藩主)。佐賀藩主鍋島直正の甥。明治維新後は明治天皇の側近として仕え、1880年には初代の沖縄県令に任命された。後に貴族院議員(4期)を務めた。
<鍋島直彬像>
場所: 旭ケ丘公園(鹿島市高津原城内大手通り)および鹿島高校(鹿島市高津原462)
竣工: 1969年(1934年竣工だが、戦時中に金属供出)復元
像高:
作者: 雨宮治郎
撮影時: 2019年5月31日
説明:メインの像は、旭ケ丘公園の西側松蔭神社脇に立つ。台座の銘板には「雨宮治郎」のサインが残る。鹿島高校の赤門をくぐって正面のもの(下記)は、松蔭神社よりも一回り小さいか?
〇岳の新太郎(たけのしんたろう) (不明。江戸時代後期<文化・文政期?>)
藤津郡太良町の民謡「岳の新太郎さん」(ザンザ節)の主人公。「岳の新太郎さんの登らす道にゃ、道に水かけ、滑らかせ」という。むかし多良岳にある金泉寺にいた妙権新太郎という若い寺侍がいたが、里の娘たちに評判の「美男子」だったらしい。寺は女人禁制なので、たまに里に下りてきた時、道で転んで山に戻れなくなればいい、との願望からこんな歌ができたそうである。
<岳の新太郎像>
竣工: 2010年
像高:
作者: 銅像胸像.com(原画は馬場一臣)
撮影時:2019年5月31日
説明:道の駅の北側入り口付近に立つ。他の歌詞は1番が、「岳の新太郎さんの下らす道にゃ 金の千灯籠ないとん 明れかし」。3番が、「岳の新太郎さんね 高木の熟柿 竿じゃとどかぬ 登りゃえぬ柿の枝」。手に持つ枝は、歌詞に出てくるか?ただし、意味的には、新太郎さんは高嶺の花、という意味で柿が使われているだが…。
〇愛野時一郎 (1900~1952)
佐賀県鹿島村(現鹿島市)生まれ。実業家、政治家。父愛野文次郎の祐徳軌道㈱を発展させ、祐徳自動車を設立。その後衆議院議員(4期)。
<愛野時一郎像>
竣工: 1968年11月
像高:
作者: 古賀忠雄
撮影時:2019年5月31日