銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

佐賀県編 その6

〇鍋島茂義  (1800~1863)

 江戸時代後期の武士。武雄鍋島氏9代当主。佐賀藩の財政危機を止めようと努力する一方、西洋科学の勉強に励み、西洋式大砲術(高島秋帆に学ぶ)、蒸気機関の研究などをした。名君として有名な鍋島直正佐賀藩10代藩主)の義兄にあたる。

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<鍋島茂義像>

場所: 武雄市武雄町大字武雄5538-1(武雄文化会館庭園<迎田緑地>)

竣工: 1992年3月

像高:

作者: 武藤三男

撮影時:2019年5月31日

説明:御船山の北側に位置する、武雄文化会館の中庭に鎮座する。左手に本(おそらく洋学書)を持ち、指示する姿である。箸町河畔公園(武雄市武雄町大字昭和103)には、「肥前さが維新博」にちなんで作られた像も立つ(下左)。こちらは地球儀を持っている。同様の像が、佐賀市の駅前まちかど広場(佐賀市中央1-5)に立つが、こちらは、鍋島直正、古河穀堂との3体セットである(下右)。

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〇深川六助  (1872~1923)

 実業家、政治家。佐賀県有田町生まれ。貿易業に従事し、有田で陶器市をやることを提案し、有田焼の普及に貢献した。のち町議から県議となる。

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<深川六助像>

場所: 陶山神社(西松浦郡有田町大樽2-5-1)

竣工: 1963年10月

像高:

作者:

撮影時:2019年5月31日

説明:陶山神社の一段高いところにある神殿の脇に立つ。同社は、鳥居の前を列車が通る(JR佐世保線)でも有名。有田焼の産地だが、残念ながら銅像

  

〇百婆仙(ひゃくばせん。韓国語でベクパソン)  (1560~1656)

 韓国慶尚南道金海出身。豊臣秀吉朝鮮侵略で日本に連行され、有田焼操業に関わった朝鮮人陶工、金泰道(日本名:新海宗伝)の妻。有田で多くの陶工から尊敬された重要な指導者だったよう。当初は夫ともに武雄で作陶していたが、夫の死後一族を率いて有田に移り、有田焼の誕生に大きく携わった。

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<百婆仙像>

場所:ギャラリー 百婆仙(西松浦郡有田町岩谷川内2-10-3)

竣工: 2018年4月

像高: 1.8m(台座と基壇含む)

作者: アン・ソクヨン

撮影時:2019年5月31日

説明:陶像である。韓国人陶工が朝鮮時代の手法を考証して製作した。チマチョゴリを着て手には茶碗を持つ。台座にある説明文は報恩寺(有田町稗古場2-8-21)の碑文を写したもの。

 

 

〇納富介次郎(のうとみすけじろう)  (1844~1918)

 佐賀県小城市出身。明治期の画家、デザイナー、教育者。1873年にウィーン万博に参加し、その経験から日本の目指す道を工芸(工業)教育と確信し、金沢区工業学校(現石川県立工業高校)、富山県工業学校(現富山県立高岡工芸高校)、香川県立工業学校(現香川県立高松工芸高校)、佐賀県立工業学校有田分校(現佐賀県有田工業高校)をそれぞれ創立し、校長を務めた。 

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<納富介次郎像>

場所: 有田工業高校西松浦郡有田町桑古場乙2902)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年5月31日

説明:敷地の外から撮ったので詳細は不明だが、おそらく陶像。納富介次郎は上記の通り4つの学校を創設しているが、富山県の高岡工芸高校でも銅像を撮ってきている(下の写真。2009年8月25日撮影) 。

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〇森永太一郎  (1865~1937)

 実業家。森永製菓の創始者佐賀県伊万里市生まれ。若い頃苦労をしてアメリカに渡ったが、そこで西洋菓子に目をつけてその作り方を学び、1899年に帰国後、森永西洋菓子製造所を造った。当初マシュマロを製造していたが、その後キャラメルを主力製品とした。キリスト教徒である。

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<森永太一郎像>

場所: JR伊万里駅前(伊万里市新天町554)

竣工: 2019年3月

像高:

作者: 竹中銅器㈱

撮影時:2019年5月31日

説明:「肥前さが維新博」にちなんで作られた。佐賀市の白山名店街入り口付近(佐賀市白山1-2-18)にも、中冨三郎像と並んで同様のものが立っている。彼はかなりの巨漢(身長180cm)だったらしいが、銅像の高さはどうだったか?

 

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〇森永太一郎  (略) 

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<森永太一郎像>

場所: 伊萬里神社(伊万里市立花町84)

竣工: 1957年6月(像の完成は1949年か?)

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時:2019年5月31日

説明:伊萬里神社の裏山(橘ヶ丘というらしい)に立つ。本殿脇の小道の階段を上がる。しかし神社の社務所から神社に向かう途中の崖が、2018年7月の豪雨で崩れたりして、本殿脇の小道も足元がえぐれて危険な感じだった。ちなみに伊萬里神社は境内にある中島神社は、お菓子の神様(田道間守)を祀る。

 また、森永公園(森永製菓伊万里工場跡地:伊万里市伊万里大坪町乙。上伊万里交差点付近)にも、森永太一郎像が立っている。地域の振興のため、乳牛を提供して酪農業をおこなわせ、この工場で買い取って練乳を作っていたが、1994年に工場が閉鎖された。この公園の像は1994年の造立か?伊万里駅前の像と違い、神社の像も公園の像も晩年の顎ひげを蓄えた像である(同じ型から鋳造した)。

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