〇瀬戸尚 (1907~1991)
政治家。東松浦郡鏡村(現唐津市)生まれ。佐賀県議会議員を経て、7代目の唐津市長(1967~1983の4期)。
<瀬戸尚像>
場所: 鏡神社(唐津市鏡1827)
竣工: 1984年7月
像高:
作者: ㈱ヒロカネ
撮影時:2019年6月1日
説明:鏡山の西麓にある、松浦地域の総鎮守鏡神社境内の北側、古代の森会館そばに立つ。
〇保利茂 (1901~1979)
政治家。東松浦郡鬼塚村(現唐津市)生まれ。大学卒業後、報知新聞、東京日日新聞(現毎日新聞)記者を経て、政治家秘書から衆議院議員(12期)。官房長官、労働大臣、農林大臣、衆議院議長などを歴任した。のちに自民党副総裁などをした金丸信は保利を師と仰ぎ、一時期髪型までまねたという。
<保利茂像>
場所: 体育の森公園(唐津市和多田大土井1-1)
竣工: 1982年3月
像高:
作者: 立体写真㈱
撮影時:2019年6月1日
説明:松浦川の河川敷にある「体育の森公園」の唐津市文化体育館の入り口近くに立つ。
〇奥村五百子(おくむらいおこ) (1845~1907)
幕末・明治期の社会運動家。愛国婦人会の創始者。肥前国唐津出身。幕末は父の影響で尊王攘夷運動に参加、明治期になると朝鮮半島に渡って実業学校を創設、北清事変後の現地視察から、女性による兵士慰問や救護、遺族支援が必要と考え、1901年愛国婦人会を創設した。機関紙『愛国婦人』を発行し、軍国主義を婦人層に広めるために奔走した。また地元のために、松浦橋架橋、国鉄唐津線の開設などに尽力した。
<奥村五百子像>
竣工: 1959年(1930年作られるが、戦争で金属供出された)
像高:
作者: 古賀忠雄
撮影時:2019年6月1日
説明:交差点の真ん中の広場に立つ。調べてみると戦前は、東京九段(旧九段会館)やソウル、光州などにも銅像があったらしい。九段には、1955年にその地に銅像のあったことを記す石碑があるらしい。
〇大川謙治 (1854~1910)
教育者。肥前国唐津生まれ。唐津藩士の子。教員となって、鹿児島や宮崎などで活動し、1884年から唐津に戻って、翌年から唐津小学校の初代校長として活躍した。1910年朝の集会で、訓話中に脳溢血で死去した。
<大川謙治像>
場所: 大志小学校(唐津市西城内4-43)
竣工: (1928年造られるが戦争で金属供出。だが鋳溶かされなかったのか?)
像高:
作者: 中野霓林
撮影時:2019年6月1日
説明:大志小学校は志道小学校が大成小学校(唐津小学校が1958年に2校に分離したのだが)と再統合して生まれた。校門を入って左側の校舎とフェンスの間に立つ。
〇加藤清正 (1562~1611)
安土桃山期から江戸初期の武将。尾張国生まれ、肥後熊本藩初代藩主。
<加藤清正像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2019年6月1日
説明:この寺は、豊臣秀吉による朝鮮侵略に従軍した、加藤清正が肥前名護屋の陣で、戦死者の追善供養のために建てた堂が由来となっている。
〇辰野金吾 (1854~1919)
明治期の建築家。肥前国唐津生まれ。工部省工学寮に入学し、ジョサイア=コンドルに師事、ロンドンに留学。帰国後帝国大学工科大学教授に就任、学長になった後、建築事務所を作った。多くの近代建築に携わった。代表作は、日本銀行本店、東京駅、日本銀行京都支店(現京都文化博物館)、武雄温泉楼門、大阪中之島公会堂など。
<辰野金吾像>
場所: 辰野金吾記念館<旧唐津銀行>(唐津市本町1513-15)
竣工: 2019年3月
像高: 約170㎝
作者:
撮影時:2019年6月1日
説明:椅子に座る曽禰達蔵とセットである。肥前さが維新博に合わせても銅像は造られており、同像は、佐賀市の佐賀銀行本店前(佐賀市唐人2-7-20)にも立つ。手に持つは、T字定規と本。像の後ろには辰野金吾記念館(旧唐津銀行)。1Fは金庫室と営業室が往時のまま、2Fは展示室となり、1Fの入り口付近には二人の胸像が唐津焼で焼かれ鎮座している(中野陶痴作。2000年2月竣工。曽禰達蔵像は2011年8月竣工)。
〇曽禰達蔵 (1853~1937)
建築家。肥前国唐津生まれ。工部大学校を経て、工部省に入省。ジョサイア=コンドルに師事。その伝手で三菱に就職し、三菱一号館、二号館を作る。1906年に建築事務所を創設する。代表作は、三菱一号館から七号館、長崎造船所占勝閣、慶應義塾大学図書館など。
<曽禰達蔵像>
場所: 辰野金吾記念館<旧唐津銀行>(唐津市本町1513-15)
竣工: 2019年3月
像高:
作者:
撮影時:2019年6月1日