銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

佐賀県編 佐賀県編 その12

枝吉神陽 (1822~1862)

 江戸時代後期から幕末期の国学者、教育者。佐賀藩生まれ。幼くして神童の誉れ高く、20歳で江戸の昌平黌で学び、ほどなく舎長となり、国学を学ぶことを認めさせた。26歳で帰国後、佐賀藩弘道館で教諭を務める傍ら、勤皇運動をおこなった。そこから副島種臣実弟)、大隈重信江藤新平大木喬任島義勇らを輩出した。 

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枝吉神陽像>

場所: 駅前まちかど広場

竣工: 2018年11月

像高:

作者: 上記※印参照

撮影時:2019年6月2日

説明:佐賀駅南口から約300m南下した、「駅前交番西」信号の北西角の広場にある。島義勇佐野常民と一緒の形である。3体像の、向かって左の立像で、右側の島義勇論議しているように見える。この3人はいずれも1822年生まれと同年生まれながら、妻の罹ったコレラに罹患して亡くなった神陽、江藤新平佐賀の乱を起こして刑死した義勇、人生を全うした常民と三者三様であった。

 

 

島義勇 (1822~1874)

 江戸時代後期から明治初期の武士、官吏。佐賀藩生まれ。藩校弘道館で学び、諸国歴遊後、藩主鍋島直正の小姓となる。その後直政の命で函館奉行の近習となり、蝦夷地・樺太を探検。そのため明治維新後、開拓使判官となり何もない札幌を開拓した。その後予算をめぐって開拓使長官と対立し解任された。1874年佐賀の乱においては。リーダーの一人となり、乱鎮圧後処刑された。 

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島義勇像>

場所: 駅前まちかど広場

竣工: 2018年11月

像高:

作者: 上記※印参照

撮影時:2019年6月2日

説明:佐賀駅南口から約300m南下した、「駅前交番西」信号の北西角の広場にある。3体像の向かって右側である。なお、2018年11月には、佐賀城公園の「西御門橋」南側に、2.5mの銅像が立った(原型は徳安和博)。総工費の大半を寄付金で賄う(北海道からも多くの寄付金が集まったという)形で、完成式典には北海道知事や札幌市長を駆け付けた。像は、鍋島直正像(佐賀城鯱門北側広場)の方向を向いている。

 ※札幌市の北海道神宮にも島義勇像はある。

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(佐賀城公園西御門橋の島義勇像) 

 

佐野常民

  略  

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佐野常民像>

場所: 駅前まちかど広場

竣工: 2018年11月

像高:

作者: 上記※印参照

撮影時:2019年6月2日

説明:佐賀駅南口から約300m南下した、「駅前交番西」信号の北西角の広場にある。3体の真ん中でベンチに座っている。 

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江藤新平 (1834~1874)

 江戸時代後期から明治初期の武士、政治家。佐賀藩生まれ。弘道館で学び、成績優秀で学費一部免除を受けていたが、父の職務怠慢で解職、永蟄居処分となり、生活に困窮したため進学せず、枝吉神陽の私塾で学んだ。幕末に脱藩して罰せられたが、のちに許され、戊辰戦争では江戸東征に従軍、彰義隊の殲滅に活躍した。明治維新後は、江戸を東京と改称するよう進言した。また司法卿、参議として、近代司法制度の整備に努力した。明治6年の政変で下野、1874年の民撰議院設立建白書に署名し、帰郷して佐賀藩での自由民権運動を画策するも、島義勇らに説かれて佐賀の乱を起こし、失敗し捕縛され処刑された。 

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江藤新平像>

場所: 駅前まちかど広場

竣工: 2018年11月

像高:

作者: 上記※印参照

撮影時:2019年6月2日

説明:佐賀駅南口から約300m南下した、「駅前交番西」信号の北西角の広場にある。道路側の一番奥である。大木喬任と2体のセットで、向かって左側の両手を広げているのが江藤である。

 市内の神野公園佐賀市神園4-1)にも銅像がある。

 

大木喬任 (1832~1899)

 江戸時代後期から明治期の武士、政治家。佐賀藩に生まれ。弘道館に学び、明治維新後は、江藤とともに江戸を東京に改称するよう進言、1871年には文部卿として学制を制定した。その後戸籍法の制定、民法編纂の責任者になるなどした。

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大木喬任像>

場所: 駅前まちかど広場

竣工: 2018年11月

像高:

作者: 上記※印参照

撮影時:2019年6月2日

説明:佐賀駅南口から約300m南下した、「駅前交番西」信号の北西角の広場にある。道路側の一番奥の像で、江藤新平とのセットの2体像の左側で、右手に扇子を持つ。

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