〇鍛冶良作 (1895~1980)
政治家。富山県出身。1921年に明治大学を卒業、翌年から弁護士となり、1932年神田区議会議員、1947年富山一区から衆議院議員に初当選、以降7期を務め、地元のために汗水を流すとともに法務政務次官、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任した。
<鍛冶良作像>
竣工: 1973年10月
像高:
作者: 浦山一雄(竹中銅器)
撮影時: 2018年12月1日
説明:この像は寿像であった。動きのあるなかなかいい像である。
〇草野久也 (1904~1984)
富山県泊町(現朝日町)に生まれる。京都大学卒業、内科医。「医聖」とも呼ばれ、いつも研究熱心で、患者と向き合いながら、黒部市民病院初代院長として活躍した。黒部市名誉市民。
<草野久也像>
竣工: 1973年7月
像高:
作者: 浦山一雄
撮影時: 2018年12月1日
説明:黒部市民病院入り口に立つ。この像も寿像だった。
〇川原田政太郎 (1890~1983)
富山県下新川郡下野方村(現魚津市)生まれ。工学者。早稲田大学名誉教授。日本におけるテレビジョン研究において、高柳健次郎と並ぶ第一人者だった。高柳のブラウン管方式に対し、川原田は早稲田式と言い、解像度ではブラウン管に劣るが、大型スクリーンに投影できる特徴があった。発明家としても有名で、60もの特許を取得した。1990年に放映されたNHK朝の連続ドラマ「凛凛と」の主人公は、川原田をモデルとしたそうである。
<川原田政太郎像>
竣工: 2011年3月
像高:
作者: 熊谷友児(竹中銅器)
撮影時: 2018年12月1日
説明:設置場所は、正確に言うと総合体育館前、国道8号線との間の空き地となる。魚津では、川原田とともに盛永俊太郎(稲の研究)、宇田新太郎(アンテナ、超短波の研究)を合わせて「魚津の三太郎博士」と呼ぶそう。
〇椎名道三 (1790~1858)
江戸時代後期の新田開発者。越中国(現富山県)滑川小林生まれ。本姓は宝田。測量・土木技術に優れ、黒部渓谷から水路を開削し、十二貫野用水、室山野用水などを開き、生涯で1200haを開田したと言われる。褒美でもらった土地や金品は貧しい農民に分け与えたと言われる。
<椎名道三>
竣工: 1988年8月
像高:
作者: 田畑功
撮影時: 2018年12月1日
説明:像が中腰のような作りだが、これはモデルとなった画像(上市の西永寺像)がそのような姿で描かれているためだろう。
〇松岡松平 (1904~1975)
政治家。富山県出身。中央大学卒業後弁護士となったが、戦後公職追放となった。追放解除後の1952年の衆議院議員選挙で富山2区から立候補し当選、その後当落選を繰り返し、1972年14年ぶりに国政復帰し、在職中に亡くなった。東亜特殊製鋼社長、東和産業会長などを歴任した。
<松岡松平像>
竣工: 1976年3月
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月1日
説明:上市町の町民体育館に入る道沿いにある。奥には温泉旅館「つるぎ恋月」がある。
〇神武天皇 略
<神武天皇像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2018年12月1日
説明:日露戦争の戦勝記念で作られた像。「三杉公園」は、戦国時代に上杉謙信が当地の稲付城を攻略した際、立山寺の伽藍が杉並木とともに焼かれたが、三本だけが焼け残ったことからだそう。公園は、上市高校の脇にあります。持つ弓の先に留まるのは「金鵄(金色のトビ)」。『日本書紀』では神武東征の際、長髄彦と闘っている時に金鵄が留まり、その光で長髄彦軍の兵の目がくらんで、勝利したとされる。