〇松岡重三 (1903~?)
政治家。富山県上市町生まれ。1947年に富山県議会議員となり、上市川の改修に尽力し、上市川多目的ダムをつくった。
<松岡重三像>
場所:上市川ダム展望公園(富山県中新川郡上市町東種宇郷津1-2)
竣工: 1965年4月
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月1日
説明:ダム管理事務所の手前にちょっとした公園があり、その反対側の階段を上がった先にいる。公園が荒れていて、天気の悪い(冬の)夕方に訪れたこともあり、寂しい感じだった。
〇川崎順二 (1898~1971)
大正、昭和期の郷土芸能(越中おわら節)の保存功労者。医師。富山県八尾出身。県医師会の会長の傍ら、「おわら節」の保存・普及に尽くした。
<川崎順二像>
場所:八尾観光会館<曳山展示館>(富山市八尾上新町2989-1)
竣工: 2009年8月
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月1日
説明:医者の傍ら、「越中おわら節保存会」を作り、小杉放菴・長谷川伸・吉井勇らとの交遊の中、この民謡の復興・発展に尽くした。彼の病院の跡地は「八尾おわら資料館」となっている。毎年9月には「おわら風の盆」が開催され、おわら節に合わせて踊りが躍られる。下は「おわら風の盆」の像。
〇高見之通(たかみゆきみち) (1880~1962)
政治家、弁護士。富山県出身。東大卒業後弁護士となり、東岩瀬町長、富山県売薬同業組合長を経て、1917年衆議院議員となった(当選7回)。戦後公職追放となる。
<高見之通像>
竣工: 1965年10月
像高:
作者: 松村秀太郎
撮影時: 2018年12月2日
説明:富山城址公園の北側、松川公園の入り口から入って右側にいる(すぐ脇に赤い太鼓橋がある)。
〇前田正甫(まえだまさとし) (1649~1706)
江戸時代の大名。富山藩第2代藩主。初代の父利次の後を受け、新田開発、産業育成に尽力した。特に富山売薬の基礎を築いた。
<前田正甫像>
竣工: 1954年
像高: 約10m(台座を含む)
作者: 佐々木大樹(高岡鋳芸社)
撮影時: 2018年12月2日
説明:富山城址公園のほぼ中央に位置する。正甫が富山売薬の祖と言われるのは「反魂丹伝説」というものからで、それは1690年のこと。江戸城である大名が猛烈な腹痛に襲われたとき、正甫が懐中から「反魂丹」を出して勧めたところ、腹痛がピタッと治まった。その様子を見た他の大名たちが「反魂丹」の効能に驚き、自分の領内でも販売を求めるようになり、正甫が富山の薬商人を行商させたこと、という。
〇石坂豊一 (1874~1970)
政治家、官僚。戦前は衆議院議員(5期)、富山市長(1944年)。戦後は参議院議員(2期)。富山県生まれ。
<石坂豊一像>
竣工: 1964年9月
像高:
作者: 米林勝二(鋳造:堺幸山)
撮影時: 2018年12月2日
説明:事前の調査では見つからなかった。高見之通像の近く(裏の建物の前)に鎮座していた。銅像脇の建物が壊され、富山城址公園の整備がされているため、現在は移転もしくは撤去されているかもしれない。それにしても、銅像県富山である。しっかりと原型制作、鋳造の両者の記名がされている。
〇滝廉太郎 (1879~1903)
音楽家、作曲家。東京生まれ。父が国家公務員のため、廉太郎も各地を転々としている。その過程で富山県尋常師範学校附属小学校に転校している(1886年9月~188年5月まで)。
<滝廉太郎像>
竣工: 1979年9月
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月2日
説明:富山城址公園の銅像探索が終わり、富山地鉄に乗ろうとウロウロしていて発見。「滝廉太郎修学の地」という記念碑であり、この地は廉太郎が通った富山県尋常師範学校附属小学校の跡地である。この地は旧富山城内の「赤蔵」跡で、旧堺捨旅館であった。廉太郎の曲のうち、「お正月」「雪やこんこん」は富山時代を偲んで作ったとも言われている。