〇松本正雄 (1917~1986)
官僚、政治家。東京帝国大学工学部土木工学科卒、建設省を経て、1976年から小矢部市長。市内の公共建築を自ら設計した「メルヘン建築」にしたことで有名。
<松本正雄像>
竣工: 1989年10月
像高:
作者:畑満(原型:鋳造は松永銅器店)
撮影時: 2018年12月2日
説明:「メルヘン建築」は1992年の正得駐在所を最後に作られなくなった。理由はコストの問題。メンテナンスにも金がかかるので、現在は維持も大変。さらに教育施設は、少子化で統合の憂き目に遭ったり、解体されたりしている。見に行くなら今が最後かも…。近くにはなぜか「自由の女神」像も立つ。
〇大谷米太郎(1881~1968)
実業家。富山県小西礪波郡正得村(現小矢部市)生まれ。貧農の家庭の長男に生まれ、31歳の時わずかなお金で上京したが、日雇いの仕事しかなかった。やがて力自慢を知られて稲川部屋にスカウトされ、大相撲力士となった(砺波山、のち鷲尾嶽)。手のケガで相撲を断念した後、酒屋から鉄鋼圧延用のロールを作る会社を創業、弟も呼び寄せ、関東大震災後に作った「大谷製鋼所」があたり、戦前に「大谷重工業」として満洲にも進出、「鉄鋼王」とまで呼ばれた。戦後はTOCビル(五反田)、ホテルニューオータニなど他業種にも進出した。その後本業が経営難となり、大谷重工業は大坂製鋼と統合して合同製鐵となった。
<大谷米太郎像>
竣工: 1964年8月
像高:
作者: 朝倉彫塑塾
撮影時: 2018年12月2日
説明:大谷氏は小矢部市の名誉市民であり、この像は小矢部市役所の新庁舎落成に合わせて造られた寿像である。こう見ると、さすが銅像の町、メンテナンスもしっかりしていることがわかる。
〇プロゴルファー猿 (?)
藤子不二雄Ⓐによる日本のゴルフ漫画の主人公(「少年サンデー」「コロコロコミック」など)。それを原作とするテレビアニメ、映画も作られた。本名は「猿田猿丸」という野生児。出身はH県奥山市深森区猿ヶ瀬で、1963年生まれ。アマチュアだが「賭けゴルフ」で生計を立てている。最後はプロとなっている。
<プロゴルファー猿像>
竣工: 2017年3月
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月3日
説明:藤子不二雄は藤本弘、安孫子素雄の共同ペンネーム。藤本は高岡市、安孫子は氷見市生まれ。小学校時代からのつながり、高校時代から活動し、1954年から1987年までコンビだった。その後藤本は藤子・F・不二雄、安孫子は藤子不二雄Ⓐとなった。ここ氷見は、安孫子の故郷。安孫子の代表作は、プロゴルファー猿以外に、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」、「笑ゥせぇるすまん」など。
〇忍者ハットリくん (?)
藤子不二雄Ⓐによる日本のギャグ漫画。正式名「ハットリカンゾウ(服部貫蔵)」。伊賀流の少年忍者。修行のため東京の三葉家へ居候している。
<忍者ハットリくんほか像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月3日
説明:このポケットパークは、プロゴルファー猿のためのものだが、園内の中心に忍者ハットリくんと弟シンゾウ(シンちゃん)、愛犬の獅子丸の3体が鰤に載る像がある。鰤は氷見の名産。
〇喪黒福造 (?)
藤子不二雄Ⓐ原作の大人向けのブラックユーモア漫画。心の寂しい人の、心のスキマを埋め、あらゆる願い事をボランティアで叶えるセールスマンの名。しかし約束を破ったり、さらなる要求をしたりすると、「ドーン!!!!」と指され悲劇的結末になることが多い。
<喪黒福造像>
場所:藤子不二雄Ⓐまんがロード。「氷見中央」バス停付近 (富山県氷見市中央町10)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月3日
説明:藤子不二雄Ⓐまんがロードには、ほかにハットリくんとシンちゃんのポストが2ヵ所(中央町の交差点付近高野橋手前の万葉前)と、ハットリくんのライバル、ケムマキその弟子の忍者ネコ、影千代が比美町交差点にいます。
〇堀埜與右衛門 (1882~1969)
実業家。富山県射水郡加納出町(現氷見市)生まれ。定置網の網元の次男に生まれ、宮崎県で生まれた「日高式大敷網」を氷見にも取り入れようと考え、1907年に設置すると、大量のぶりが取れた。以降、氷見にこの方式が普及していった。
<堀埜與右衛門像>
竣工: 1966年10月
像高:
作者: 米治一
撮影時: 2018年12月3日
説明:
〇神武天皇 略
<神武天皇像>
竣工: 1908年
像高:
作者: 大塚秀之丞(原型:鋳造は喜多万右衛門)
撮影時: 2018年12月3日
説明:工費は当時で2424円(台座の工事費が933円余り)。氷見郡尚武会の手によって作られた。
〇齋藤弥九郎 (1798~1871)
幕末の剣術家。越中国射水郡仏生寺村(現氷見市)生まれ。農家の生まれで、当初高岡に奉公に行ったが帰郷、江戸に向かった。旗本の小者として住み込んで働いたが、勉学に励んだために、主人から武芸や学問を学ぶよう勧められた。武芸は神道無念流の使い手で、江戸に三大道場の一つ、「練兵館」を作った。諱は善道、号は篤信斎。
<齋藤弥九郎像>
竣工: 1969年
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月2日
説明:氷見市には齋藤弥九郎像があと2体ある。十三中学校(氷見市飯久保1406)と生誕地の脇之谷内公民館(氷見市仏生寺4951)。いずれも撮っていない…。
(これは朝日山公園の像を2009年に撮ったもの)