群馬県に昨夏に行ってきたので、それを…
〇井上房一郎 (1898~1993)
実業家。群馬県高崎市出身。高崎観音の建立に尽力した井上工業社長の井上保三郎の長男として生まれる。ブルーノ・タウトの招聘や群馬交響楽団の創設などの文化活動などをおこなった。
<井上房一郎像>
竣工: 1992年5月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月18日
説明:正確には、高崎市美術館に併設されている、旧井上房一郎邸の裏庭(というか裏門)のところにある。また群馬県立美術館にも胸像があるらしい。
〇吉田敬一郎 (?)
不明
<吉田敬一郎像>
竣工: 1994年
像高:
作者: 立体写真(盛岡公彦)
撮影時: 2019年8月18日
説明:上記住所の御宅の門前に立つ。周りにタヌキの置物もいくつかあるので、何か関りがあるのではないか?
〇田村武二 (?)
当地で60年余り前からある田村産婦人科の創設者。
<田村武二像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月18日
説明:病院の敷地内の駐車場付近にある。
〇井上保三郎 (1868~1938)
実業家。井上工業㈱の創設者。群馬県高崎市生まれ。海産物の販売で巨利を上げるが、それを高崎市の発展のために使った。両毛線(両毛鉄道)の敷設、軍関連の兵営の建設、高崎水力電気などの経営、そして高崎観音の建立による、高崎の観光都市化などに貢献した。
<井上保三郎像>
竣工: 1922年(1952年4月再建)
像高:
作者: 吉田三郎
撮影時: 2019年8月18日
説明:今の像は戦後の再建像。当初は井上の創設した高崎製紙の創設地にあったようだが、1940年にここ慈眼院に移設したようだ。その後戦争の金属供出にあったらしい。戦前の作も戦後の作も吉田三郎。
〇田村今朝吉 (1896~1975)
実業家。群馬県高崎市乗附町生まれ。製糸業で財を成し、地域の振興に尽力、金ケ崎隧道(田村隧道=用水路のトンネルです)の開削や観音山ヘルスセンターの創立などをした。
<田村今朝吉像>
竣工: 1959年4月
像高:
作者: 米治一
撮影時: 2019年8月18日
説明:市営の観音山駐車場から慈眼院に向かって参道を進むと、右手に現れる階段の上にいる。観音山ヘルスセンターは観音山の北西部にあったが、1990年に閉館したそうだ。