〇勝道上人 (735~817)
奈良時代から平安時代初期の僧侶。下野国南高岡(現栃木県真岡市)生まれ。下野介若田高藤の子。日光山を開山し、中禅寺や輪王寺、二荒山神社の創建にも関わったとされる。また上野国国分寺に滞在し、赤城山を開山したとの伝承もある。
<勝道上人像>
竣工: 1995年4月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月20日
説明:ここ珊瑚寺は、勝道上人が807年に石井山三光院三銅寺として開創した。像は円仁の1300年忌に際して建立したようだ。円仁、勝道ともに下野国の生まれ(勝道の方が年上)。栃木県日光市の輪王寺の駐車場の一角にも勝道上人像があるが、こちらの錫杖は通常のもの。これは中禅寺にある石膏像がモデルのようだ。珊瑚寺のそれは棍棒のようで、下半分に屈曲があり、不思議な感じがします。
〇羽鳥又男 (1892~1975)
戦時中の台湾総督府職員、台南市長。市長在職中、第二次世界大戦中にもかかわらず「赤崁楼(せきかんろう)」(17世紀中ごろにオランダ人が築いた楼閣)という文化財の修復を完遂した。
<羽鳥又男像>
竣工: 2007年4月
像高:
作者: 許文龍
撮影時: 2019年8月20日
説明:台南の赤崁楼にも羽鳥又男の像はあるようだ。
〇羽鳥重郎(はとりじゅうろう) (1871~1957)
医者。群馬県富士見村石井(現群馬県前橋市)生まれ。1899年に台湾に渡り、マラリア・熱性病・台湾ツツガムシ病などの伝染性疾患の撲滅に取り組む。
<羽鳥重郎像>
場所:前橋市富士見公民館(群馬県前橋市富士見町田島866-1)
竣工: 2017年3月
像高:
作者: 許文龍
撮影時: 2019年8月20日
説明:奇美実業創設者の許文龍氏は日台の架け橋を随分とされているようで、県内では新井耕吉郎像、羽鳥又男像、八田與一像(台湾で最近首が折られたが、許氏が復元したらしい)、後藤新平像などを複数作り、一体を奇美博物館、一体を関係地、一体を日本の関係地に贈るケースが多いようだ。
〇船津伝次平 (1832~1898)
江戸末期から明治期に活躍した農業研究家。上野国原之郷(現群馬県前橋市富士見町)生まれ。幕末に出身地の名主・村役人として名望を集め、実践的な農業技術の改良にあたり、明治期には各地の農業振興に努めた。「明治期の三老農」の一人。元駒場農学校講師、東京帝国大学講師を務めた。
<船津伝次平像>
竣工: 1987年3月
像高:
作者: 内田君榮
撮影時: 2019年8月20日
説明:この地は元富士見村役所。富士見村の100周年に立てられたようだ。作者の内田君栄は、同村の出身らしい。
〇都丸英内 (?~?)
昭和期の政治家。旧横野村村長から群馬県議会議員、県議会議長を歴任した。
<都丸英内像>
竣工: 1984年9月
像高:
作者: 田畑功
撮影時: 2019年8月20日
説明:関越道の渋川伊香保ICから北上し、国道353号線を越えて、県道151号線沿いの畑の真ん中に立っている。
〇浅野総一郎 (1848~1930)
実業家。富山県編に詳細したので、ここでは群馬県関連情報を。関東水力電気を創設した。この地に佐久発電所を造り、吾妻川、利根川の両方から取水して発電し、その電気は首都圏はもとより、浅野財閥の浅野カーリット(現日本カーリット)、関東電気精錬(現大同特殊鋼)、関東電化工業への送電もおこなわれた。
<浅野総一郎像>
場所:佐久発電所ふれあい広場(群馬県渋川市北橘町真壁246-1)※この住所は公園近くの「北橘歴史資料館」のもの
竣工: 2012年4月(原像は2009年制作)
像高:
作者:
撮影時:2019年8月20日
説明:この像はもともと富山県氷見市の「氷見フィッシャーマンワーフ海鮮館」に置かれたものだが、2012年氷見市から渋川市へ寄贈され、像は氷見市の方を向いて設置された。
〇田部井鹿蔵 (1880~1955)
明治時代から昭和時代の教育者。群馬県出身。1918年より25年間渋川小学校の校長をし、のち県教育長になった。
<田部井鹿蔵像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月20日
説明:小学校の校門(北門)をくぐるとすぐ右手にいる。なお、すぐ隣の渋川高校の校内(おそらく校門を入って右側の駐車場付近)には、佐藤次郎(テニス選手。グランドスラムシングルスベスト4など輝かしい実績を残した。渋川高校出身)の胸像があるのだが、こちらは入れなかった。