銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その6

〇エルヴィン=フォン=ベルツ (1849~1913)

 ドイツの医師。明治初期に日本政府のお雇い外国人の一人として招かれ、27年間にわたり医学を教える。天皇家の侍医となり、神奈川県の葉山に御用邸を持つことを推奨した。また草津温泉を再発見したり、伊香保温泉に別荘を設けたりした。 

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<ベルツ像>

場所:伊香保露天風呂(群馬県渋川市伊香保町伊香保湯本581)

竣工:

像高:

作者: 能登藤吉郎

撮影時: 2019年8月20日

説明:伊香保温泉の最奥部にある伊香保温泉露天風呂のさらに奥、2号源泉噴出口の脇にいる。像の台座には「若き日のベルツ」とある。のちに出てくる「草津温泉西の河原公園」や以前紹介した「東京大学」のベルツ像は、やや頭髪の生え際が後退している感じである。

 

徳冨蘆花 (1868~1927)

 作家。熊本県葦北郡水俣村(現水俣市)生まれ。兄は徳富蘇峰。本名は徳富健次郎。逗子に転居した際に書いた『不如帰』が人気となる。後半生は東京の千歳村で半農生活を送り(この地は現在都立蘆花恒春園)、ここで書いた『みゝずのたはこと』はロングセラーとなる。晩年心臓発作を起こし、伊香保温泉で療養していたが、この地で亡くなった。伊香保温泉には「徳冨蘆花記念文学館」が建てられている。 

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徳冨蘆花像>

場所:徳冨蘆花記念文学館(群馬県渋川市伊香保614-8)

竣工: 1984年12月

像高:

作者: 能登藤吉郎

撮影時: 2019年8月20日

説明:記念文学館の入り口左手にいる。終焉の地である伊香保温泉は、蘆花のお気に入りの地の一つで、しばしば逗留していたところである。亡くなったとのは温泉旅館「千明仁泉亭」で、その部屋はこの文学館の別館「記念館」として移築されている。

 

〇2代目木暮武太夫(こぐれぶだゆう) (1893~1967)

 実業家(現ホテル木暮)、戦前に衆議院議員(7期)、公職追放復帰後、戦後衆議院議員(1期)、参議院議員(当選2回)、運輸大臣となった。

群馬県北群馬郡伊香保町(現渋川市伊香保町)生まれ。その祖先は武田家の遺臣で代々郷士であり、温泉宿を営み、金貸しなどを生業としていた。父である先代木暮武太夫の長男。家は「県下唯一の金持ち」と称せられた。

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<木暮武太夫像>

場所:長峰(自然)公園(群馬県渋川市伊香保町湯中子991-20)

竣工: 1965年11月

像高:

作者: 分部順治

撮影時: 2019年8月20日

説明:伊香保温泉から榛名山へ抜ける県道渋川松井田線沿いにある「長峰自然公園」の看板部分から左手に折れたところです。地元ではヤマツツジの群落で有名らしい。私は行ったときは、すごい濃霧の中で、草刈りの人たち以外に人はいませんでした。像は寿像で、武太夫が勲章(勲一等瑞宝章)をもらった時に立てたようだ。

 

〇穂刈恒一(ほかりつねかず) (1902~1969)

 実業家。群馬県北群馬郡小野上村(現渋川市)生まれ。上京して菓子種屋(お菓子の原材料屋)に奉公した後独立し、1950年浅草に常盤堂雷おこし本舗を設立、「雷おこし」を東京浅草の銘菓に仕立てた。愛郷心が強く、故郷にピアノや車の寄付、小野上公民館やかに石幼稚園の建築費を負担するなどして、名誉村民となった。 

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 <穂刈恒一像>

場所:渋川市小野上行政センター(群馬県渋川市村上3756-3)

竣工: 1967年11月

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時: 2019年8月18日

説明:この地は旧小野上村役場。像は小野上村教育長の名で作られたようだ。政治家ではない、篤志家の名誉村民の像は珍しいかもしれない。

 

小渕恵三 (1937~2000)

 政治家。群馬県吾妻郡中之条町生まれ。父小渕光平の後を受けて、衆議院議員(12期)となり、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官(この時に「平成」の元号を発表)、外務大臣を歴任し、1998年に自民党総裁内閣総理大臣となった。 

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小渕恵三像>

場所:中之条町ツインプラザ(群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町1005-1)

竣工: 2002年5月

像高:

作者: 半田富久

撮影時: 2019年8月18日

説明:中之条町ツインプラザは、図書館と学習センターの併設施設。吾妻広域町村圏振興整備組合が2000年に作り、2002年に中之条町に移管されたもの。中之条駅から伊勢町上の信号を北上したところにある。

 

若山牧水 (1885~1928)

 歌人。宮崎県東臼杵郡東郷村(現日向市)生まれ。本名は繁。旧制中学時から短歌、俳句をはじめ、早稲田大学英文科を卒業後、本格的に活動した。旅と酒を愛し、生涯にわたって旅をして各所で歌を詠み、その関係で日本各地に牧水の歌碑が立つ。また自然を愛し、自然主義文学としての短歌を推進した。一日一升ほどの酒を呑んでいたといい、それが原因で若くして亡くなった。 

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若山牧水像>

場所:暮坂峠(群馬県吾妻郡中之条町大字入山国有林内)

竣工: 1987年(この時はブロンズ像だったが、後述の通り盗まれたため、現在は2017年制作の石像となっている)

像高: 1.4m(ブロンズ像は約1.2m)

作者: 西常雄?(2017年製の石像は斎木三男)

撮影時: 2019年8月18日

説明:暮坂峠は、牧水が1922年に花敷温泉から四万温泉へと旅した際に訪れ、歌を詠んだところで、1957年に町田浩蔵氏を中心に詩碑を建て、その傍らに西常雄氏制作のコンクリート製の像が建てられた(この像は現在「中之条町歴史と民俗の博物館ミュゼ」に展示)。その後1987年にブロンズ像に替えられた。しかし2016年7月に足首を残して切断され、盗まれてしまった。町は毎年「牧水まつり」をおこなっていて、2016年が60回目の祭りだったため、慌てて作りなおしたと思われる。像が、県道55号線「中之条草津線」の暮坂峠にある。中之条方面からくると、峠の左手の斜面に詩碑が立ち、その板面の右側に像が立つ。 

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〇コンウォール=リー (1857~1941)

 明治期から戦前に活躍したイギリス出身の女性。宣教師として1907年に来日、東京を中心に活動した後、1915年に群馬県草津を訪れ、ハンセン病患者のための多くの施設を立ち上げ、患者の生活、教育、医療に力を注いだ。 

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<コンウォール=リー像>

場所:草津頌徳公園(群馬県吾妻郡草津町大字草津266-1)

竣工: 2007年10月

像高:

作者: ㈱立体写真か?

撮影時: 2019年8月19日

説明:像の立っている頌徳公園は、リー女史がハンセン病患者のために作った公園(「リー女史の山」)を1943年草津町に寄付したもの。草津町は明治期になってハンセン病患者が多く治療のために来たが、1887年以来湯之沢集落に移住させられ、ひどい生活をしていたという。そこにリー女史が訪れ、聖バルナバ・ミッション病院ほかの施設を作って、ハンセン病患者のために奉仕することとした。その後1932年頃から栗生楽泉園の開所により、患者が収容させられ、1941年に聖バルナバ・ミッションは解散した。

 

〇エルヴィン=フォン=ベルツ  

  略

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<エルヴィン=フォン=ベルツ像>

場所:ベルツ記念館(群馬家長妻郡草津町大字草津3-9)

竣工: 2000年

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月19日

説明:草津温泉の西、「道の駅草津運動茶屋公園」に併設される形で施設はある。ベルツは、草津温泉の効用を称え、『ベルツの日記』の刊行により世界的に知られるようになった。草津町の町政施行100周年を記して、2000年にこの記念館は竣工した。

 

〇ユリウス=カール=スクリバ (1848~1905)

 ドイツ出身の外科医。明治政府のお雇い外国人として、1881年に来日、東京大学で外科学・皮膚病学・がん化学などを担当した。1901年に退職して、聖路加病院の外科主任となり、1905年に鎌倉で死去した。ベルツと同じように、スクリバも草津温泉の効用を賞賛し、氏が草津を訪れると間無料診療所を開設し、町民の信頼を得てきた。

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<ユリウス=カール=スクリバ像>

場所:ベルツ記念館(群馬家長妻郡草津町大字草津3-9)

竣工: 2000年

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月19日

説明:なお、両氏の像は、草津温泉西の河原公園(吾妻郡草津町大字草津521-3)にもある。西の河原公園のものコンクリート像であるが、これはもともと東京大学にあったものである。東京大学本郷キャンパスには両氏の像があるが、戦時中に金属供出を受けた際にコンクリート模型が作られていた。その像が両氏と草津のつながりから草津町に譲渡され、1992年に西の河原公園に設置された。両像は公園内の中央辺り右側(温泉側から入って)の斜面に並んで立っている。 

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(右がベルツ、左がスクリバ)