〇大手万平 (1830~1919)
実業家。上野国北甘楽郡馬山村(現甘楽郡下仁田町)生まれ。磯部の大手家に養子に入り、名主や各種組合長を歴任した。温泉宿「蓬莱館(鳳来館)」を創業し、磯部温泉の発展に寄与、「磯部温泉の開祖」と呼ばれる。詩人の大手拓次は万平の孫。
<大手万平像>
竣工: 1978年11月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:磯部温泉は「舌切り雀」の伝説でも有名で(明治期の児童文学者巌谷小波が現在のスタイルの「舌切り雀」を当地で書き上げた)、また地図記号の温泉マーク(♨)は、1661年に古図にこの地が書かれたのが嚆矢らしい。公園は、「舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン」の裏手にある。大手拓次をはじめ、萩原朔太郎・北原白秋・室生犀星・若山牧水など15人の詩碑が立つ。
〇桜井作次 (1913~?)
実業家。「舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン」の創業者。姉妹館の「磯部館」から独立する形で現在のホテルを立ち上げた。かなり大きなホテル。「磯部館」のベースは大手万平の「蓬莱館」だそうです。
<桜井作次像>
場所:舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン(群馬県安中市磯部1-12-5)
竣工: 1992年3月(像は1986年制作らしい)
像高:
作者: 重田照雄
撮影時: 2019年8月19日
説明:ホテル敷地内だが、入って右側の築山の一角にいて、迷惑をかけずに撮影が可能。車はホテルには停められないので、すぐ下の磯部川の河川敷の駐車場に停めた(この駐車場は、磯部川でアユの簗場が作られるときは有料になるようなので注意)。桜井作次は、詩人の大手拓次の甥で、拓次の死後に全集を編集する際に尽力したようだ。
〇半田善四郎 (1876~1951)
実業家、。群馬県安中市生まれ。半田家に養親入り、山林経営に成功し巨利を得ると、朝鮮半島でも山林や農場を経営し、朝鮮開発に寄与した。一方で、故郷の先輩新島襄を心酔し、キリスト教徒であり、同志社大学や故郷の新島学園に多額の寄付をしたり、原市中学校(現安中二中)や碓氷厚生病院(現碓氷病院)の設立に関わったりした。
<半田善四郎像>
竣工: 1961年11月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:県道216号線に面した、安中第二中学校のグラウンド側に面した門を入って左側にいる。昨今は学校敷地への立ち入りが大変うるさくなっているが、田舎はそうでもなく、ここでも門は空いていて難なく撮影することができた(と言っても工事中であったが…)。また半田は軽井沢の発展にも寄与したようだ。
〇小金沢喜與治 (生没年不詳)
農政家、政治家。群馬県生まれ。群馬県養蚕販売農業組合連合会長、蚕糸業界協会長など歴任する一方、月形村(現群馬県甘楽郡南牧村)村長や県議会議員も就任した。
<小金沢喜與治像>
竣工: 1954年12月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:貫前神社の総門前の道路反対側の公園にいる。碑文では生没年がわからないが、どうも銅像設立は、勲章をもらった時のようで、この時小金澤氏は存命だった(寿像)。
〇臼田一郎 (~1971)
農政家、政治家。群馬県生まれ。甘楽養鶏組合、甘楽医療組合を設立、農協の組合長などを歴任した。一方戦前から県議会議員を務め、富岡高校の同窓会長なども務めた。
<臼田一郎像>
竣工: 1979年5月
像高:
作者: ??大然
撮影時: 2019年8月19日
説明:JA甘楽富岡の入り口の植栽の奥にいる。
〇長岡今朝吉 (1918~2016)
実業家。群馬県甘楽郡甘楽町生まれ。若くして東京に出て、長岡工務店を設立、都内の一等地に自社ビルを建てて成功した(現長岡不動産など)。
<長岡今朝吉像>
竣工: 1998年4月
像高:
作者: 喜多敏勝
撮影時: 2019年8月19日
説明:鏑川の川近くに立つ弥勒寺にあるが、長岡家墓所及び長岡建設でかなり多くの敷地を占めている。金ぴかの像は本人の喜寿の際の寿像であった。何でも長岡家の先祖は、戦国期の大名、細川藤孝(幽斎)につながる名家のようで、直接の租である細川興秋(藤孝の二男)がこの地に逼塞した(俗説らしいが)ことから始まるらしい。一方で会社は、なんか今は細々やってる感じ…。
〇長岡福松 (1885?~1980?)
農政家。長岡今朝吉の父。先祖の細川興秋が建てたとされる地蔵尊の調査などに従事した。
<長岡福松像>
竣工: 1993年11月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:長岡今朝吉の父の像。そういえば、この寺には山種証券(現SMBC日興証券)の創業者、山崎種二の顕彰碑も立っている。1994年に息子たちが作ったようだが、本人は群馬県吉井町(現高崎市)の生まれ。この寺の鐘楼、山門などを寄贈したらしい。今は山種美術館(東京恵比寿)の方が有名か?こんなところの出身だったんですね。