銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その8

〇大手万平 (1830~1919)

 実業家。上野国甘楽郡馬山村(現甘楽郡下仁田町)生まれ。磯部の大手家に養子に入り、名主や各種組合長を歴任した。温泉宿「蓬莱館(鳳来館)」を創業し、磯部温泉の発展に寄与、「磯部温泉の開祖」と呼ばれる。詩人の大手拓次は万平の孫。 

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<大手万平像>

場所:磯部詩碑公園(群馬県安中市磯部1-12-21)

竣工: 1978年11月

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月19日

説明:磯部温泉は「舌切り雀」の伝説でも有名で(明治期の児童文学者巌谷小波が現在のスタイルの「舌切り雀」を当地で書き上げた)、また地図記号の温泉マーク(♨)は、1661年に古図にこの地が書かれたのが嚆矢らしい。公園は、「舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン」の裏手にある。大手拓次をはじめ、萩原朔太郎北原白秋室生犀星若山牧水など15人の詩碑が立つ。

 

〇桜井作次 (1913~?)

 実業家。「舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン」の創業者。姉妹館の「磯部館」から独立する形で現在のホテルを立ち上げた。かなり大きなホテル。「磯部館」のベースは大手万平の「蓬莱館」だそうです。 

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<桜井作次像>

場所:舌切り雀の宿ホテル磯部ガーデン(群馬県安中市磯部1-12-5)

竣工: 1992年3月(像は1986年制作らしい)

像高:

作者: 重田照雄

撮影時: 2019年8月19日

説明:ホテル敷地内だが、入って右側の築山の一角にいて、迷惑をかけずに撮影が可能。車はホテルには停められないので、すぐ下の磯部川の河川敷の駐車場に停めた(この駐車場は、磯部川でアユの簗場が作られるときは有料になるようなので注意)。桜井作次は、詩人の大手拓次の甥で、拓次の死後に全集を編集する際に尽力したようだ。

 

〇半田善四郎  (1876~1951)

 実業家、。群馬県安中市生まれ。半田家に養親入り、山林経営に成功し巨利を得ると、朝鮮半島でも山林や農場を経営し、朝鮮開発に寄与した。一方で、故郷の先輩新島襄を心酔し、キリスト教徒であり、同志社大学や故郷の新島学園に多額の寄付をしたり、原市中学校(現安中二中)や碓氷厚生病院(現碓氷病院)の設立に関わったりした。

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<半田善四郎像>

場所:安中第二中学校(群馬県安中市原市2245-2)

竣工: 1961年11月

像高:

作者:

撮影時:  2019年8月19日

説明:県道216号線に面した、安中第二中学校のグラウンド側に面した門を入って左側にいる。昨今は学校敷地への立ち入りが大変うるさくなっているが、田舎はそうでもなく、ここでも門は空いていて難なく撮影することができた(と言っても工事中であったが…)。また半田は軽井沢の発展にも寄与したようだ。

 

小金沢喜與治 (生没年不詳)

 農政家、政治家。群馬県生まれ。群馬県養蚕販売農業組合連合会長、蚕糸業界協会長など歴任する一方、月形村(現群馬県甘楽郡南牧村)村長や県議会議員も就任した。

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小金沢喜與治像>

場所:貫前神社前公園(群馬県富岡市一ノ宮1535)

竣工: 1954年12月

像高:

作者:

撮影時:  2019年8月19日

説明:貫前神社の総門前の道路反対側の公園にいる。碑文では生没年がわからないが、どうも銅像設立は、勲章をもらった時のようで、この時小金澤氏は存命だった(寿像)。

 

〇臼田一郎 (~1971)

 農政家、政治家。群馬県生まれ。甘楽養鶏組合、甘楽医療組合を設立、農協の組合長などを歴任した。一方戦前から県議会議員を務め、富岡高校の同窓会長なども務めた。

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<臼田一郎像>

場所:JA甘楽富岡(群馬県富岡市富岡2638-1)

竣工: 1979年5月

像高:

作者: ??大然

撮影時:  2019年8月19日

説明:JA甘楽富岡の入り口の植栽の奥にいる。

 

〇長岡今朝吉 (1918~2016)

 実業家。群馬県甘楽郡甘楽町生まれ。若くして東京に出て、長岡工務店を設立、都内の一等地に自社ビルを建てて成功した(現長岡不動産など)。 

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<長岡今朝吉像>

場所:弥勒寺(群馬県高崎市吉井町小棚467)

竣工: 1998年4月

像高:

作者: 喜多敏勝

撮影時:  2019年8月19日

説明:鏑川の川近くに立つ弥勒寺にあるが、長岡家墓所及び長岡建設でかなり多くの敷地を占めている。金ぴかの像は本人の喜寿の際の寿像であった。何でも長岡家の先祖は、戦国期の大名、細川藤孝(幽斎)につながる名家のようで、直接の租である細川興秋(藤孝の二男)がこの地に逼塞した(俗説らしいが)ことから始まるらしい。一方で会社は、なんか今は細々やってる感じ…。

 

〇長岡福松 (1885?~1980?)

 農政家。長岡今朝吉の父。先祖の細川興秋が建てたとされる地蔵尊の調査などに従事した。 

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<長岡福松像>

場所:弥勒寺(群馬県高崎市吉井町小棚467)

竣工: 1993年11月

像高:

作者:

撮影時:  2019年8月19日

説明:長岡今朝吉の父の像。そういえば、この寺には山種証券(現SMBC日興証券)の創業者、山崎種二の顕彰碑も立っている。1994年に息子たちが作ったようだが、本人は群馬県吉井町(現高崎市)の生まれ。この寺の鐘楼、山門などを寄贈したらしい。今は山種美術館(東京恵比寿)の方が有名か?こんなところの出身だったんですね。

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