〇飯塚喜和次 (1901~1977)
実業家、政治家。吉井町に生まれる。繊維工場を立ち上げ、その後群馬県議会議員(連続6期)、議長もやり、吉井町長(2期)も務める。2期目途中に亡くなった。
<飯塚喜和次像>
竣工: 1983年4月
像高:
作者: ㈱立体写真像
撮影時: 2019年8月19日
説明:急な坂を上がった公園にあるが、妙にだだっ広い感じがしたのは、本来銅像の後ろに町民福祉センターがあったため(移転して吉井町吉井495に)。
〇長谷川義治 (1908~?)
実業家、政治家。多胡郡入野町(現高崎市吉井町小串)に生まれる。戦争中は陸軍、敗戦でソ連に抑留される。帰国後、長谷川製材所をつくり、その後吉井町議会議員を経て町長になる(3期)。
<長谷川義治像>
竣工: 1987年5月
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:山の頂上付近が「牛伏山自然公園」となっている。像はその中の琴平神社の脇(NHKの牛伏山通信所の脇)にある。展望台の脇には「一郷山城」という天主があるが、むろん戦国期~江戸期に城があったわけではない。
〇高山長五郎 (1830~1886)
幕末から明治期の養蚕家。上野国緑野郡高山村(現群馬県藤岡市高山)出身。養蚕技術の向上に尽力し、「清温育」を生んだ。これが、効果があったことから周りの者が教えを請い、やがて「養蚕改良高山社」を作る。長五郎の死後、高山社の本部は藤岡市の中心部(当時の藤岡町)へと移転したが、本来の本部が長五郎の自宅であった。その地が「高山社跡」と国の史跡となり、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産となった時に、その構成資産となった。
<高山長五郎像>
竣工: 2014年5月(もともとこの日に藤岡市役所に設置された。現在地への移転は世界遺産登
録後か?)
像高:
作者:
撮影時: 2019年8月19日
説明:現在像は、「高山社跡」脇の「高山社情報館」入り口付近に立つ。ネットを検索していると、藤岡ロータリークラブが制作して市に寄贈したもので、当初は竣工のところに書いたように、藤岡市役所にいたらしい。
〇飯塚志賀 (?)
政治家。三波川村村長(35年)、群馬県議会議員、県議会議長を歴任。国から村内の国有原野の払い下げを受けるとスギやヒノキを植えて村有財産をつくった。
<飯塚志賀像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月9日
説明: 1908年から「三波川冬桜」の植樹を進め、現在の桜山公園の基礎をつくった。像は桜山公園内のほぼ中央部(第三の広場=芝生広場の脇)に立つ。
〇関孝和 (?~1708)
江戸時代の武士、和算家。上野国藤岡(現群馬県藤岡市)生まれ(江戸生まれの説もある)。若くして和算を独学した。甲府藩徳川綱重、綱豊親子に仕え、綱豊が6代将軍家宣になると、直参となり、勘定吟味役となった。その後『発微算法』で筆算による代数の計算法を編み出し、また暦の計算から当時の円周率の近似値を求めた(小数点以下第11位まで)。
<関孝和像>
竣工: 1988年
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月9日
説明:意外と小さな像である。場所を正確に言うと、中央公園と藤岡市民ホールの駐車場の境部分。すぐ隣に1929年に立った大きな顕彰碑がある。日本数学会が創設した「日本数学会関孝和賞」の副賞ではこの像のミニチュアのブロンズ像が贈られるらしい。
※これ以外に藤岡市には、「藤岡第一小学校(藤岡市藤岡1848-2)」に「井元たい」像があるが、完全に校内なので入ることができなかった。この小学校は藤岡城址で、銅像はその土塁の上にいる。