銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その13

長谷川四郎 (1905~1986年)

 政治家。群馬県山田郡大間々町(現みどり市)生まれ。群馬県議を経て、衆議院議員(14期)。農相、建設相、衆議院副議長などを歴任。

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長谷川四郎像>

場所:みどり市大間々支所(群馬県みどり市大間々町大間々1511)

竣工: 1987年1月

像高:

作者: 細野稔人

撮影時: 2019年8月20日

説明:銅の下に記された作者の文字を見ると、像そのもののできたのは1982年らしい。

 

〇石原米太郎 (1882~1961)

 実業家。群馬県山田郡大間々町(現みどり市)生まれ。八幡製鉄所に入社後、特殊鋼の熔接に取り組み、1929年に特殊製鋼を創設、この会社を大企業にした。 

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<石原米太郎像>

場所: みどり市大間々支所(群馬県みどり市大間々町大間々1511)

竣工: 1959年

像高:

作者: CHOZO.S(誰でしょう?)

撮影時: 2019年8月20日

説明:当初調べたときには見つからなかった像。長谷川四郎像が支所の駐車場奥に対し、石原米太郎像と星野新吉像は建物側にいた。

 

〇星野新吉 (1891~1975)

 実業家。群馬県山田郡大間々町(現みどり市)生まれ。小麦粉や乾麺を製造、販売する星野物産を中心とする星野グループを創業した。一方で、大間々町の交通安全協会会長を長年務め、これを㈳大間々交通センターに改組し、新庁舎を立てた。どうもその時にこの像は作られたらしい。 

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 <星野新吉像>

場所:みどり市大間々支所(群馬県みどり市大間々町大間々1511)

竣工: 1979年5月

像高:

作者: 南部祥雲

撮影時: 2019年8月20日

説明:この像は、支所の裏側にいる。

 

〇今泉嘉一郎 (1867~1941)

 研究者、実業家。上野国勢多郡東村花輪(現群馬県みどり市東町花輪)生まれ。東京帝国大学工科大学卒業後、農商務省に入省、官営八幡製鉄所の創業に従事、その後白石元治郎と日本鋼管を設立した。「日本近代製鉄の父」「近代産業の父」と呼ばれる。 

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<今泉嘉一郎像>

場所:旧花輪小学校記念館(群馬県みどり市東町花輪191)

竣工: 1952年5月(顕彰碑の銘板によると1936年7月で寿像なのだが、金属供出を受けている模様)

像高:

作者: 峯孝(当初は誰か?)

撮影時: 2019年8月20日

説明:この旅では、毎日午後になると山のほうに入ると夕立にあったが、この日もそうだった。さて、像自体は上記の通りと推測されるが、像を納めている「胸像所」は、築地本願寺などを立てた「伊東忠太」の作で、現在登録有形文化財となっている。また像の奥には「旧花輪小学校校舎」があり、現在はこの建物も登録有形文化財に指定され、「旧花輪小学校記念館」となって、見学が可能である。この建物は今泉の寄付によって建てられた。今泉はこの学校の卒業生で、ほかには童謡「ウサギとカメ」を作詞した石原和三郎がいる。

 

岡上景能(おかのぼりかげよし) (1626?~1687)

 江戸時代前期の武士。武蔵国児玉郡高柳村(現埼玉県本庄市)生まれ。江戸幕府代官として、足尾の鉱山奉行、越後魚沼郡、上野新田郡の笠懸野の用水路の整備や開墾に尽力した。笠懸野の用水路整備の費用に年貢米を流用したとの罪で、江戸に召喚命令を受け、その護送中に切腹した。 

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岡上景能像>

場所:みどり市笠懸保健センター(群馬県みどり市笠懸町鹿250)

竣工: 1994年12月

像高:

作者:

撮影時: 2013年6月9日

説明:もともと地域の発展に寄与した岡上は、近くの琴平山中腹の国瑞寺境内に忠霊塔と「岡登神社」として顕彰されてきたが、神社の土地を寺に返すこととなり、岡上の功績をさらに広めるべく、像を立てることとなったようである。像の場所は、「岩宿博物館」の表記も多いが、実際は。「みどり市笠懸保健センター」の道路の反対側の広場の一角である。市のサイトによれば、博物館とこの広場の奥の「古代の里公園」をまとめて、「岩宿の里」と呼んでいる。

 

〇相澤忠洋 (1926~1989)

 考古学者。納豆の行商などしながら、独学で考古学研究を進め、1946年に群馬県新田郡笠懸村の切通しの関東ローム層から打製石器を発見した。これによってそれまで否定されていた日本の旧石器時代の存在が証明された。 

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(相澤忠洋記念館HPより) 

<相澤忠洋像>

場所:岩宿遺跡群馬県みどり市笠懸町阿左美2403)

竣工: 2001年9月

像高:

作者: 沼野章彦

撮影時: 2013年6月9日

説明:相澤忠洋が実際に打製石器を発見した、切通しの脇の「岩宿ドーム」と呼ばれる、遺跡の保護観察施設の奥にいる。氏の紹介で使われることの多い、石器を持った姿の胸像である。なお、相澤忠洋記念館(群馬県桐生市新里町奥沢537)の館内には、八木叔子氏の作った頭像がある。