〇新田義貞 (1301?~1338)
鎌倉時代後期から南北朝時代の武士。清和源氏。上野国新田郡(現太田氏)生まれ。生誕地は諸説がある。1333年一族の足利高氏が鎌倉幕府に反旗を翻すと呼応し、本拠地上野国新田荘から鎌倉を目指し、苦戦の末鎌倉を争奪した。これにより鎌倉幕府は滅亡する。その後後醍醐天皇に従うが、尊氏(南北朝期からこの表記)との確執があり、尊氏が後醍醐天皇への反旗を翻しても続かず、後醍醐に従ったが、1338年越前国藤島において戦死した。
<新田義貞像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月4日
説明:このポーズは、義貞が鎌倉を攻めあぐねた際に、稲村ケ崎から海の神へ黄金の太刀を投じた形である。同様のポーズの像が挙兵を決めた生品神社(群馬県太田市新田市野井町1923)にある(下記写真)。こちらは2010年に盗難にあったことがあり、有名になった(現在は再建されている)。
〇高山彦九郎(1747~1793)
江戸時代の尊王思想家。上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)生まれ。尊王思想を広めるべく、全国を遊説したが受け入れられず、筑後国久留米において自刃した。蒲生君平(天皇陵の整備を幕府に献じた。また“前方後円墳”の用語の生みの親)・林子平(『海国兵談』などで海防を説いた)とともに「寛政の三奇人」と呼ばれる。
<高山彦九郎像>
竣工: 1998年
像高:
作者: 小野田勝
撮影時: 2013年6月4日
説明:生誕地に隣接した記念館の館内に立つ。高山彦九郎像は、京都三条大橋のたもとにいる、「土下座」像(実際は土下座ではなく、皇居(京都御所)に拝礼している姿)が有名。
〇新田義貞
略
<新田義貞像>
竣工: 1988年5月
像高:
作者: 分部順治
撮影時: 2013年6月4日
説明:東武太田駅が改装される前は、ロータリーはロータリーでも、現在地ではなかった。また脇に仕える武将は、弟の「脇屋義助」と言われてきたが、どうもそうではないらしい…。
〇葉住利蔵(はすみりぞう) (1866~1926)
実業家、政治家。上野国太田(現群馬県太田市)生まれ。号は松堂。1898年に新田銀行(現群馬銀行)を設立、薮塚石材軌道(現東部桐生線)を開くなど活躍し、県会議員から衆議院議員を2期務めた。晩年は金山図書館を立てるなど、郷土の振興に尽くした。
<葉住利蔵像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月4日
説明:旧金山図書館の敷地左奥に立つ。
〇中島知久平
略
<中島知久平像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月4日
説明:大変よく遺構が残っているし、整備もされている中世城址、金山城の南曲輪に立つ。金山城は1469年に新田一族の岩松家純が築城した。像の地までは徒歩で上がるしかないが、20分見当だった気がする。この地に像が立つのは、出身の太田市領域を見下ろすことができるからではないか?
〇小池生行 (?~?)
不明。
<小池生行像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2013年6月4日
説明:確か、金山城址の新田神社の近くの参道沿いにいる。石像。