徳島県シリーズを始めます。徳島県を選んだのは最近行ったからではなく、コロナ禍の中、過去の銅像データを整理し、Google Map上に銅像の位置を打ち込みながら、自分の撮りためた写真を貼ってみようかと考えたとき、量的に少なかった徳島県に白羽の矢が立ったわけです。私の調査では66体(石像などを含む)でした。先週、その地図を貼っておきましたが、そこから少しずつ紹介していこうと思います。未見の銅像が15体あるので、それは後日の掲載としましょう。では…
〇由岐玄次郎 (1841~1902)
教育者、政治家、実業家。阿波国海部郡日和佐生まれ。日和佐小学校校長、日和佐町長、徳島県議会議員を歴任。徳島水産(株)の社長にもなる。
<由岐玄次郎像>
竣工:1931年12月(1949年8月再建)
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月5日
説明: 日和佐はのんびりした町でした。浜から日和佐八幡宮の脇道を入ったところに立っています。
〇徳島岩吉 (1870~1959)
漁師、実業家。徳島県海部郡日和佐町生まれ。小学校卒業、徳島県の九州出漁団に属し、長崎県の五島列島で漁船に乗り込み、延縄業を中心に行い、やがて独立すると、底引き網漁で財を成した。その後福岡県で徳島水産(株)(現㈱トクスイコーポレーション)を設立して成功した。また日中の漁業紛争の解決に尽力した。郷土の発展のため。役場庁舎や小学校の講堂を寄付するなどした。
<徳島岩吉像>
竣工: 1957年11月
像高: 約2.8m
作者:
撮影時: 2014年1月5日
説明:私が行ったときは、日和佐城址の城山公園にいたのですが、2019年10月に移転され、現在地(大浜海岸:日和佐八幡宮前)になりました。さらに昔は旧役場前にあったという。移転の際に改修し、今は大変キレイなようだ。
〇法印 (1776~1843)
江戸時代後期の行者。阿波国海部郡日和佐生まれ。文化文政期にここ日和佐で、念動力や化け物退治など奇譚を起こしたという。幼少期は甚兵衛と呼ばれ、中年ころから治右衛門と称したらしい。
<法印像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月5日
説明:弘法寺の門前に立つ石像。法印は実在の人物で、弘法寺のホームページによれば、境内には「法印堂」があり、法印の木像もあり、遺品もたくさんあるらしい。弘法寺は真言宗の寺院なので、法印の力は密教の修行の中から生まれたもののようだ。
〇森口幸夫 (1903~1959)
実業家、政治家。徳島県海部郡由岐町(現海部郡美波町)生まれ。若くして徳島県の九州出漁団に属し、長崎県で延縄漁に従事し、その後独立し、本拠を福岡県に移した。町議会議員から戦後は県議会議員、副議長にもなった。また森口漁業㈱を作り、社長になった。
<森口幸夫像>
場所:田井ノ浜駅(住所)
竣工: 1961年3月
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月5日
説明:田井ノ浜駅のすぐ近くで、海を見つめていた。冬だったので誰もおらず、なかなか寂しい感じだったことを覚えている。田井ノ浜駅は牟岐線の駅だが、基本夏季のみ営業の臨時駅で、JR四国の路線図には記載がないらしい。
なお、由岐には「増田茂吉」像がある(由岐駅近くの「地域交流支援センター」脇の交差点辺り。また牟岐町役場に謎の像(Googleストリートビューで見つけました)と鯖瀬駅近くの鯖大師本坊に「明善上人」像がいる。