銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

徳島県編 その10

先週は、業務多忙で更新をサボってしまいました。申しわけありません。

 

〇秋田清 (1881~1944)

 政治家。衆議院議員(10期)、衆議院議長(第30代)。厚生大臣、拓務大臣を務めた。徳島県三好郡足代村(現徳島県東みよし町)出身。司法官、ジャーナリストを経て政界入り。立憲同志会立憲国民党革新倶楽部を経て、立憲政友会に属す。 

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<秋田清像>

場所:三好大橋北詰(徳島県三好市池田町州津西ノ久保付近)

竣工: 1956年11月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月6日

説明:三好大橋を渡った北側橋詰、左側に立つ。右手にシルクハットを持った立像である。

  

〇赤川庄八 (1862~1948)

 林業家。阿波国池田町川崎(現徳島県三好市池田町)生まれ。1882年酒造業を起こし、その利益で山を買い、1900年林業を始めた。1935年に山城町下川と池田町大利を結ぶ大川橋を架け、土讃線祖谷口駅を誘致するなど、地域に貢献した。 

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<赤川庄八像>

場所:赤川橋(徳島県三好市池田町祖谷口

竣工: 2014年当時はそこまで調べていないのではっきりわからないが、寿像とあるので、1948年以前であろう。

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月5日

説明:説明文中の大川橋は、その後2代目赤川庄八が1962年に町に寄付したが、老朽化に伴い2018年に通行止めとなった。なお、像が立っているところの橋は、「赤川橋」と呼ばれ、庄八が1921年ごろ架橋した。山城町西宇と西祖谷村新道を結び、現在のものは庄八の孫の庄市が1975年に架けた2代目。現在は通行止めらしい。

 

〇児泣き爺(子泣き爺)  

 妖怪。徳島県三次郡山城町(現徳島県三好市)あたりが発祥とされる(『民間伝承』に論文が載る。柳田国男も『妖怪談義』に記述がある)が、郷土史研究家によると、この地に児泣き爺の伝説はないらしい。漫画家水木しげるが「ゲゲゲの鬼太郎」で取り上げ、主人公鬼太郎をサポートする役で描かれてから、一躍有名となった。

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<児泣き爺像>

場所:児泣き爺発祥の地(徳島県三好市山城町上名)

竣工: 2001年11月

像高:

作者:

撮影時: 2014年1月6日

説明:石像である。郷土史家、多和田昌裕と地元の有志によってこの石像は立てられた。彼の研究によると、児泣き爺はこの地の伝承ではないが、かつてこの地に赤ん坊の泣き声をまねて奇声を発する実在の老人がいたことが分かっている。この話が混同していった可能性もある。

妖怪は町おこしに使われ、国道32号線から入るこの道(県道272号線)は、「妖怪街道」とされ、多くの妖怪が木像となって迎えてくれる。また国道沿いの「道の駅大歩危」内には、「妖怪屋敷と石の博物館」も作られた。また最寄り駅の土讃線大歩危駅には、児泣き爺の木像もある。また児泣き爺像

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の少し先には、「藤の里公園」があり、藤娘の像が立っている(このあたりは藤が多く、藤蔓が名産だったためらしい)。「藤娘」はもともと大津絵の画題で、その後日本舞踊で演目に取り入れたもの。 

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美馬市の美馬橋の南詰には、「真鍋博」立像(徳島県美馬郡つるぎ町半田中薮)が、吉野川北岸を少し西へ行った、美馬蚕糸館(徳島県美馬市谷口5)には、前田政太郎のレリーフ像がある。また祖谷というと有名な、祖谷渓の「小便小僧」像は、この銅像のカテゴリーに入れるかちょっと難しい。いずれも今回の探索では訪れることができなかった。