先週は岩手県銅像巡りで爆走していて休載しました。今回から鳥取県編をお届けします。境港の水木しげるロードはどうなることやら…。頑張っていきましょう!
〇林原嘉武 (1904~1990)
政治家、実業家。鳥取県議会議員、県議会議長を歴任。鳥取県漁連会長を務めた。
<林原嘉武像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2017年8月22日
説明:国道53号線に背を向けて立っている。
〇児嶋幸吉 (1857~1929)
実業家、政治家。因幡国新品治町(現鳥取市)生まれ。19歳で酒造業をはじめ、33歳で鳥取市議会議員(4期)。さらに鳥取汽船会社、鳥取瓦斯株式会社を設立、鳥取商工会議所初代会頭などを歴任した。
<児嶋幸吉像>
竣工: 2007年11月
像高: 180㎝
作者: 石谷孝二
撮影時: 2017年8月22日
説明:この鳥取ガスのショールームは「サルーテ」と呼ばれていたが、最近「エネトピアプラザ」と改称されたようだ。
〇吉川経家(きっかわつねいえ) (1547~1581)
戦国から安土桃山期の武将。毛利氏の家臣、石見吉川氏。羽柴秀吉の因幡侵攻の際、「鳥取城渇え殺し」で4か月籠城したが、最後は開城し自害した。
<吉川経家像>
竣工: 1993年10月
像高: 240㎝
作者: 奥谷俊治
撮影時: 2017年8月22日
説明:この地は鳥取城の正面にあたる。HP「鳥取Art DB Project」によれば、この像は生存する経家の子孫の方の顔を基に、イラストレーター毛利彰氏が原画を描いて、奥谷俊治氏が彫刻したものとのこと。
羽柴秀吉の因幡侵攻に対し、経家が鳥取城を守ることとなった。秀吉は鳥取城を包囲したが、それ以前から米が買い漁られていて、大変高価になっていたため、兵糧は1か月分あるかの状況だった。そこでの籠城戦となったため城内は地獄絵図となったが、経家は4か月籠城に耐えて降伏した。秀吉は経家に、自害せずともよいと伝えたが、経家は自害をした。
〇水木しげる夫妻
水木しげる氏の詳細は、後述。
<水木しげる夫妻像>
竣工: 2011年2月
像高: 50㎝
作者: 水木プロダクション
撮影時: 2017年8月22日
説明:NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のヒットを受けて設置された。水木しげるが鳥取県境港市の出身で、「水木しげるロード」が大人気となっていることから、県としても観光資源として推していくことから、設置が決まったらしい。
〇岸本辰雄 (1851~1912)
法学者、明治大学の創設者。因幡国南本寺町(現鳥取市)生まれ。鳥取藩の推薦を埋めて大学南校(現東京大学)に入学し法律を学び、フランスへ留学。帰国後判事となる。その傍ら。宮城浩蔵。矢代操らとともに明治法律学校(現明治大学)を創設し、校長となった。この間、法制局参事官、司法省参事官、大審院判事などを歴任、その後弁護士となった。
<岸本辰雄像>
竣工: 2006年5月
像高: 200㎝(台座含む)
作者: 入江博之
撮影時: 2017年8月22日
説明:鳥取市公文書館は、県立図書館と併設されている。岸本像は大通りに面している。むろん東京の明治大学にも岸本像はある。
〇遠藤董(えんどうただす) (1853~1945)
教育者、芸術家。因幡国鳥取生まれ。鳥取県教育の源流、郷土教育の父。鳥取県初の公共図書館をつくり、また女子中等教育や鳥取盲聾唖学校を設立した。
<遠藤董像>
竣工: 1952年
像高: 300㎝(台座含む)
作者: 長谷川塊記
撮影時: 2017年8月22日
説明:岸本像は公文書館脇の大通りに面しているが、遠藤像は、そこからやや引っ込んだ県立図書館入り口(箕浦家武家門)のところにひっそりと立つ。
なお、県立鳥取盲学校(鳥取市国府町宮下1265)にも胸像がある(1980年。山本兼文作)。