〇稲村三伯 (1758~1811)
江戸時代後期の蘭学者。因幡国鳥取の川端(現鳥取県鳥取市)生まれ。町医者松井如水の三男。藩医稲村家に養子に入り、長崎に留学、その後も京都で医業修行を続けた。その後大槻玄沢の『蘭学階梯』を読んで江戸へ出て、玄沢の門人となる。1796年宇田川玄真や長崎通詞の協力で、『ハルマ和解』を完成した。晩年は下総海上郡(現千葉県)など遍歴して、名を海上随鷗と改めて医業をした。
<稲村三伯像>
場所:市立遷喬小学校(鳥取市本町1-108-1)
竣工: 2011年1月
像高:
作者: 山本兼文
撮影時: 2017年8月22日
説明:レリーフ像であるが、立体感が強い。小学校の敷地内だが、道路に面していて、通りからも見ることができる。像の左には、友人香川景樹(江戸時代後期の歌人)が、三伯を讃えた和歌、「いく薬くすしき種のひとくさを豊あし原にまきし人これ」が刻まれている。
〇三橋喜久雄 (1888~1969)
昭和期の体育指導者。鳥取県高草郡内海(現鳥取市白兎)生まれ。母校鳥取師範学校の教諭を経て、東京高等師範学校の助教授、教授。のちに三橋体育研究所を設立し、スウェーデン体操を改良した「三橋生命体操」を創案して、普及に努めた。ラジオ体操第2の原案も三橋である。「日本体操の父」「体育の父」と呼ばれた。
<三橋喜久雄像>
竣工: 1973年1月
像高: 60㎝
作者: 早川巍一郎
撮影時:2017年8月22日
説明:体育指導者らしく、ランニングを着た姿の胸像である。
〇大国主命と白兎
略
<大国主命と白兎像>
竣工: 1988年
像高:
作者: 入江甲
撮影時:2017年8月22日
説明:出雲神話のなかでも一番有名な話か?白兎海岸の道の駅「神話の里白うさぎ」にも、同様なイメージの石像がある(2006年。作者不明)。
〇石破二郎(いしばじろう) (1908~1981)
官僚、政治家。鳥取県八頭郡大御門町(現鳥取県八頭郡八頭町)生まれ。東京帝国大学卒業後、内務省に入省し、警視庁関係を歴任、戦後建設省に回り、1958年に鳥取県知事(3期)、参議院議員(2期)、自治大臣、国家公安委員長となった。現自民党議員の石破茂の父。
<石破二郎像>
場所:高架記念公園(鳥取市永楽温泉町)
竣工: 1988年9月
像高: 166㎝
作者: 福嶋敬恭
撮影時: 2017年8月22日
説明:鳥取駅北口を出て右に線路沿いに進むと、鳥取中央郵便局がある。その先の「東品治町」交差点の対面におり、数段の階段の上に座っている。堂々とした座像である。見えているのに、信号の待ち時間が長くてイライラした記憶がある。
〇栗山寅蔵と静子夫妻 (栗山寅蔵:1916~2004。栗山静子は不明)
鳥取の土建会社「栗山組」創設者らしい。夫婦の銅像の下にある、妻「栗山静子」の碑文によると、寅蔵氏は「藤原寅蔵」だったが、栗山家に婿養子に入ったようだ。静子さんは戦前には両親や弟にも死に別れ、苦労しながら、寅蔵氏を立てて会社を盛り上げたようだ。
<栗山寅蔵と静子夫妻像>
場所:花虎記念公園(鳥取市古海)
竣工: 2006年4月
像高:
作者:
撮影時: 2017年8月22日
説明:逆光で顔が見えない写真となってしまった。寅蔵氏の銅像の下の銘版には、「栗山寅蔵受賞記念」とあるので、文化勲章でも貰った際の像であろうか?
〇前田俊政 (1926~1989)
社会事業家、政治家。鳥取県下味野生まれ。部落解放運動に精力的に活動し、部落解放同盟鳥取県連合会書記長、中央執行委員を歴任、鳥取市議会議員を26年間務めた。
<前田俊政像>
竣工: 1989年11月
像高:
作者:
撮影時: 2017年8月22日
説明:この像の目印は、像の立つ交差点の対面にある火の見櫓である(消防団下味野分団消防格納庫)。地域的には同和問題の舞台のようで、少し行くと「江山人権福祉センター」がある。
〇鬼塚喜八郎 (1918~2007)
実業家。鳥取県気高郡明治村(現鳥取市松上)生まれ。あるとき兵庫県教育委員会の保健体育課長から、「青少年がスポーツに打ち込めるような靴を作ってほしい」と依頼され、1949年「鬼塚商会」を作り、スポーツ用シューズの製造販売を始めた。まず「鬼塚式バスケットシューズ」で売れ行きを伸ばし、ブランド名「オニヅカタイガー」とした。その後オリンピックのランニングシューズを作り、1977年にはアシックスとなった。
<鬼塚喜八郎像>
竣工: 2019年5月
像高:
作者: 倉澤實
撮影時: 2017年8月22日
説明:市内から遠く離れた場所である。明治小学校のグラウンドを上がったすぐのところに立つ。制作した「アトリエマツダ」によると、2013年の作成らしく、「鳥取県総合運動公園内」にも同様の像がある(未撮影である)。