〇キュリー夫妻
ピエール=キュリー(1859~1906)、マリヤ=スクウォドフスカ(マリ=スクウォドフスカ=キュリー)(1867~1934)夫妻。物理化学・放射線科学・物性物理学者。放射線により原子が遷移することを初めて実証した。マリははじめて「放射能」という名を考案、「ポロニウム」を発見、「ラジウム」を抽出した。このような功績から、夫妻は1903年にノーベル物理学賞を受賞した。さらにマリは1911年にノーベル化学賞を受賞している。ピエールは、1906年交通事故で亡くなった。
<キュリー夫妻像>
場所:三朝キュリー公園(鳥取県東伯郡三朝町山田)
竣工: 2010年8月
像高: 約1.5m
作者:
撮影時: 2017年8月21日
説明:ここ三朝温泉は、ラドン含有量が多いことで有名(1ℓあたりの平均ラドン濃度は474㏈)だが、もう一つ名物があって、それが人形峠のウラン鉱山だった(2001年閉山)。そのウラン残土を加工した「ウラン煉瓦」がこの公園には敷き詰められている(大丈夫なんだろうか?もう歩いてしまったけれど…)。
(台座の煉瓦も、草ぼうぼうだが、像の周りは「ウラン煉瓦」)
〇マリ=キュリー
略
<マリ=キュリー像>
場所:キュリー広場(鳥取県東伯郡三朝町大字三朝)
竣工: 1959年
像高:
作者: 早川巍一郎
撮影時: 2017年8月21日
説明:三朝温泉の奥のほう、国民宿舎ブランナールみささ前にある広場の左手(恋谷橋のほう)にある胸像。三朝温泉では毎年「キュリー祭」が開かれ、その際にはこの像に献花がされるそうである。
〇大久保左馬之祐 (?)
平安末期の武将。源義朝の家臣。平治の乱(1159)で義朝が殺された後、家臣の左馬之祐は全国の寺社に源氏の再興を期して行脚をしていた。1164年三朝温泉の奥にある三徳山三佛寺への参詣の途中、この里で年老いた白狼を見かけ、討ち取らずに見逃したところ、その夜の夢枕に温泉の湧出場所を教えられて、三朝温泉が開湯した、という謂れがある。
<大久保左馬之祐と白狼像>
竣工: 1988年7月
像高:
作者:
撮影時: 2017年8月21日
説明:三朝温泉の奥の奥、公衆浴場の株湯の前にある。だいぶ整備されて、手前には大きな駐車場もできた。像は浴場右手の足湯の脇にあり、その脇には、温泉が湧出していたとされる「楠の木」の枯れた根が保存されている。
〇琴櫻傑將(ことざくらまさかつ) (1940~2007)
昭和期の大相撲の横綱。鳥取県東伯郡倉吉町鍛治町(現倉吉市)の出身。本名鎌谷紀雄。中学時代は柔道で活躍し、高校卒業前に佐渡ヶ嶽部屋に入門(高校は特別に卒業扱い)し(1959)、1964年に新入幕、1967年大関、1973年横綱に昇進した(32歳2か月で当時最高齢の横綱昇進)。横綱在位は8場所。引退後は佐渡ヶ嶽親方として、琴風、琴ノ若、琴欧州など多くの関取を育てた。
<琴櫻傑將像>
場所:琴櫻・赤瓦観光駐車場(鳥取県倉吉市仲ノ町2571-3)
竣工: 1999年4月
像高: 台座込みで約3.7m
作者:
撮影時: 2017年8月21日
説明:リアルタイムで見ていた力士だが、四角い顔のイメージは再現されている。近くには琴桜記念館(倉吉市魚町2518)があり、2mのFRP像がある(市でおこなわれる”桜ずもう“では、毎年会場に引っ越すらしい)が、撮ってこなかった。
〇お倉とお吉
鳥取県中部にある「打吹天女伝説」から生まれたキャラクター。「打吹商事株式会社」(市内でガソリンスタンドを経営)が自らのGS前に設置している。
<お倉とお吉像>
場所:河北小学校前SS(倉吉市海田西町1-158)
※打吹公園SS(倉吉市仲ノ町737-11)・倉吉駅前SS(倉吉市山根620-2)にもあり
竣工: 1994年12月(河北小学校前SS)
像高:
作者: 奥谷俊治
撮影時:2017年8月22日
説明:「打吹天女伝説」とは、昔舎人という狩人が、水浴びしていた天女の羽衣を隠し、舎人の妻とされる(浅津と名付けられた)。二人の間に生まれたのが、「お倉とお吉」。浅津は天のことが忘れられず、ついに隠された羽衣も見つけ、天へと帰ってしまう。残された二人の娘は、毎日近くの山に登り、笛や太鼓を鳴らしたが、母は帰らなかった。この話から、「倉吉」「打吹山」の地名が生まれた、とされるもの。
(打吹公園SS)
(倉吉駅前SS)
※これ以外に、倉吉駅前にも1体いるようだ…。