前週は、担当する運動部が大会で勝ち進んだために応援に行き、アップができませんでした。
〇水木しげる (1922~2015)
漫画家。本名武良茂。大阪府大阪市生まれ、鳥取県境港市育ち。ペンネームは、紙芝居作家時代に、神戸市で「水木荘」という貸アパートを経営していたことから。太平洋戦争に出征し、ニューギニア戦線・ラバウルで左腕を失う。復員後、生活のために始めた紙芝居作家から貸本作家となり、『ゲゲゲの鬼太郎(当初は墓場鬼太郎)』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、一躍人気漫画家となる。2010年にNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(妻武良布枝著)がヒットする。
<(山高帽をかぶった)水木しげる像>
竣工: 2006年10月
像高:
作者: 京浜にけ
撮影時: 2017年8月21日
説明:2003年に完成した水木しげる記念館入り口に立つ。右肩には”目玉の親父”が乗る。この後に紹介する妖怪像は2018年現在177体。この像はその一環として120体目の銅像として建てられた。このほかに水木しげる像は、水木しげる顕彰像および水木しげる先生執筆中像(境港駅前:境港市大正町)、隠岐へ向かう鬼太郎親子と水木しげる先生像(妖怪広場前:境港市大正町)、水木しげる夫妻像(境港市大正町74)、正福寺(境港市中野町5016)がある。また前出の鳥取県庁内にも夫妻像が置かれている。
(水木しげる顕彰像)
(水木しげる先生執筆中像)
(水木しげる夫妻像)
(正福寺の水木しげる像)
〇水木しげる(幼少期)
「のんのんばあとオレ像」とされるもの。これも水木しげる像なのだが、「のんのんばあ」こと景山ふさ(水木家に賄い婦として出入り)は、水木の幼少期に妖怪話を多く話し、これがのちの妖怪まんがに多大なる影響を与えたようなので、別項を立てた。
<のんのんばあとオレ像>
竣工: 2009年8月
像高:
作者: 京浜にけ
撮影時: 2017年8月21日
説明:訪問していないが、のんのんばあとオレ像は、島根県出雲市の一畑薬師にもある(2012年4月設置)
今回は、これ以降「水木しげるロード」に鎮座する妖怪たちの像を紹介していく。いずれも2017年8月21日の撮影である。水木しげる像を含めて177体もあるので、何回かに分けて紹介していくとしよう。地図も貼付する(境港市観光協会HPより)が、2018年にリニューアルされたので、私の並べる順番と地図上の位置は一致しないことをご容赦ください。
〇ばく…中国から日本へと伝わった伝説上の生物。人の夢を喰って生きるとされる。クマのような体にゾウのような鼻、目はサイ、尾はウシ、足はトラという感じらしい。
〇畳叩き…夜中に畳をパタパタと叩いているような音を立てることからついた名前。ある男が竹藪の石から小人のようなものが出てきてパタパタと音を立てるのを見つけ、その石を持ち帰ったところ、医師と同じ大きさのアザが顔に現れたので、祟りを恐れて石を竹藪に返すとアザは消えたという。
〇高女…普段は普通の女だが、嫉妬や男性に相手にされなかったりすると怒り、下半身を伸ばして2m以上になるという。和歌山県に木地師の女房に化けて子供や使用人を食べた「高女房」という話がある。
〇八岐大蛇(ヤマタノオロチ)…『古事記』に登場する大蛇。素戔嗚尊が下界に下ったとき、八岐大蛇に献上されそうになっていた櫛稲田毘売を救うために退治された。出雲地方の斐伊川の分流や蛇行を八岐大蛇に例えたとの説がある。
〇河童の三平・タヌキ・カッパ…『河童の三平』は、水木しげるのマンガ作品。境港市の下ノ川にカッパが住んでいるという話から作った「河童のカー坊」の話が下敷きになっているという。河童の三平は、容貌がカッパに似ているだけの少年(河原三平)。やがてカッパ(かん平)やタヌキたちと仲良くなり、生活をしていく話である。(右が三平・タヌキ、左がカッパ)