〇中条要 (?~1963)
政治家。誉水村長、大内町長を経て香川県議会議員(2期)、全国たばこ耕作組合副会長、香川県農業会議副議長を歴任。
<中条要像>
竣工:
像高:
作者: 岡田晃
撮影時:2019年1月27日
説明:当初この地区を回るにあたっての調査では発見できていなかったが、「日本の銅像探偵団」ヒロ団長のアドバイスにあった“JAの支店を探せ!”に従って、Googleストリートビューで探索している際に発見した像。その段階では銘が読めなかったが、当地を訪れて確認できた。
〇ジャン=ピエール=ランパル (1922~2000)
フランスの音楽家、フルート奏者。マルセイユ生まれ。ヴィシー劇場管弦楽団からパリ・オペラ座管弦楽団首席奏者となる。その後世界各地に演奏旅行をした。日本を好み、1964年以来35年間で25回も日本で演奏をし、日本政府から勲三等瑞宝章をもらっている。1988年に香川県志度町(現さぬき市)の志度音楽ホールの名誉館長となり、1992年には志度町の名誉町民となっている。
<ジャン=ピエール=ランパル像>
竣工: 1992年6月
像高:
作者: 池川直
撮影時: 2019年1月27日
説明:香川県志度町の名誉町民などになったのは、1987年来日の際、志度音楽ホールのリサイタルで、生涯最高の演奏ができたとのことから。館内には小ぶりながら全身像の銅像もいる。
〇フランツ=ヨーゼフ=ハイドン (1732~1809)
オーストリア(神聖ローマ帝国)の作曲家。数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、「交響曲の父」「弦楽四重奏曲の父」と呼ばれる。弦楽四重奏曲第77番の第2楽章にも用いられた皇帝賛歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律は、現在ドイツの国歌(「ドイツの歌」)に用いられている。
<フランツ=ヨーゼフ=ハイドン像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2019年1月27日
説明:館内にいる。1993年にオーストリアのアイゼンシュタット市から寄贈されたもの。旧志度町はアイゼンシュタット市と1993年に姉妹都市を結んでいた(ハイドンがコンサートをおこなったホール<ハイドンザール>が、志度音楽ホールと施設の規模や音響効果の点で高い共通性を持つため)ことから、この像が寄贈された。
〇平賀源内 (1728~1780)
江戸時代中期の武士、本草学者、蘭学者、戯作者、発明家。讃岐国寒川郡志度浦(現香川県さぬき市志度)生まれ。高松藩足軽の家に生まれる。長崎に遊学し、本草学、オランダ語、医学、油絵などを学ぶ。帰藩後、藩の役目を辞した。江戸に出た後、再び長崎に赴き、鉱山の採掘や精錬の技術を学ぶ。一時高松藩に戻るも再び辞職し、江戸でさまざまな物産博覧会を開き、田沼意次や杉田玄白、小田野直武らとも知り合う。晩年大工を斬り殺して投獄され、獄死した。
<平賀源内像>
竣工: 1934年10月
像高:
作者: 小倉右一郎
撮影時:2019年1月27日
説明:像は「平賀源内記念館」ではなく、「平賀源内旧宅」脇に立つ。記念館の説明によると、1934年に「平賀源内顕彰会」が像を建てるために旧宅の敷地を削ったとある。旧宅は源内存命時のものではなく、1862年に建て替えられたもの。なお、旧宅の奥には「源内ゆかりの薬草園」がある。また像は西向きに立っており、今回は13時ごろの撮影で逆光になってしまっているが、前回訪れた時も逆光になってしまっている(15時ごろなのに)。
(2014年時の写真)
〇柴野栗山 (1736~1807)
江戸時代の儒学者。讃岐国三木郡牟礼村(現香川県高松市牟礼町)生まれ。高松藩内で儒学を学んだあと江戸の湯島聖堂に赴き、さらに儒学を深めると徳島藩に儒学者として仕えた。江戸で徳島藩主の侍読となり、1787年に時の老中松平定信から幕府に仕えるように勧められ、以降幕府の儒官となる。「寛政の三博士」と呼ばれ(あとは尾藤二洲・岡田寒泉<のち古賀精里>)、寛政の改革において、寛政異学の禁を進め、湯島聖堂の最高責任者となった。
<柴野栗山像>
竣工: 1981年12月
像高:
作者:
撮影時:2019年1月27日
説明:レリーフ像である。「栗山記念館」は、栗山幼稚園と併設され、同像は、幼稚園の園庭に、楷の木の脇に立つ(楷の木は中国曲阜の孔子廟に植えてある。)。中央に栗山の詩碑、右がこのレリーフ像、左に栗山堂碑となっている。この地は栗山の旧宅のあったところで、栗山の死後100年を際して建立された。
『二十四の瞳』は1952年に壷井栄が発表した小説。「瀬戸内海べりの一寒村」に赴任した女性教師(大石久子=「おなご先生」)が、その小学校に入学した12人の生徒とのふれあいを軸に、日本が第二次世界大戦に突き進んだ歴史のうねりに巻き込まれていく様子を通して、戦争の悲惨さを描いた作品。原作には具体的な地名は出てこないが、壷井栄の故郷が香川県の小豆島であることから、2年後に作られた映画では小豆島が舞台となっている。
<平和の群像(二十四の瞳)像>
竣工: 1956年11月
像高:
作者: 矢野秀徳
撮影時:2019年1月27日
説明:この像は世界平和を願う気持ちを込めて、『二十四の瞳』の原作と映画をモデルに立てられたもので、中心に立つ「おなご先生」は、映画の主演の高峰秀子をモデルとしている。なお1997年に像は土庄町に寄贈された。
〇堀本文次 (1903~?)
実業家。香川県小豆郡土庄町生まれ。小豆島バスを創業、高松との航路を開拓し、「オリーブ薫る島」のキャッチフレーズを作るなど、小豆島の観光開発に励んだ。
<堀本文次像>
竣工: 1997年9月
像高:
作者: 原寛山
撮影時:2019年1月27日
説明:「平和の群像」の左側に立つ。
古代ギリシアの女神。知恵、芸術、工芸、戦略を司る。オリュンポス12神の一柱。日本では「アテナ」「アテネ」と表記することが多い。
<アテーナー像>
場所:道の駅小豆島オリーブ公園オリーブ記念館(香川県小豆郡小豆島町西村)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2019年1月27日
説明:アテーナーは、オリーブの女神であるそうで、館の中心に立つ大理石像。
〇武部吉次 (?~?)
実業家。タケサン商事㈱の創業者。長年作っていた小豆島の醤油を生かして、1945年「佃煮」を生産するが、当初は「芋づる」の佃煮だった。
<武部吉次像>
場所:タケサンフーズ本社(香川県小豆郡小豆島町苗羽甲2211)
竣工: 1996年9月
像高:
作者:
撮影時:2019年1月27日
説明:完全に逆光だったので補整をかけたが、ほとんど顔の見えない写真となってしまった。タケサン商事には「一柳庵」という記念館があり、その中には武部吉次の伝記と胸像があるようだが、スルーしてしまった。
〇「せんせあそぼ!」(二十四の瞳)像
「二十四の瞳映画村」にある群像。この施設は、1987年に撮影された映画「二十四の瞳」(主演:田中裕子・黒木瞳・松下奈緒)のロケのため作られ、その後も映画「八日目の蝉」なども撮影された。今は、昭和の懐かしスポットとして、木造校舎や壷井栄文学館、海洋堂のフィギュアギャラリーなどがある。
<「せんせあそぼ!」(二十四の瞳)像>
竣工: 1999年8月
像高:
作者:
撮影時:2019年1月27日
説明:この像は、壷井栄の生誕100周年を記念して作ったもの。おなご先生を中心に12人の子どもたちがじゃんけんをしているシーンである。
〇高山右近 (1552?~1615)
戦国期から江戸時代の武将、大名。摂津国三島郡(大阪府豊能郡豊能町)生まれか。高山友照の子。10歳でキリスト教の洗礼を受け、ジュストの洗礼名を得る。その後和田惟政、荒木村重の家臣を経て、高槻城主として織田信長に仕え、さらに信長の死後は豊臣秀吉の家臣となった。しかしバテレン追放令(1585年)が出ても信仰を捨てなかったために、領地・財産を没収され(自らその道を選んだ)、小西行長の庇護の下、一時小豆島や肥後国などに住み、その後前田利家に保護されて、金沢城の縄張りなどをした。1614年の禁教令によって、前田家に迷惑をかけることを恐れて国外追放を選び、フィリピンのマニラに向かうも、1615年当地で死亡した。
<高山右近像>
場所:カトリック小豆島教会(香川県小豆郡土庄町淵崎甲143)
竣工: 2007年移設(大阪府の玉造教会から)
像高:
作者: 西森正明
撮影時:2019年1月27日
説明:この像は1972年に高槻に立てられた像と同型で、マニラ(1977年)、富山高岡城(1987年)、石川県志賀町(1999年:高山右近の子孫が住んでいる縁から)にも同型のものがあるそうだ。この像は大阪の玉造教会から移設されたものだが、さらに調べると、元々は兵庫県西宮市のカトリック関連施設にあったものが、1997年ごろ玉造教会に移設されたそうだ。玉造教会にはすでに右近像があり、小豆島に落ち着いたという経緯があった。
〇弘法大師 (略)
空海。平安初期の僧侶。真言宗の開祖。空海は讃岐国(現香川県)生まれであるが、京都へ行くとき、帰ってきたときに必ず小豆島へ立ち寄り、修行などをした場所とされ、島内には、八十八か所に奥の院6か所を含めた、94か所の霊場がある。すべてを確認できたわけではないが、子安観音寺(香川県小豆郡土庄町大部甲2040)にも弘法大師像はある。
<弘法大師像>
竣工: 1957年再建(1909年原像あり)
像高:
作者:
撮影時:2019年1月27日
説明:ここは西光寺の奥の院で三重塔が立つ。私は行かなかったのだが、西光寺の本堂から「戒壇巡り」をすると、この奥の院(三重塔)の直下へと行くことができる(「珍寺大道場」参照 http://chindera.com/kagawa-cave-saikouji.html)。土庄の町は迷路のようになっていて、昭和の古き良き風景に出会えるようだ(やはりシャッター化しているが…)。