銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その3

〇糸より姫  (1314~1382)

 南北朝室町時代の女性。後醍醐天皇の第二皇女とされる。南北朝の争乱の中、1338年に讃岐国玉藻浦西浜に流れ着き、現地の漁師らから温かく迎えられた。その後漁師の乙吉と結ばれ、1男6女を設けたとされる。「糸より姫」とは、漁網の修理のために糸を脇で紡いでいたことから。姫の詠んだ「日に日にに網糸つぎむおぐるまの糸より浜となをのこすらむ」から、このあたりを「糸よりの浜」と呼ぶようになったとか。 

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 <糸より姫像>

場所:糸より神社(香川県高松市浜ノ町17)

竣工: 1970年10月

像高: 1.7m

作者: 新田藤太郎

撮影時:2019年1月28日

説明:高松駅から10分ほどの漁港に面した小さな神社にいる。神社の建物よりも銅像の方が大きいくらいだ。上の経歴では1314年生まれとし、後醍醐天皇の皇女としているが、あくまでも伝説上の人である。

後醍醐天皇の皇女として実在がわかっているのは、懽子内親王(1315~1362)と祥子内親王(1322?~1352?)で、二人とも伊勢神宮斎宮となっている。祥子内親王はおそらく最後の斎宮らしい。もう一人中宮の珣子内親王との間に皇女がいるが、名前が残っていない(幸子内親王という人物が比定されるらしい)。

  

生駒親正 (1526~1603)

 戦国期から江戸時代初めの武将、大名。美濃国可児郡土田(現岐阜県可児市土田)生まれ。織田信長豊臣秀吉の家臣として、長篠合戦、石山合戦などで活躍した。1587年に讃岐国を与えられ、高松城丸亀城を築城した。 

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生駒親正像>

場所:二番町公園(香川県高松市番町2-13-8)

竣工: 1996年3月

像高:

作者: 三枝惣太郎

撮影時: 2019年1月28日

説明:この地を「高松」と名付けたのは親正である。なおこの像は石像であろう。地域住民の総意で立てられたようだ。またもう少し小さな座像が、公園の反対側にある「新番丁小学校」の校長室にもあるらしい(こちらは銅像のようだ)。

  

大平正芳 (1910~1980)

 官僚、政治家。香川県三豊郡和田村(現観音寺市)生まれ。衆議院議員(11期)、内閣官房長官外務大臣通産大臣、大蔵大臣を歴任し、1978年の自民党総裁選に勝って、第68代内閣総理大臣となった。任期中に第二次石油ショックソ連アフガニスタン侵攻などがあり、また元号法を制定した。1979年の総選挙で自民党過半数を割り込むと、党内抗争(俗に「四十日抗争」)が起こり、翌年社会党が内閣不信任案を出すと、自民党内の反主流派が同調して衆議院解散となった(ハプニング解散)。この年は参議院選挙の年であったので衆参選挙となり(日程は別)、そのさ中、大平は心不全で亡くなった。その結果いわゆる「弔い選挙」となって、自民党が圧勝した。 

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大平正芳像>

場所:香川大学経済学部(香川県高松市幸町2-1)

竣工: 1971年

像高:

作者: 矢野秀徳

撮影時:2019年1月28日

説明:この像は、香川大学の同窓会である「又信会」が立てたもので、大平正芳は、香川大学経済学部の前身の高松高等商業学校の卒業生ある。像は、敷地東側の法学部門を入ってすぐ右の交友会館の脇に立つ。

このほかに、出身地の観音寺の豊浜八幡宮に全身像、豊浜公民館に胸像が立つ。

 

〇隈本繁吉  (1873~1952)

 文部官僚、教育者。福岡県生まれ。文部省入省後、朝鮮総督府事務官、台湾総督府国語学校校長を経て、高松高等商業学校の初代校長、大阪高校長、岡山第六高等学校長などを歴任した。 

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 <隈本繁吉像>

場所: 香川大学経済学部(香川県高松市幸町2-1)

竣工: 1956年11月

像高:

作者: 新田藤太郎

撮影時:2019年1月28日

説明:像は敷地北側の経済学部門を入った、南7号館の前に立つ。同窓会の「又信会」の生みの親である。

 

〇小河謙三郎 (?)

 「おごう」と呼ぶようだが、もともと小河家は高松藩下の豪商の家柄のようだ。

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<小河謙三郎像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工: 1986年12月(この日付は中央公園ができて、銅像が移転した日付であろう)

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:ここ中央公園はもともと1947年にできた中央球場の跡地(1981年廃止)で、もともとこの像は中央球場にあったものである。おそらく氏が土地を寄贈して中央球場ができたのであろう。像は公園中央に近い、石垣を模した場所にいる。

  

水原茂 (1909~1982)

 プロ野球選手、監督。香川県高松市生まれ。旧制高松商業学校(現高松商業高校)で甲子園に出場し、1925年夏と27年夏の二回優勝した。その後慶応大学に進学し、春夏通算5度の優勝。1931年、34年の大リーグ選抜来日時に全日本チームに選ばれる。1936年巨人に入団し、三塁手のレギュラーとなる。1938年には投手も務める。1950年に監督兼任となり、51~53年にリーグ三連覇、日本一。その後もリーグ制覇などをするが、1960年に東映フライヤーズの監督となり、1962年には日本一となった。1969年~71年は中日ドラゴンズの監督となった。 

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 <水原茂像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工: 1993年12月

像高:

作者: 渡邉庄三郎

撮影時:2019年1月28日

説明:かつての野球王国香川県水原茂と三原修がその両巨頭なので、この地に二人の像があるのは納得である。先に述べたとおり、この公園はもともと野球場なので、昔のホームベース付近にはその形の石が埋め込まれているらしい。後ろから写真を撮っていないが、水原の背番号は30(巨人の監督時代の背番号)。どうも戦後すぐの時代の監督は、皆30の背番号だったようだ。

 

三原脩 (1911~1984

 プロ野球選手、監督。香川県仲多度郡神野町(現まんのう町)生まれ。丸亀中学から高松中学へ転校し、1928年の夏の甲子園大会に出場、ベスト4まで進む。その後早稲田大学に入学し、二塁手として活躍する。1934年に大日本東京野球倶楽部へ入団するが、すぐ徴兵される。1936年に東京巨人軍に入団し三塁手として活躍した。戦後1947年に巨人軍の総監督、1950年には西鉄(現ソフトバンクホークス)の監督になり、54年、56~58年とリーグを制覇した。56~58年は巨人を破って日本一となっている。その後1960年に大洋(現横浜ベイスターズ)の監督となり、リーグ制覇、日本一(~67年まで監督)。1968~70年には近鉄(現楽天イーグルス)、1971~73年はヤクルトの監督となった。その後日本ハムファイターズが発足すると、代表取締役兼球団代表となった。

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三原脩像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工: 1993年12月

像高:

作者: 渡邉庄三郎

撮影時:2019年1月28日

説明:三原の像の背番号は「60」。大洋時代の背番号だ。西鉄時代から水原・三原はライバル関係と言われ、大洋では前年最下位からの優勝を遂げている。銅像は、向かって左が水原、右が三原である。なお「修」の字は、親に名付けられたのはこれであるが、西鉄監督就任時に「脩」とし、晩年には戸籍上も「脩」となったそうだ。

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中央公園のやや南、菊池寛像から中に入ったところに立つ。(両像はこのように並び立つ)
 

菊池寛 (1888~1948)

 小説家、劇作家、ジャーナリスト、実業家。「きくちかん」だが、本名は「きくちひろし」。香川県高松市生まれ。高松中学から紆余曲折を経て第一高等学校へ進む。ここには親友となる芥川龍之介久米正雄らがいた。京都帝国大学へ進み、作家となる。その後『文藝春秋』を創刊し、会社を興して社長となる。芥川の自殺後、「芥川賞」「直木賞」を創設した。 

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菊池寛像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工: 1956年10月

像高:

作者: 新田藤太郎

撮影時:2019年1月28日

説明:中央公園の北東側の通り(中央通り=国道30号線)に面して立つ。公園の北側は「菊池寛通り」と名付けられた。また高松市昭和町1-2-20にある「サンクリスタル高松」3Fには「菊池寛記念館」がある。エントランスには菊池寛の胸像がある(下記)。  

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〇国東照太 (1887~1972)

 「くにとうてるた」。政治家、実業家。1938年に高松市会議員となり、1946~67年まで高松市長。一方で「トキワグループ」の創業者でもあった。香川県香川郡中ノ村(現高松市中野町)生まれ。高松市立商業学校に入るも父の死で中退。家業の製紙業を始める。その後会社を大きくしていった。 

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<国東照太像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2014年12月6日(2014年の方がよく撮れているので)

説明:元市長だけに台座が一番しっかりしている気がするが、作者などがわからない。公園の北東角近くにいる。

 

〇玉堵象谷 (1806~1869)

 「たまかじぞうこく」。江戸末期の漆工家。本名は藤川為造、通称は正直または敬造。讃岐国高松磨屋町生まれ。父から漆と彫刻の技を習得し、高松藩主松平頼恕(よりひろ)から印籠の製作を命じられて以降松平家に仕え、玉堵姓を授かる。藩を代表する漆芸品を作るようになった。香川漆器の源流。 

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<玉堵象谷像>

場所:高松中央公園(香川県高松市番町1-11)

竣工:1958年4月

像高:

作者:新田藤太郎

撮影時:2019年1月28日

説明:中央公園の北東の駐車場出口側にいる。