銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その6

 

〇山下谷次 (1872~1936)

 政治家、教育者。香川県仲多度郡十郷町(現まんのう町)生まれ。香川、京都、東京で漢学、英語、数学を学び、東京商工学校(現埼玉工業大学)を創設、1924年から衆議院議員5期(立憲政友会)。 

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<山下谷次像>

場所:仲南小学校(香川県仲多度郡まんのう町帆山743)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:若い時は苦学をし、大久保諶之丞(のちに登場)の弟、大久保彦三郎に見いだされ、「実業学校の魁」といわれるようになったようだ。その後同郷の増田穰三(前記)の後継者と目されて、衆議院議員となった。

 

二宮忠八 (1866~1936)

 航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(現愛媛県八幡浜市矢野町)生まれ。1889年、陸軍にいるときに「飛行器」を考案。軍用として実用化につながる申請を再三軍におこなうが理解されず、以後は独自で研究を進めた。残念ながら完成には至らなかったが、ライト兄弟の発明(1903年)よりも早く「飛行機の原理」を発見したと評価されている。 

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 <二宮忠八像>

場所:道の駅空の夢もみの木パーク(香川県仲多度郡まんのう町追上358―1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:この地に忠八の像があるのは、忠八がカラスを見て飛行の原理を着想したのが、同地の樅ノ木峠だったことから。その故事からこの地には二宮飛行公園(1966年)、二宮飛行神社(1991年)と整備され、神社のすぐ下に「道の駅空の夢もみの木パーク」が作られると、敷地内に「二宮忠八飛行館」(2006年)が建てられた。

  

〇大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう) (1849~1891)

 政治家。讃岐国三野郡財田上村戸川(現香川県三豊市財田町)生まれ。この地の大地主の家に生まれ、財田村の職員から、愛媛県議会議員(のちに香川県愛媛県から分離独立すると、香川県議会議員)となる。この間に私財を投じて、道路や橋梁、用水の整備、奨学資金の貸し付け、病院建設の資金を寄贈、讃岐鉄道の計画(現在のJR四国の元の一つ。丸亀―琴平、四国では伊予鉄道に続く二番目の開通)などをおこなう。讃岐鉄道の開通式では、瀬戸大橋の構想を述べている。

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<大久保諶之丞像>

場所:香川用水公園(香川県三豊市財田町財田中2355)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:まさに「井戸塀政治家」を地でおこなった諶之丞の像は、金刀比羅宮脇の琴平公園金山寺山展望台(香川県仲多度郡琴平町)やたからだの里(香川県三豊市財田町財田上1110―8)、瀬戸大橋記念公園(香川県坂出市番の州緑町6―13)内と、同公園にある瀬戸大橋記念館内にいる。 

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(琴平公園金山寺山展望台)

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(たからだの里)※香川用水公園と同鋳型ですね…

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(瀬戸大橋記念公園)右の通り、瀬戸大橋を見ています。

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(瀬戸大橋記念館)琴平公園がモデルでしょうか?

 

〇今井浩三 (1870~1959)

 教育者、政治家。小学校校長、多度津町長を経て、香川県議を7期務めた。港湾改修、学校建設などをし、1931年には桃陵公園を造成した。

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<今井浩三像>

場所:桃陵公園(香川県仲多度郡多度津町桃山)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月28日

説明:桃陵公園は、名前の通り元は桃の木が植わっていたらしいが、今井氏は、昭和天皇の即位記念という名目で、善光寺にあった工兵隊員を出動させ、爆破演習の名目で道路の開削もしてしまったらしい。さらに桜の木を大量に植え、多度津港から日露戦争に出征する息子を見送る「一太郎やあい」の像まで立ててしまった。

  

一太郎や~い 

 日露戦争時に出征した息子を見送る老母の像。1904年8月に旅順攻囲戦の兵員補充のため、丸亀歩兵第十二連隊が出征し、そのための軍用船土佐丸が多度津港に寄港した際、わが子に一目会おうと駆け付けた母が、船に向かって「一太郎や~い、いるなら鉄砲を上げろ、家のことは心配せず、天子様(明治天皇)のために働いてこい」と叫んだ姿の像である。このエピソードは愛国美談として、1918年の「尋常小学国語読本」に掲載され、全国へと広まっていった。上記の多度津町長今井浩三が、銅像化したものである。

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一太郎や~い像>

場所:桃陵公園(香川県仲多度郡多度津町桃山)

竣工: 1943年10月(当初像は1931年6月)

像高:

作者: 神原象峰(当初像は、織田朱越)

撮影時:2019年1月28日

説明:当初はブロンズ像だったが、戦時中の金属供出でコンクリート像となった(見た目はブロンズ像に見えるが)。ちなみにこの美談は脚色されたものだが、モデルの人たちは実在し、岡田かめとその息子梶太郎である。梶太郎氏は日露戦争を生き抜き、1962年に80歳で亡くなったそうである。

 

〇琴ヶ濱貞雄 (1927~1981)

 大相撲力士。香川県三豊郡(現香川県観音寺市)出身(生まれは宮崎県)。最高位は東大関。本名宇草貞雄。得意手は左四つからの内掛け上手投げ。特に内掛けは「内掛けといったら琴ヶ濱、琴ヶ濱といったら内掛け」と言われた。同郷の初代琴錦に紹介してもらい、二所ノ関部屋に入門した(のち佐渡ヶ嶽部屋)。その後力道山に目をかけられて、猛稽古で地力をつけた。翌年入門の若乃花とは親友であり、二人の猛稽古は語り草。鍛え上げられた赤銅色の体躯と精悍な面構えで「南海の黒豹」とあだ名された。引退後は年寄・尾車を襲名した。 

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 <琴ヶ濱貞雄像>

場所:海岸寺香川県仲多度郡多度津町西白方997―1)

竣工:

像高:

作者:松本三郎(当初は神原象峰)

撮影時:2019年1月28日

説明:海岸寺の山門に下記の「大豪久照」と共に「二王(金剛力士)像」となっている。佐渡ヶ嶽部屋は所属力士に「琴」が付くが、これは初代の佐渡ヶ嶽親方(初代琴錦)が、観音寺市出身で、「琴弾八幡宮」に由来している。

  

〇大豪久照 (1937~1983)

 大相撲の力士。香川県丸亀市土居町出身。花籠部屋の所属。最高位は東関脇。本名杉山昇。得意技は左四つからの寄り、上手投げ。四股名は「杉山」→「三杉磯」→「若三杉」→「大豪」となった(本当はもうちょっとあるが…)。二子山親方(初代若乃花)の実妹と結婚した。引退後は年寄・荒磯を襲名した。 

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<大豪久照像>

場所:海岸寺香川県仲多度郡多度津町西白方997―1)

竣工:

像高:

作者: 松本三郎(当初は神原象峰)

撮影時:2019年1月28日

説明:上記の琴ヶ濱のところに書いたが、海岸寺では本当の仁王像を作るお金がなくて、郷土出身力士による仁王になったそうである。当初神原氏に作ってもらったが、あまり似ていなくて(「象徴的すぎる」という申し出があったとか)、琴ヶ濱の知り合いの松本氏が再度作ったという。

  

〇頼富實毅(よりとみじつき) (1846~1916)

 真言宗の僧侶。香川県出身。香川県本山寺(もとやまでら。四国八十八か所霊場の第70番札所)の住職となり、五重塔・本堂などの再建に尽力。その後京都勧俢寺門跡となった。 

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<頼富實毅像>

場所:本山寺香川県三豊市中町本山甲1445)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年1月29日

説明:後でまとめるつもりだが、四国八十八か所霊場巡りの各寺には弘法大師の像があることが多い。本山寺弘法大師像の撮影の目的で訪れたところ、この像があった。