銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

香川県編 その9

最初に訂正です。前回の「琴陵光煕」の設置場所の住所が違っていました。「琴平町榎井」の「榎井」はいりません。

 

アフリカ象 

 金刀比羅宮の大門から続く石畳の道、桜馬場の左側にいる。奥には今治の造船会社が奉納した巨大なスクリューもある。金刀比羅宮のある山は「象頭山」と呼ぶところも関係しているか? 

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アフリカ象像>←なんか変ですね…💦

場所:金刀比羅宮桜馬場(香川県仲多度郡琴平町

竣工: 1955年4月

像高:

作者: 小倉右一郎

撮影時:2019年1月29日

説明:「樽谷鹿太郎」という東京の方からの奉納。この方は動物サーカスの興業主だったそうで、宮城県岩沼市竹駒神社には、この地でサーカス興行をして成功した感謝として「飛躍の霊狐像」(小倉右一郎作。1956年)を奉納している。

  

〇こんぴら狗  

 江戸時代には、伊勢神宮金毘羅大権現・東西本願寺への参拝が人生のイベントとなっていた。しかしなかなかいくことが難しい人々もいた。そこで主人に代わって犬が金毘羅大権現(現在の金刀比羅宮)にお参りする風習があり、「こんぴら狗」と呼ばれていた。飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入った袋を首にかけ、旅人から旅人へとかわるがわる連れられ、街道筋の人々に世話されて、金比羅大権現へとたどり着いていたらしい。 

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<こんぴら狗像>

場所:金比羅高橋由一館前(香川県仲多度郡琴平町892―1)

竣工:

像高:

作者: 湯村輝彦デザイン

撮影時:2019年1月29日

説明:像のデザインをした湯村輝彦さんは、1970年代に「ヘタウマ絵」で一世を風靡した。糸井重里との共作での『ペンギンごはん』シリーズが有名。1994年にこんぴら狗をイメージした『走れゴン~こんぴら狗物語』という絵本を描いている。その縁でこの銅像のデザインをしたらしい。

  

坂本龍馬  略

 幕末の志士。土佐藩(現高知県)出身、以下は略してもいいでしょう。 

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坂本龍馬像>

場所:金比羅道(伊予土佐街道)牛屋口(香川県仲多度郡琴平町谷川)

竣工: 1989年

像高:

作者: 原鋳造所(原寛山か?)

撮影時:2014年12月5日

説明:この地は「伊予土佐街道」の金毘羅口で、「牛屋口(うっしゃぐち)」と呼ばれる。近代的に観光地化した金刀比羅宮の表口と違い、昔の雰囲気が色濃く残っている。後ろ側になっている右足は、かかとが浮いていて、急いで歩いている様子だとか。脱藩をした龍馬は、藩の追っ手を気にしながら歩いていただろう姿。

  

〇大塚義三郎 (?~?)

 琴平町の町長。 

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<大塚義三郎像>

場所:琴平老人の家(香川県仲多度郡琴平町榎井553近く)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2014年12月4日

説明:2014年段階では、金刀比羅宮の南側、旧金毘羅大芝居(金丸座)の南西にあったが(Googleマップではまだ存在していることになっている。しかしGoogleストリートビューではすでに更地)、琴電琴平駅の北東の榎井地区に移転している(日蓮正宗福成寺の隣地)。敷地内の西側の角にいる。写真は2014年当時のもの。 

 

〇杉田秀夫 (1931~1993)

 香川県丸亀市生まれ。本州四国連絡橋公団坂出工事事務所の初代所長。架橋工事の最大の難関であった、南北備讃瀬戸大橋の海中巨大基礎の建設にあたり、設置ケーソン工法を提唱し、自らも延べ300回を超える潜水をおこなって指揮するなどした。 

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 <杉田秀夫像>

場所:瀬戸大橋記念館(香川県坂出市番の州緑町6―13)

竣工: 1995年11月

像高:

作者: 立体写真像㈱(盛岡公彦)

撮影時:2019年1月29日

説明:瀬戸大橋の建造は、四国出身の人には本州とつながるという夢の実現であったようだ。「プロジェクトX」にも取り上げられた杉田氏の仕事ぶりは、まさに「昭和の男」の生き様だったのであろう。

 

 〇津島寿一 (1888~1967)

 官僚、政治家。愛媛県阿野郡坂出村(現香川県坂出市)生まれ。大蔵省の官僚から戦後すぐに大蔵大臣。公職追放、追放解除を経て、1953年に参議院議員2期(自由党から自由民主党)。防衛庁長官などを歴任した。

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<津島寿一像>

場所:塩竃神社下(香川県坂出市常磐町2―1―75)

竣工: 1972年10月

像高:

作者:渡辺弘行

撮影時:2019年1月29日

説明:塩竃神社は常盤公園の東側。像は神社の下の広場に北東側を向いて立つ。広場のいちばん奥には、次に紹介する久米通賢の像も立つ。

 

 〇久米通賢(くめみちかた) (1780~1841)

 江戸時代の洋学者、発明家、暦学者。讃岐国大内郡馬宿(現香川県東かがわ市)生まれ。船の舵職人の家に生まれたが、幼少時に時計を修理して周りのものを驚かした。大坂で間重富の門下となり、暦学・数学などを学び、のち高松藩の測量方として地図作成に従事した。1824年に藩主松平頼恕から藩の財政再建を依頼され、阿野郡坂出浜での塩田開発を進言、通賢は普請奉行となった。しかし藩の財政ひっ迫で思い通りに建設はできず、私財を投じる形で5年後に塩田を完成させた。この塩田は全国の塩生産の半分を占めるまでになり、藩主を喜ばせた。 

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<久米通賢像>

場所:塩竃神社下(香川県坂出市常磐町2―1―75)

竣工: 1964年か?

像高:

作者: 矢野秀徳

撮影時:2019年1月29日

説明:塩竃神社は、1829年に坂出の塩田の守護神として造られたものを、1964年にこの地に移転したもので、銅像も中央小学校の脇の塩竃神社にあったものが、戦時中の金属供出で失われ、再度作ったもの。なお坂出市塩業資料館(香川県坂出市大屋富町1772―12)にも通賢の胸像があるが、時間の関係で訪問できなかった。

  

三土忠造 (1871~1948)

 政治家。讃岐国大内郡水主村(現香川県東かがわ市)生まれ。三土家へ婿養子で入ったが、これにより本籍地が現在の坂出市となった。立憲政友会衆議院議員を長く務めた(11期)。文部大臣、鉄道大臣を歴任し、戦争期は枢密院に入った。戦後幣原喜重郎内閣で内務大臣を務めた。香川県では最初に大臣になったという。 

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 <三土忠造像>

場所:常盤公園(香川県坂出市坂出町)

竣工: 1958年4月

像高:

作者: 小倉右一郎

撮影時:2019年1月29日

説明:常盤公園は、坂出市と隣の多度津町の境にあり、山頂の展望台は多度津町なのだが、この像はその少し東側のトイレの前にあり、ここは坂出市であった。いろいろと調べていくと、生家は宮脇姓で、忠造の弟の息子に、鉄道紀行作家の宮脇俊三がいることを知って驚いた。私は彼の作品を多く読んでいた。

 

〇鎌田勝太郎 (1864~1942)

 実業家、政治家、社会事業家。讃岐国坂出村(現香川県坂出市)生まれ。号は淡翁。醤油醸造を業とする家に生まれ、若くして家業を継いだ。その後海運や塩業にも進出、銀行経営にも乗り出した。貴族院議員(4期)、衆議院議員(1期)を務めた。一方で早くから鎌田育英会を起こして、育成や慈善事業にも尽くした。 

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<鎌田勝太郎像>

場所:鎌田共済会郷土博物館(香川県坂出市本町1-1-24)

竣工:

像高:

作者: 新田藤太郎

撮影時:

説明:像の立つ施設は、予讃線の線路際にあるが、元々の博物館は1992年に壊され、現在の建物は、1922年に作られた鎌田共済会図書館だったもの(国の有形登録文化財)。像は敷地内の建物の前に立つ。館内には石膏像もあるが、訪れたときは休館日で写真は撮れていない。館には久米通賢関係の資料が豊富らしい。なお隣接する淡翁荘(勝太郎の邸宅)は、現在は四谷シモン人形館として公開されている。