銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

熊本県編 その3

加藤清正 (1562~1611)

 安土桃山期から江戸初期の武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。尾張国愛知郡中村村(現愛知県名古屋市中村区)生まれ。刀鍛冶の息子。羽柴秀吉との血縁から、秀吉に小姓として仕え、賤ケ岳の戦いでは敵将を討ち取る武功を上げ、「賤ケ岳の七本槍」の一人と呼ばれる。その後はどちらかというと財務官僚的な働きが多く、肥後国人一揆後に肥後国に入ったのも、その統治能力を評価されてのようだ。築城の名手としても有名で、熊本城はその代表作である。その統治能力の高さから領民にも慕われ、熊本では「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれている。 

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加藤清正像>

場所:八景水谷公園(熊本県北区八景水谷1-878-1)

竣工: 1925年3月(1984年に修復)

像高:

作者: 甲斐青萍(かいせいひょう)の原図を松原象雲(まつばらしょううん)が塑彫

撮影時:2018年2月2日

説明:この像は塑像である。1925年に開かれた「国産共進会」(熊本市で開かれた博覧会)の会場中央に設けられた大噴水塔の上に設置されたもの。博覧会の終了後、この公園に移設され、1984年に樹脂によって修復された。清正が治水土木を指揮した雄姿を表わしているそうだ。 

 

宮本武蔵 (1584~1645)

 江戸時代初期の武将、剣術家。二天一流兵法の開祖。出生地は多説あり、播磨国(現兵庫県加古川市兵庫県高砂市)、美作国(現岡山県美作市など)。自作の兵法書の『五輪書』によれば、多くの決闘に勝利し(吉岡一門との決闘、佐々木小次郎との巌流島の決闘など)、大坂の役、島原の乱にも出陣したとされる。1640年に熊本藩主細川忠利から客分として招かれ、熊本で亡くなった。 

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 <宮本武蔵像>

場所:武蔵塚公園熊本県北区龍田弓削1-1232)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日  

説明:武蔵塚公園宮本武蔵墓所である。一説によると、自らの死後も藩主を見守りたいという遺言から、大津街道(藩主が参勤交代で江戸に向かう時通る道)沿いのこの地に墓が作られ、籠手や脛当てなどの武具を帯びた立ち姿で葬られたと言われる。ただし、その墓所熊本市島崎(西の武蔵塚)、泰勝寺(熊本市黒髪)、岡山県英田郡など多岐に及ぶ。おそらく像のモデルは、島田美術館の肖像画だと思われる。

 

〇鳩野宗巴(はとのそうは) (1844~1917)

 江戸末期から明治期の医師。肥後国熊本生まれ。江戸時代から続く医師の家の生まれであり、銅像の人物は8代目。1868年の彰義隊の戦いに従軍し、負傷兵の治療に従事、1877年の西南戦争の際には敵味方なく負傷兵の治療にあたり、その後は医者の育成、貧民への嘱託医などをした。西南戦争前後から日本でも生まれた赤十字運動の先駆けと言われている。 

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 <鳩野宗巴像>

場所:拝聖院(熊本県北区室園町12-53)

竣工: 1999年10月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日  

説明:歴代医師だった鳩野家であるが、本来は「中島」姓であった。この初代が、江戸前期にオランダに密出国して医学を学び医者となり、佐賀藩主の飼い鳩の負傷を治して、「鳩の医者」から「鳩野」姓となったという。残念ながら10代目で医者としての血筋は絶えたという。 

 

加藤清正 略

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加藤清正像>

場所:本妙寺熊本県西区花園4-13-1)

竣工: 1960年4月再建(1935年4月に立てられるも1944年金属供出)

像高: 8.2m

作者: 北村西望

撮影時:2018年2月2日  

説明:本妙寺は、熊本藩主加藤家の菩提寺。1585年に清正の父の菩提寺として大坂に立てられ、清正の肥後入国後熊本城内に移され、清正の逝去後さらに現在地に移設された。本堂の後、300段の階段を上がると大きなこの像に会える。ただし車でも像の足元まで行けるらしい。像のいるところの高さは熊本城天守閣と同じ高さだという。像が立ったのは、清正の没後325年忌の記念事業としてのことだった。

 

〇安達謙藏 (1864~1948)

 政治家。肥後国熊本(現熊本県熊本市)生まれ。当初ジャーナリストとして朝鮮半島で新聞を発行、日清戦争にも従軍し、1895年の閔妃殺害事件にも関与した。帰国後熊本国権党を創設、衆議院議員として1902年から14回連続当選、立憲同志会に入った1914年の選挙で与党の大勝に貢献し、徳冨蘇峰から「選挙の神様」と評された。内務大臣、逓信大臣を歴任した。

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<安達謙藏像>

場所:三賢堂公園(熊本県西区島崎5-32-27)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日

説明:三賢堂は、謙藏が1936年に熊本市民の精神修養の場として建立し、堂内に菊池武時(田島亀彦作)、加藤清正朝倉文夫作)、細川重賢(長谷秀雄作)が肥後の三賢人として安置されている。今回はそのまま行ったので堂内には入れなかったが、熊本市が管理しているので、事前に連絡をすれば入ることができるようだ。また敷地内には謙藏の旧居の「原泉荘」が建っている。また1933年には横浜に八聖殿(現横浜市八聖殿郷土資料館)を設置している。「八聖」とは、キリスト・ソクラテス孔子・釈迦・聖徳太子弘法大師親鸞日蓮で、それぞれの像と安達謙藏氏の胸像がある。なお、三賢堂には駐車場はないが、下の叢桂園の駐車場を使えばいいらしい(ちょっと離れているが)。

  

夏目漱石 (1867~1916)

 明治期の小説家、英文学者。本名は夏目金之助。江戸の牛込下横町(現東京都新宿区喜久井町)生まれ。帝国大学英文科卒業後、愛媛県尋常中学校教諭、熊本県の第五高等学校教授を務めたのち、イギリスに留学し、帰国後は東京帝国大学講師となった。その傍ら『吾輩は猫である』を発表して評判となる。その後朝日新聞社に入社、様々な作品を執筆した。 

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夏目漱石像>

場所:熊本大学黒髪北キャンパス(熊本県西区黒髪2-40-1)

竣工: 1962年

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日  

説明:漱石の伸ばした左手で頭をなでてもらうと頭が良くなると言い伝えられている。

 

〇龍南健児

 旧制第五高等学校のこと。この学校が龍田山の南に位置したことから。 

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 <龍南健児像>

場所:熊本大学黒髪北キャンパス(熊本県西区黒髪2-40-1)

竣工: 1997年10月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日  

説明:旧制五高の100周年記念で立てたそうです。だいたい旧制高校の跡地に行くと、こうした像が残されていますね。

  

小泉八雲 (1850~1904)

 ギリシャ生まれ(出生当時はイギリス領、1864年ギリシャ領のレフカダ島)の新聞記者、紀行文作家、随筆家、小説家。本名はパトリック=ラフカディオ=ハーン。父はアイルランド人。1890年にアメリカの出版社の通信員として来日、そのまま日本に居つき、松江・熊本・神戸・東京で英語教師をしながら、日本文化を海外に発信し続けた。

松江時代の1891年に小泉節子と結婚、1896年に日本に帰化して、「小泉八雲」と名乗る。 

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小泉八雲像>

場所:熊本大学黒髪キャンパス(熊本県西区黒髪2-40-1)

竣工: 2004年9月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月2日  

説明:レリーフ像である。ハーンの没後100年を記念して立てられた。