銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編 その7

金田一京助 (1882~1971)

 言語学者民族学者。岩手県盛岡市生まれ。アイヌ語研究の本格的創始者東京帝国大学國學院大學の教授を歴任した。石川啄木や盛岡高等小学校(現下橋中学校)以来の親友であり、啄木の死まで交流が続いた。 

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金田一京助像>

場所:盛岡市先人記念館(岩手県盛岡市本宮蛇屋敷2-2)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年9月22日

説明: 盛岡市先人記念館は、雫石川の河川敷に近い、中央公園内にある。新渡戸稲造、米内光政と共に金田一京助が特別展示され、それ以外に多くの人々がパネル展示されている。米内光政記念室には全身像が展示されているが、撮影禁止。新渡戸稲造は胸像がある(下記に写真貼付)。ちなみに横溝正史の作った「金田一耕助」(さらにそこからスピンオフして「金田一少年の事件簿」なるマンガもあるが…)は、金田一京助がベースになるらしい。

  

〇井上喜太郎 (?~?)

 岩手県岩手郡太田村(現盛岡市)生まれ。雫石川の南側になる同地域は、盛岡とのつながりが深く、江戸初期より渡し船で行き来していた。そこで明治に入り、井上金蔵(喜太郎の父)が中心となり、沢田橋を架橋した(1910年)。しかし暴れ川の雫石川の氾濫で、毎年のように修復が必要となり、喜太郎が私財を投じて、維持管理をしていた。これは1935年にコンクリート橋が架橋されるまで続いた。現在は「太田橋」となっている。 

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 <井上喜太郎像>

場所:太田橋南詰(岩手県盛岡市太田下川原138付近)

竣工: 1970年

像高:

作者: 吉川保正

撮影時:2020年9月22日

説明: 先ほどの盛岡市先人記念館から雫石川に沿って北上すると、太田橋のかかる県道13号線にぶつかるが、これを曲がらずに直進するとすぐ左側に顕彰碑と共に像がある。

 

〇谷村長三郎 (1910~2006)

 官吏、政治家。岩手県紫波郡徳田村(現矢巾町)生まれ。徳田村書記として村役場に勤めはじめ、戦後すぐに徳田村村長となる(37歳と若い年齢での就任)。その後市町村合併矢巾村が生まれると、助役となり、1967年から矢巾町長を1991年まで務めた。

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<谷村長三郎像>

場所:矢巾田園ホール(岩手県紫波郡矢巾町大字南矢幅第13地割)

竣工: 1992年11月

像高:

作者: 長内努

撮影時:2020年9月22日

説明:これは氏が叙勲をした際に作られた寿像である。田園ホールは、矢巾町役場の西側にある文化会館。そういえば、この銅像探索の際に、前日の盛岡での様子をFacebookに挙げたら、卒業生から返信があり、この矢巾町に住んでいることが分かった。そこで、この日の夜、私の宿泊先である花巻市の駅前の居酒屋で旧交を温めたのでした。

  

〇藤原隆人 (?~?)・村松雄一郎 (?~?)・藤原一郎(

 岩手県中央南部(紫波郡)は水が乏しかったそうで、もともとは江戸時代に、鎌津田甚六という人が、雫石川に鹿妻穴堰を設け、耕地が広がったらしい。その後何回か用水路を開削し、藤原隆人(高畑家)、村松雄一郎(森家)、藤原一郎(田中家)が鹿妻幹線水路を1927年に開通させ、白沢地区などに多くの農地を発展させた。この3人は矢巾村時代の村議会議員だったらしい。 

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 <藤原隆人像><村松雄一郎><藤原一郎(レリーフ)>

場所:白沢部落会彰徳地(岩手県紫波郡矢巾町白沢第6地割175-12)

竣工: 1959年12月

像高:

作者: 吉川保正

撮影時:2020年9月22日

説明:銅像は、1959年に藤原英一、菅原長右ヱ門氏などがこの地に彰徳地を設けて、立てたもの。向かって右が藤原隆人、真ん中のレリーフが藤原一郎、左が村松雄一郎。

 この彰徳地は、矢巾町矢巾斎苑が目印となり、その駐車場から見える正面の丘の上となる。 

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〇照井源之丞 (1875~1943)

 酒造家。岩手県稗貫郡好地(現花巻市石鳥谷)生まれ。1911年に養父の照井源蔵と共に「照源酒造店(のち宝峰酒造店)」を創業し、銘酒「寶峰」を作り、日本酒の産地として石鳥谷の名を知らしめた。その後岩手県酒造組合長、県酒造組合連合会初代会長を歴任、旧石鳥谷町会議員などにも就いた。 

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<照井源之丞像>

場所:石鳥谷歴史民俗資料館(岩手県花巻市石鳥谷町中寺林第7地割7-1))

竣工: 1936年11月(現在のものは?)

像高:

作者:

撮影時:2020年9月22日

説明:この像は、岩手県酒造組合連合会がその功績を讃えて、自宅近くに立てたという。現在は石像なのだが、元の像が銅像だったかも定かではない。想像だが、もともとは銅像で、戦時中の金属供出で無くなり、戦後に石像になったのではないだろうか?

 

〇佐々木俊随 (1899~1853)

 教員、僧侶。岩手県江刺郡梁川村(現花巻市東和町)生まれ。慶吉という名だったが、少年期に稗貫郡八幡村(現花巻市石鳥谷)の光林寺で過ごし、個々の住職から得度を受け、俊随となった。成沢寺の和尚のまま、土沢小学校の校長を23年間勤めた。終戦後、戦地に行っていた息子が持ち帰った軍服をどこへでも着ていくようになり、「軍服校長」と有名になった。 

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<佐々木俊随像>

場所:成沢寺(岩手県花巻市東和町安俵10区152)

竣工: 1982年7月

像高:

作者: 荘隧附(台北市の人)

撮影時:2020年9月22日

説明:残念ながら、軍服姿ではないようだ。

  

新渡戸稲造

 略 

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新渡戸稲造像>

場所:花巻新渡戸稲造記念館(岩手県花巻市高松9-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年9月22日

説明:記念館のロビーにいる。例によってマスクを着けていたが、さすがにここのものは外せなかった。

 

宮沢賢治

 略

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宮沢賢治像>

場所:宮沢賢治記念館(岩手県花巻市矢沢第1地割1-36)

竣工: 1971年

像高:

作者: 高田博厚

撮影時:2020年9月22日

説明:盛岡市のもりおか啄木・賢治青春館にある像と同じもの。花巻は賢治の出身地であり、この記念館はなかなか充実した展示であった。また近くの「羅須地人協会」(花巻市葛第1地割1-68:花巻農業高校敷地内)にも立像があるが、コロナ禍の影響で、敷地に立ち入り禁止で、見ることができなかった。