銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編  その9

柳田國男 (1875~1962)

 民俗学者、官僚。飾磨県神東郡辻川村(現兵庫県神崎郡福崎町)生まれ。生家は松岡家であるが、大学卒業後に柳田家の養子となる。東京帝国大学卒業後、農商務省に入り、主に東北地方の農村の実態を調査・研究するようになる。そこで民俗的なものに関心を深め、岩手県遠野の佐々木喜善と知り合う中で、『遠野物語』を執筆、日本民俗学を確立していった。著書に『蝸牛考』『桃太郎の誕生』など。

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柳田國男像>

場所:とおの物語の館(岩手県遠野市中央通り2-11)

竣工:1989年10月

像高:

作者:佐藤忠良

撮影時:2020年9月23日

説明:「とおの物語の館」は、昔話蔵・柳田國男展示館(旧高善旅館という、柳田が遠野を訪れた際に滞在した宿と柳田が晩年を過ごした東京成城の旧宅を移設したものからなる)・遠野座の施設からなる。銅像は、その柳田國男展示館の脇に立つ。

 

〇カッパ群像  略

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(画面の右手前にもう1体いるが、撮り損ねている)

<カッパ群像>

場所:遠野駅(岩手県遠野市新穀町5-8)

竣工:1991年?

像高:

作者:池田宗弘

撮影時:2020年9月23日

説明:『遠野物語』には、多くのカッパの話があり、「河童淵」なるところもある(きゅうりを使ってカッパを釣ることができる)。これとは別に「太郎淵」(岩手県遠野市松崎町光興寺第2地割)というところがあり、どちらにも河童象があった(映像を見ると陶像と石像か?)ようだが、当時は気が付かずにスルーしてしまっている。駅前の像は、池の中に4体の細いカッパがたむろしている像である。

 

〇水上助三郎 (1864~1922)

 水産事業家。岩手県気仙郡吉浜(現岩手県大船渡市三陸町吉浜)生まれ。オットセイ猟や北洋のサケ・マス漁を開拓。一方で故郷の吉浜湾でのアワビ(「吉品鮑」)や大船渡湾のカキの養殖を研究、「たがやす漁業」の父と呼ばれた。また漁業の利益で山林を買うなど、漁業の育成に尽力した。

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<水上助三郎像>

場所:旧吉浜小学校(岩手県大船渡市三陸町吉浜扇洞186)

竣工: 1962年2月

像高:

作者:

撮影時:2020年9月23日

説明:髭に立派な像である。町では「恩人」扱いで、観光案内のHPにも紹介されるなど、評価が高い。像のところにあった吉浜小学校は、東日本大震災のせいか少し奥の方(高台)へ移転している。その小学校のグラウンドの崖下のような立地に像がある。

 

〇佐藤一男 (?~?)

 実業家。㈱佐賀組の創設者。佐賀組は1967年創業。

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<佐藤一男像>

場所:㈱佐賀組(岩手県大船渡市盛町田中島27-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年9月23日

説明:盛の町は大船渡の奥である。深く切れ込んだ湾になっているのだが、盛駅の辺りは津波を免れたのではないか?それよりも海側はまだ復興半ばという感じだった。たとえば、さいとう製菓㈱(「かもめの玉子」というまんじゅうで有名。岩手県大船渡市赤崎町宮野5-1の本社工場には創業者斎藤俊雄&キヌエ像があるが、今回は訪問をあきらめた)のかもめテラスという施設は、JR大船渡線の旧大船渡駅前なのだが、全く新しい施設になっていた。

 

〇境田寅之助 (?~?)

 伊手村村長(第14~16代。1918~1926)。伊手村は1899年にできたが、1955年に近隣町村と合併し、江刺町、2006年に再び合併し、現在は奥州市となっている。

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<境田寅之助像>

場所:奥州市伊手地区センター(岩手県奥州市江刺伊手西風54)

竣工: 1957年(2010年に現在地に移転)

像高:

作者:吉川保正

撮影時:2020年9月23日

説明:竣工のところに書いたが、もともとは伊手公民館にあったもの。伊手財産区が建立したそうだ。夕闇に近く、写真が暗い…。

 

〇渡辺長純 (1914~?)

 農政家、政治家。岩手県議会議員、江刺市2代目市長(1959~1967)。

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<渡辺長純像>

場所:大通り公園(岩手県奥州市江刺大通り2)

竣工:1986年12月

像高:

作者:小野寺玉峰

撮影時:2020年9月24日

説明:碑文によると、死没年はわからないが、1986年段階では亡くなっているようだ。

 

阿弖流為アテルイ) (?~802)

 奈良時代末から平安時代初期の蝦夷の族長。陸奥国胆沢(現岩手県奥州市付近)出身。

当初は朝廷に従っていたものと思われるが、789年頃から反乱を起こし、紀古佐美らが鎮圧を試みたが失敗した。802年征夷大将軍坂上田村麻呂らに降伏し、京都に送られる途中、河内国(現大阪府)において斬られた。京都の清水寺境内には、阿弖流為と母礼(モレ)の追悼碑(1994年)が建てられている。

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阿弖流為像>

場所:アテルイ広場(岩手県奥州市水沢区東大通り3―3-15)

竣工: 1992年10月

像高: 約6m

作者: 及川哲夫

撮影時:2020年9月24日

説明:この地は阿弖流為ゆかりの地だそうで、縄文土器風のモニュメントであるが、ほかに「阿弖流為」像がないのでご了承されたい。説明文によると、縄文土器の火炎土器風にしたのは、蝦夷の文化と縄文文化がリンクするからだそうだ(まだなんか書かれていたが、まあ作者の妄想と考える)。夜は目が赤く光るらしい…。

鹿島神宮には「悪路王」の面がある。

奥州市埋蔵文化財調査センターの複製「悪路王」像:

https://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_31/vol31_2fr.htm参照)同センター2F の展示室入り口には、かっこいい「胆沢城警護の鎮兵」像もあった…(上記リンクを参照してください)。

 

〇依田養七 (1889~?)

 政治家。岩屋堂町長、江刺町長、初代江刺市長を歴任、石川用水の導水を実現し、江刺猿ヶ石南部土地改良区を作った。江刺市河原町生まれ。

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<依田養七像>

場所:江刺猿ヶ石土地改良区(岩手県奥州市江刺豊田町1-11−23)

竣工: 1976年9月

像高:

作者:小野寺玉峰

撮影時:2020年9月24日

説明:当初は調査できなかったが、Googleストリートビューを見ていて発見したもの。農業地域では「土地改良区」に銅像があることが多い。今回も江刺猿ヶ石土地改良区の創設者で、この地域の首長だった人だ。確認はとれていないが、江刺は商都として発達したようで、中心部に「蔵町モール」があり、銅像の主はそこにある「旧依田養商店」と関連があるのではないか?

 

風の又三郎 

 宮沢賢治の小説『風の又三郎』の主人公。賢治の死の前年(1934年)の作品。ある谷川の岸の小さな小学校に、風の強い日に一人の少年(高田三郎)が転校してくる。少年は地域の少年たちに「風の神の子」ではないかという疑念と共に受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく、という話。

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風の又三郎像>

場所:種山高原星座の森(岩手県奥州市江刺米里字大畑66-21)

竣工: 1996年5月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年9月23日

説明:折からのアウトドアブームと訪問した日が休日だったこともあり、オートキャンプ場も併設した同地は大いに賑わっていた。ただただ像を撮りに夕方訪れるのは、恥ずかしいくらいだった。像は高原の風景にとてもマッチしていたが、元来この地は宮沢賢治が好んで訪問していて、『風の又三郎』の作品のコンセプトになっているようだ。