〇渡辺守一 (1913~?)
社会福祉家、実業家。岩手県江刺郡伊手村(現奥州市)生まれ。福祉事務所勤務後、高齢者福祉の道を広げるため老人ホームの経営を考え、社)江刺寿生会を立ち上げ、理事長となった・
<渡辺守一像>
竣工: 2003年2月
像高:
作者: 「正明」の署名があるが…
撮影時:2020年9月22日
説明:伊手地区の中心地からやや東側に行った休耕田などが広がるところに江寿園はある。HPによると、像の竣工した2003年には渡辺氏は亡くなっていたようだ。
〇松尾芭蕉 (1644~1694)
江戸時代の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)生まれ。名は忠右衛門、のち宗房。北村季吟の門下で、滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風(正風)と呼ばれる芸術性の高い句風へと改め、現在のような姿を確立した。
<松尾芭蕉像>
竣工: 1986年10月
像高:
作者: 戸津圭之介
撮影時:2020年9月22日
説明:中尊寺の金色堂の旧覆堂の近くに立つ。この地で「五月雨の降残してや光堂」の句を詠んだとされ、脇にはその説明版も立つ。また有名や「夏草や兵どもが夢の跡」は、平泉の高館で詠んだもの。
〇柵瀬軍之佐(さくらいぐんのすけ) (1869~1932)
実業家、政治家。岩手県西磐井郡中里村(現一関市)生まれ。山梨日々新聞主筆や東京毎日新聞編集長を経て、柵瀬商会を設立、また台湾でさまざまな事業を興して活躍した。1910年の第10回衆議院選挙で当選(立憲民政党)した(6回)。
<柵瀬軍之佐像>
場所:平泉文化史館(岩手県西磐井郡平泉町坂下バイパス10-7)
竣工: 1933年10月
像高:
作者: 吉川保正
撮影時:2020年9月22日
説明:中尊寺の入り口、JR平泉駅の並びにある、「平泉文化史館」の敷地内に立つ。墓所は、一関市の永泉寺にあるそうだ。
〇源義経 略
<源義経像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2020年9月22日
説明:木像である。この地は北上川の川沿いにある丘陵で、源平の争乱後兄源頼朝と喧嘩別れし、この地に追われた義経が、奥州藤原氏の藤原秀衡に与えられた居館である。
その子泰衡は、頼朝のプレッシャーに耐え切れず義経を攻めたため、義経はこの地で亡くなった。義経堂はその地に立つ。本像はこの堂の本尊扱いで、1683年に仙台藩4代藩主伊達綱村が、この堂を建てた際に作られたという。ガラスケースで覆われているため、うまく写真が撮れなかった。
〇佐藤猊巖(さとうげいがん) (1862~1941)
明治から昭和初期の政治家、教育家。岩手県東磐井郡長坂村(現一関市東山町長坂)村長。同村の生まれ。本名は衡。教職を経て、父の跡を継いで郵便局長、長坂村村長、郡会議員を歴任。父の佐藤謙治と共に、猊鼻渓を国の名勝となるように努力した。
<佐藤猊巖像>
竣工:2010年8月(像には 1991年作とのプレートあり)
像高:
作者:沖村正康
撮影時:2020年9月22日
説明:猊鼻渓の船着き場の側にいる。溪は砂鉄川の石灰岩が浸食されてできた名勝。一関は、市の東側にこの猊鼻渓、西側には厳美渓があり、厳美渓のところには市の博物館がある。ここには「蕨手剣」などが紹介されていて、なかなか面白い。
〇千葉胤秀 (1775~1849)
江戸時代の和算家、武士。陸奥国磐井郡清水村(現一関市花泉町)生まれ。数学の力が認められて一関藩士に迎えられた。「算法新書」を著す。
<千葉胤秀像>
竣工: 1992年11月
像高:
作者:西村栄一
撮影時:2020年9月22日
説明:JR東北本線の花泉駅からちょっと南下した、一関市花泉支所の入り口右側にいる。
〇高橋國治 (?~?)
政治家。薄衣村村長(明治期)。岩手県東磐井郡黄海村(現一関市藤沢町)生まれ。薄衣村の恩人とあるが、銘板の文が漢文のため読解が不能…。
<高橋國治像>
場所:一関市川崎支所(岩手県一関市川崎町薄衣諏訪前字諏訪前137)
竣工:1936年10月
像高:
作者:
撮影時:2020年9月22日
説明:像の背面の下側に文字があるが、どうもこれは作者などの説明ではなく、もともと像主の事績などを書いてあったようだ。立派な台座はそのあとで据えられたのだろうか?台座にも銘文がある。