前週は、京都の紅葉散策に出かけていてお休みでした。そして今週は、写真データがあると思ったのに、管理が杜撰で見つからなかった像を、再度探索して撮ってきたものを中心にお届けします。久しぶりに回るとずいぶんと変わっていますね。銅像は移動するものと認識していないと…。
〇鈴木三郎助 (1890~1973)
実業家。神奈川県三浦郡葉山町生まれ。鈴木商店(現味の素)の創業者鈴木三郎助(二代目)の長男で、三代目を襲名(本名三郎)、鈴木商店社長や京浜急行電鉄社長、葉山マリーナ設立など活躍した。
<鈴木三郎助像>
竣工:1974年(施設の建て替えのため、2011年7月に再設置)
像高:67㎝
作者:安田周三郎
撮影時:2021年12月12日
説明:葉山マリーナは、1964年の東京オリンピックに際し、当時の五輪担当大臣から、ヨットハーバーのあるリゾートホテルの建設を提案され、もともと工場のあったこの地に作ったとのこと。像はもともとホテル正面玄関にあったが、現在は建物正面左側の道路に背を向けてある。鈴木商店の最初の工場は、葉山町の隣の逗子市にあったが、現在は川崎市川崎区鈴木町(鈴木三郎助から)にある。
〇久米正雄 (1891~1952)
作家、劇作家。長野県上田市生まれ。その後母の実家の福島県安積郡に移る。東京帝国大学に入学後、第三次「新思潮」を創刊するなど活躍。夏目漱石の弟子となり、漱石の娘筆子に恋するものも上手くいかず、一時故郷に帰る。その後通俗小説で成功し、人気作家となる。関東大震災の時に長谷寺へ避難した縁で、この像が立つ。1925年に鎌倉に居住し、鎌倉文士として活動、鎌倉ペンクラブ初代会長となる。
<久米正雄像>
竣工: 1955年
像高:1953年10月
作者:堀進二
撮影時:2021年12月12日
説明:久米正雄の三回忌に立てられたもの。久米の忌日を「微苦笑忌」という。当初は本堂の左側の展望テラスの手前にあったが、行ってみるとなくなっており、境内を探すと、寺の入場口左のトイレ前に鎮座していた。作者の堀進二は、東大の浜尾新、古市公威像などの作がある。
〇織田幹雄 (1905~1998)
陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町生まれ。1928年のアムステルダムオリンピックの三段跳びの金メダリスト。指導者としても優れ、「陸上の神様」「日本陸上界の父」と呼ばれる。
<織田幹雄像>
竣工:1999年12月(像自体は、1948年頃の作か?)
像高:30~45㎝メートルほど
作者:杉山祐安
撮影時:2021年12月12日
説明:東慶寺の墓所の中、左側手前のところから入った一番奥にある。ちなみに隣は大松博文(東京オリンピック女子バレーボールの監督)の墓所である。像自体は小さく、名刺入れの上に鎮座している。早大陸上部が作った像であるようだ。
〇杉山和一 (1610~1694)
鍼灸師。伊勢国安濃津(現三重県津市)生まれ。本名は養慶。幼いころ病気で失明し、江戸で山瀬琢一に弟子入りするが、破門され、鍼灸と出会う。江ノ島弁財天に鍼灸術の上達を願って参篭し、満願の日に松葉を用いることに気づく。
<杉山和一像>
竣工:2020年9月
像高:
作者:(像の台座の背後に書いてあったようだが、植栽が邪魔で見ることが出来なかった)
撮影時:2021年12月12日
説明:杉山は、江島神社への月参を続け、三重塔を寄進したりした。像のモデルは、東京都墨田区の江島杉山神社にある木像で、平塚検校が作らせたものだという。生誕410年記念に作られた像。また杉山は1869年頃に江の島弁財天道標を江の島道沿いに立てたと言われている。現在12基が残っている。江の島の西浦霊園墓地に傘塔婆型の墓標があるが、杉山の死後一周忌に建てられたものという。
〇片山哲 (1887~1978)
弁護士、政治家。和歌山県田辺市生まれ。弁護士をしつつ、社会民衆党の結成に参加し、書記長となる。1930年の第17回衆議院総選挙で旧神奈川2区(川崎市と三浦半島地区)から出馬し初当選、以後当選10回を数えた。その後社会大衆党の結成に参加し、いわゆる無産政党の流れである。1945年に日本社会党が結成されると書記長に就任、翌年には初代委員長となった。1947年の第23回総選挙で日本社会党が第1党となると、内閣総理大臣となった。この内閣は民主党・国民協同党との連立内閣で、日本国憲法施行後初の内閣でもあった。しかし社会党左派の突き上げと社会主義政策の盲信から8か月という短命に終わった。
<片山哲像>
竣工: 1972年
像高:
作者: 菅沼五郎
撮影時:2009年1月18日
説明:片山は、1924年から藤沢市片瀬に居住し、藤沢市の名誉市民第一号である。