〇江成久兵衛 (1817~1900)
江戸末期から明治初めの商人、農政家。相模国高座郡田名村久所生まれ。江戸末期の田名地区は烏山藩(下野国)の支配地だったが、相模川の河岸段丘上にあるため、水が乏しかった。1858年に用水路の工事をしたが、台風で起きた洪水ですべてが無に帰した。そこで地元で水事業をしていた江成久兵衛が再度開発して、岩盤を穿ち、堤防を築いて、28年の歳月を経て成功し、田名地区に田んぼが広がった。
<江成久兵衛像>
場所:相模川ふれあい科学館(神奈川県相模原市中央区水郷田名1-5-1)
竣工:2000年10月
像高:
作者:
撮影時:2009年12月6日
説明:像は、田名公民館の当時の副館長で、久兵衛の子孫の人が、当時の服装で像のモデルになったという。米俵の上に坐っている。
〇照手姫
伝説上の姫。上溝に住む横山将監の娘。敵方の武将小栗判官と恋仲になり、照手姫は小栗の元に走り、父の横山将監は,小栗によって滅ぼされたという。
<照手姫像>
場所:ミウィ橋本7F(神奈川県相模原市緑区橋本3-28-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2016年7月2日
説明:ミウィ橋本の7F「杜のホールはしもと」入り口に立つ。照手姫は、相模原の上溝や下溝地区に伝説が残っているようで、墓は藤沢市の清浄光寺(遊行寺)の長生院にあるという(小栗判官の墓も)。小栗判官伝説は、遠く和歌山県の熊野地区にもあり(峰の湯温泉の「つぼ湯」)。さらに横浜市金沢区の六浦地区に話があるなど、全国的な話となっているようだ。
〇源義経 (1159~1189)
平安末期の武士。清和源氏。源義朝の九男。幼名は牛若丸。平治の乱で父が死に、奥州藤原氏に匿われるが、兄源頼朝の挙兵に馳せ参じ、平氏打倒の軍に入ると、摂津の一の谷、讃岐の屋島、長門の壇ノ浦と活躍し、平家滅亡を成し遂げた。しかし、その後兄の頼朝と不仲となり、奥州藤原氏を頼って逃げるも、藤原泰衡に攻められて討ち死にした。
<源義経と弁慶像>
竣工:2019年10月
像高:
作者:奈部雅昭(竹中銅器)
撮影時:2022年1月30日
説明:この地は、奥州で亡くなった義経の首が埋葬された場所に近く、義経の霊を「白旗大明神」として白旗神社になったとされる。弁慶塚もこの近くにある。
〇渡辺光治 (~1942)
海軍軍人。1942年2月の「クーパン」攻略戦で海軍特別陸戦隊として活躍し、戦死した。
<渡辺光治像>
場所:宮之前公民館の前(神奈川県藤沢市鵠沼神明3-3-17)※宮之前公民館の住所
竣工:1942年か?
像高:
作者:
撮影時:2022年1月30日
説明:万福寺近くの墓所に立つ(宮之前公民館のほぼ向かい)。この辺りは、鵠沼地区の墓所が集められたところのようで、万福寺近くの通りの両サイドに墓地が続く。渡辺光治の墓は、道路の反対側の家の脇にひっそりと立つ。太平洋戦争当初の戦死は、銅像を立てるくらいの余裕があったようだ。銅像の顔が幼いところがつらい。
〇一遍 略
<一遍像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年1月30日
説明:本堂の右側に立つ。『一遍上人絵伝』などに描かれる姿よりも優しげなお顔である。