銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

神奈川県編  その13

ガラスのうさぎ  

 高木敏子(1932~)の作者自身の実話に基づく戦時体験のノンフィクション作品の主人公。太平洋戦争の空襲において、12歳のとき目の前で、この二宮駅前でガラス職人の父を失った。両親の妹たちの33回忌に出した自費出版の『私の戦争体験』が編集者の目に留まり、この作品が生まれた。

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ガラスのうさぎ像>

場所:JR二宮駅南口(神奈川県中郡二宮町二宮833-4)※駅前の青果店の住所

竣工:1981年 8月

像高:

作者:圓鍔勝三

撮影時:2022年1月30日

説明:上記の説明の通り、著者の体験に基づくものなので、この像は高木敏子さんとしてもいいだろう。手には、母と妹たちを失った東京大空襲の際に残された、溶けて歪んだガラスのうさぎを持っている。像の立った日は、二宮駅の空襲で父を失った日である。

 

〇大森正男と米子 正男は(1907~1994)

 大森薬品の創業者。山梨県南都留郡忍野村生まれ。1962年に平塚カントリークラブ平塚コースをオープン、1965年には大磯コースも開設した(のち平塚富士見カントリークラブと改称)。大磯町に住み、大磯町観光協会会長として、吉田茂像や沢田美喜レリーフ像設立に尽力した。

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<大森正男と米子像>

場所:レイクウッドゴルフクラブ(神奈川県中郡大磯町黒岩169)

竣工:1977年9月

像高:

作者: 米林勝三(鋳造は堺幸山。製作会社は高岡鋳芸社)

撮影時:2022年1月30日

説明:像は平塚市側から入ると、クラブハウス入り口を過ぎて、大磯町側に抜ける途中の右側にある。寿像であり、銘板には自身の文もはめられている。社長とは思えない姿の像であるが、いろいろとネットを探ると、大森氏がこのゴルフコースに心血を注いだ様子が見て取れる(芝の育成の話とか)。レイクウッドゴルフクラブは、1970年に完成したゴルフコース。高級法人専用のゴルフコースのようだ。当時は隣の平塚富士見カントリーコースが高級、このレイクウッドゴルフクラブはパブリックであったようだが。

大森正男は郷土でも英雄で、出身の忍野村役場の裏手にも立像が立つ。

 

〇斎藤卯一 (?~?)

 1925年創業のサイトウミート創業者。食肉卸の会社。

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<斎藤卯一像>

場所:サイトウミート(神奈川県平塚市寺田縄235)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年1月30日

説明:新幹線の線路の近くにある。敷地内に販売店が併設されているが、その奥の自宅前に像は立つ。

 

太田道灌 (1432~1486)

 室町時代後期から戦国時代にかけて活躍した武将。武蔵守護代扇谷上杉家の家宰。諱は資長。太田資清の子。生まれは不明だが、埼玉県越生町との記録あり。父から扇谷上杉家の家宰を継ぐと、享徳の乱(1455~1483)を戦い、江戸城を構築し、長尾景春の乱を抑えた。この結果扇谷上杉家の勢力は増したが、道灌の名声も高まり、これを不満に思った主君上杉定正により、定正の居館糟谷館(神奈川県伊勢原市)に招かれ、入浴後に暗殺された。結果関東地方の混乱が高まり、北条早雲の関東介入を招いたとされる。

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太田道灌像>

場所:伊勢原市役所(神奈川県伊勢原市田中348)

竣工:1975年10月

像高:

作者:慶寺丹長

撮影時:2022年1月30日

説明:この像は相模観光株式会社が寄贈したもの。伊勢原市は「伊勢原道灌まつり」が開かれるなど、道灌押しである。道灌の殺された「糟谷館」は所在不明とされていたが、近年の研究で、大山に登る途中の「産業能率大学情報マネジメント学部」のキャンパスのある台地が該当地とされるようになった。

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岡崎義実 (1112~1200)

 平安末期から鎌倉時代初期の武将。三浦氏の傍系岡崎氏の祖。三浦義明の弟。相模国大住郡岡崎に因んで「岡崎市」を名乗る。1180年の源頼朝の挙兵に従い、石橋山の戦いでは嫡男与一義忠を失ったが、その後も頼朝に従い、御家人となった。三浦一族だが、居住地や相模西部を支配した中村宗平一族との婚姻関係などから、中村党に属すると言った方がよい。1213年の和田合戦で、岡崎氏は和田義盛方に属して敗れ、壊滅した。

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岡崎義実像>

場所:岡崎公民館(神奈川県平塚市岡崎3624)

竣工:2001年3月

像高:

作者: 「祥寛?」と読める自署があるが…

撮影時:2022年1月30日

説明:岡崎氏が住していたという「岡崎館」跡は、公民館の裏手の丘の上にある岡崎神社辺りらしい。頼朝の挙兵時に高齢だったらしく(逆算すると60歳。当時は高齢になりますね)、像も老齢の姿である。