〇大庭景義 (1128?~1210)
平安末期から鎌倉初期の武将。景能とも。桓武平氏の支流、鎌倉権五郎景正の曾孫。父は大庭景宗。大庭御厨(伊勢神宮へ寄進された荘園。今の藤沢市、寒川町、茅ケ崎市にまたがる)の中の懐島郷(現在の神奈川県茅ケ崎市辺り)を本拠とし、懐島太郎と称した。若くして源義朝に従い、保元の乱で負傷し、歩行困難となる。以降家督は弟景親に任せたが、源頼朝が挙兵すると、弟とは袂を分かち、頼朝に帰参する。草創期の鎌倉幕府において、長老格として働いた。
<大庭景義像>
場所:円蔵神明大神宮(神奈川県茅ヶ崎市円蔵2282)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2009年12月6日
説明:神明大神宮の社殿の裏にいる石像。この地は「懐島館(城)」の址と言われ、景義の住んだところ。大庭御厨が伊勢神宮に寄進されたことから、神社も伊勢神宮の末社である。
〇中村文造 (1873~1931)
農政家、官僚。神奈川県愛甲郡中津村(現愛川町)生まれ。脇島家の次男で、後に中村家に養子に入った。養蚕を中心に従事し、中津村の収入役、助役、村長を歴任、さらに郡議会議員などを務めた。
<中村文造像>
場所:小沢双葉児童遊園地(神奈川県愛甲郡愛川町角田4654付近)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2016年7月2日
説明:台座の碑文を読むと、当初はコンクリート像だったようだが、1968年に銅像に代わった。しかし近年の台風で、像に倒木が直撃したようで、2019年に複製された銅像になったようだ(竹中銅器のサイトによる)。場所は、相模川の右岸、相模原市側から高田橋を渡り、すぐに左折したところにある公園である。
〇草山貞胤 (1823~1905)
神職、報徳家。秦野市にタバコ栽培を普及させた農政家。1888年に出雲大社の分祠を建てた(当初は渋沢峠にあったが、1975年に現在地に遷る)。
<草山貞胤像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2016年9月10日
説明:境内の左奥に2体ある。一体は胸像、冠を被った姿(上記)である。もう1体は立像である(下記)。立像はおそらく1991年制作と思われる。
○関野作次郎 (1859~1935)
篤農家。農業技術者。相模国大住郡名古木(ながぬき)村(現神奈川県秦野市)生まれ。草山貞胤に師事し、1896年に栃木県煙草栽培実業教師となる。翌年生まれた神奈川県秦野市で秦野試験場技師となった。秦野に煙草栽培を普及させた。
<関野作次郎像>
場所:JAはだの本所(神奈川県秦野市平沢477)
竣工: 2010年6月?
像高:
作者:
撮影時:2016年9月10日
説明:現在も生家が残されているようだ。
〇権田直助 (1809~1887)
国学者、神道家。医者。武蔵国入間郡毛呂本郷(現埼玉県入間郡毛呂山町)生まれ。幼名は玄常。医術は野間廣春院、漢学は安積艮斎、国学は平田篤胤に学ぶ。相良総三らと尊王攘夷運動に関わり、維新後は大学校の設立に尽力し、皇典講究所文学部教授、神道本局顧問となる。晩年大山阿夫利神社および三島大社の宮司となった。
<権田直助像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2010年1月16日
説明:境内に上がり、本殿の左側にいる。いろいろと調べると廃仏毀釈に際して、けっこうと寺院の破却をしていたようだ。阿夫利神社のちょっとしたにある「大山寺」などはその影響をかなり受けただろう。なお、下社の本殿から階段を下がる途中の左側に内山岩太郎の立像もある(前述)。