銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

鹿児島県編  その8

小松帯刀 (1835~1870)

 幕末の武士、政治家。薩摩国鹿児島城下で生まれる。旧名肝付兼戈(かねたけ)。その後小松家に跡目養子として入り、小松清廉(きよかど)となる。帯刀は通称。藩主島津忠義に仕え、藩政改革に取り組み、家老となる。坂本龍馬と知り合い、薩長同盟をおこなった。明治維新後も要職を歴任したが、1870年に病没した。

小松帯刀像>

場所:清浄寺(鹿児島県日置市日吉町吉利3018)

竣工:2008年5月

像高:

作者:西俣敏弘(像の鋳型は瀬野寛の作)

撮影時:2020年3月21日

説明:FRP像である。鹿児島市にある像と同鋳型だろう。ここ清浄寺(しょうじょうじ)は、この地域の領主だった小松家の菩提寺だが、本来の菩提寺であった園林寺が廃仏毀釈で壊されたため移動している。小松帯刀墓所は旧園林寺墓地にある。帯刀は地域でも名君であったようだ。

 

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)

 『古事記』に載る日向神話に出てくる女性。日向高千穂峰に降臨した瓊瓊杵尊が、笠沙の岬で出会った美女。彼女の父は、姉の石長姫ともども瓊瓊杵尊に差し出すが、醜女だった石長姫を親元に返してしまう。その結果人類は短命(命の果てがある)になったという。

木花咲耶姫像>

場所:道の駅きんぽう木花(鹿児島県南さつま市金峰町池辺1383)

竣工: 1998年10月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月21日

説明:『古事記』に出てくる「笠沙の岬」とは、このあたりだという。姫像は、施設の近くにある。この道の駅は2009年に火事で焼失し、その後の新設らしい。

 

〇鎌田要人(かまだかなめ) (1921~2005)

 官僚、政治家。鹿児島県日置郡田布施村(現南さつま市)生まれ。東大卒業後、内務省入省、朝鮮総督府静岡県副知事、消防長官などを経て、自治事務次官となる。1977年に鹿児島県知事となる(3期)。さらに参議院議員を2期務めた。

<鎌田要人像>

場所:道の駅きんぽう木花(鹿児島県南さつま市金峰町池辺1383)

竣工:2002年11月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月21日

説明:「木花咲耶姫」像と同じ施設にあるが、鎌田像の方が施設のはずれ(南側)に立つ。

 

〇遠矢忠之 (?~?)

陸軍歩兵少佐と、肩書のみの台座名がある。陸軍からして、日露戦争の戦死者かもしれない。

<遠矢忠之像>

場所:JAさつま日置金峰(鹿児島県南さつま市金峰町尾下422)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年3月21日

説明:正式には場所に記載した農協の脇に立つが、そのあいだの道を進むと田布施小学校である。この学校は2023年3月に閉校となるようだ。胸像が学校の入り口付近に立つことから、学校と何か関係がありそうだが、台座の銘以外に情報はない。

 

〇泊賓徳 (1908~1986)

 官僚。鹿児島県川辺郡加世田町(現鹿児島県南さつま市)生まれ。加世田町に入庁後、助役、収入役を経て、2代目の加世田市長となる。その間5期すべてが無投票当選だったという。

<泊賓徳像>

場所:南さつま市役所(鹿児島県南さつま市加世田川畑2648)

竣工:1988年7月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月21日

説明:南さつま市市役所は、旧加世田市役所である。その入り口付近に立つ。

 

島津忠良 (1492~1568)

 戦国期の武将。日新斎(じっしんさい)の名で知られる島津家中興の祖。島津氏の分家、伊作家の出身。この時期の島津宗家は若死が続き、当主の忠兼(のちの勝久)は政権基盤が弱かった。当初頼った薩州家の島津実久が権力を横取りされそうになり、内紛が起こった。勝久は忠良を頼り、一時忠良の子虎寿丸を養嗣子(のちの貴久)にするが、かえって内紛が広がった。こうした中で忠良・貴久が確実に領内をまとめ上げ、息子、4人の孫(義久・義弘・歳久・家久)と共に薩摩を強国に仕立てていった。

島津忠良像>

場所:南さつま市総合保健福祉センター(鹿児島県南さつま市加世田川畑2627-1)

竣工:1997年5月

像高:

作者:茶園勝彦

撮影時:2020年3月21日

説明:南さつま市役所の反対側の入り口にある。加世田ライオンズクラブの結成35周年の記念事業である。大きな像ではなく、背後の石碑には「はかなくも明日の命をたのむかな今日も今日もと学びをばせで」との句(当人が作ったいろは歌より)が彫られている。

 

〇鮫島慶彦 (さめしまけいひこ)(1865~1928)

 政治家、実業家。薩摩国加世田(現鹿児島県南さつま市)生まれ。鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員(1期)。南薩鉄道を創設し、社長となる。また万瀬発電を完成させた。

<鮫島慶彦像>

場所:竹田神社(鹿児島県加世田武田17932)

竣工: 1963年4月

像高:

作者:朝倉響子

撮影時:2020年3月21日

説明:竹田神社の杜を私有地への払い下げ要請から守り、神社の社有林が現存している。南さつま市加世田本町の鹿児島交通の加世田バスターミナルには「南薩鉄道記念館」があり、蒸気機関車ディーゼル機関車が展示されている。南薩鉄道は1912年に創立され、1964年に経営不振から三州自動車と合併し、鹿児島交通となったが、豪雨災害もあり1984年に廃線となった。

 

 なお、「アルデンハイム加世田」(南さつま市加世田武田13877-3)という老人福祉施設は「吉井淳二記念館」でもあり、その近くに「吉井淳二」像があるが、今回は時間の都合で訪れなかった。また南さつま商工会議所(鹿児島県南さつま市加世田本町23-7)には、「本坊鶴吉」氏の像はあることをブログ作成中の調査で知った。