〇桑鶴実 (1895~1962)
実業家、政治家。鹿児島県谿山郡谷山村(現鹿児島市)生まれ。理化学研究所に勤務後、谷山町長となり、1959年の初の谷山市長選に当選。在任中に死去した。
<桑鶴実像>
場所:鹿児島市役所谷山支所(鹿児島県鹿児島市谷山中央4-4927)
竣工:1965年6月
像高:
作者:中村晋也
撮影時:2020年3月22日
説明:谷山市があったことに驚き(1957~1967)。何でも1889年の市制・町村制直後の調査では、谷山村だったが、村としては全国第2位だったらしい(第1位は大阪の難波村<ここが村なのも驚きだが…>)。なお谷山出身の宮崎茂一(衆議院議員)は、故郷に銅像を立てたが盗難に遭い(2017年)、現在は顕彰碑になっているそうだ…。
〇鶴田義行 (1903~1986)
日本のスポーツ選手。鹿児島県鹿児島郡伊敷村(現鹿児島市)生まれ。アムステルダムオリンピック(1928)およびロサンゼルスオリンピック(1932)の平泳ぎの金メダリスト(競泳での日本初の金メダリスト)。海軍に入って本格的に泳ぎを始めた。戦後は愛媛新聞社に入るとともに、水泳の普及に尽力した。
<鶴田義行像>
竣工:2002年1月
像高:
作者:
撮影時:2020年3月22日
説明:等身大像である。もともと銅像は近くの伊敷小学校に寄贈されていた(寄贈したのは鶴田の子)が、2004年にこの地に顕彰碑を建てることにあり、銅像も移設したという。銅像の首に掛かるメダルには「IXE OLYMPIADE AMSTERDAM 1928」と刻まれている。
銅像はいわゆる「海パン」(トランクスのやつ)を履いていないが、当時に写真を見ると、ノースリーブのワンピースなんですね。よく見ると肩のところにラインがあります。
〇西郷隆盛と菅実秀(すがさねひで) (1830~1903)
※西郷は別に記述。ここでは菅実秀のみ記す。
幕末の武士、庄内藩家老。戊辰戦争時は、奥羽越列藩同盟として新政府軍と対峙した。明治になり、廃藩置県後酒田県権参事となり、初めて西郷隆盛と交わる。ワッパ騒動を受けて官職を辞すと、西郷に師事し、鹿児島へ赴く。西郷の死後は、鶴岡に隠棲し、六十七銀行(現荘内銀行)や山居倉庫の設置などに関わる。晩年『南洲翁遺訓』を編纂し発刊、その普及に努めた。
<西郷隆盛と菅実秀像>
場所:西郷屋敷跡(鹿児島県鹿児島市武2-28)
竣工:1993年11月
像高:
作者:四津井工房
撮影時:2020年3月22日
説明:像のタイトルは「徳の交わり」。西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)がこの地で親睦を深め、誓ったことからくる。同様の像が山形県酒田市の南洲神社にもある。なお二人別々の像が、西郷南洲顕彰館(鹿児島市上竜尾町2-1)の別館展示学習室にもあるが、時間切れで訪問できなかった。こちらがここや酒田の像の原型である(もとは本館に展示されていた)。
〇大石兵六
江戸時代の戯作文学の主人公。作者は毛利正直(1761~1803)。薩摩藩の武士で、小姓組として藩庁に勤めるも貧乏で内職に手を染めていた。1784年に勤めを辞め、草牟田村(鹿児島市下伊敷)に隠棲し『大石兵六夢物語』を書く。この作品は、主人公「大石兵六」が、怪異にある吉野に行って、さまざまな妖怪や人間に化けた狐たちに、時には脅され時には化かされつつも、狐2匹を刀で仕留めて帰る話。この話は正直の完全オリジナルではなく、類話が多くある(研究によると中神怡顔斎<なかがみいがんさい>が原作者らしい)。1795年には刊本が出ており、それ以降も何度か出版されてきた。巖谷小波や椋鳩十、海音寺潮五郎も評価している。
<大石兵六像>
竣工:1991年3月
像高:
作者:野間口泉
撮影時:2020年3月22日
説明:この像は、物語のうち「父に化けた狐にたぶらかされる話」の像であり、「大石兵六夢物語の像」のタイトルがつく。父の尻には尻尾がある。この地は、作品の中で怪異のあった吉野の地である。なお、作者の毛利正直の生誕地(鹿児島市加治屋町)には「兵六夢物語の碑」が立つ(中村晋也作)。