〇最澄 略
<最澄像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:根本中堂の前、坂を下りて右側にある。この脇から階段を上がると「文珠楼」である。石像である。基壇には「南無根本傳教大師」と彫られている。
〇最澄(童形像) 略
<最澄像>
竣工:1937年
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:座像の石像の左側に立つ。この像は、比叡山開創1150年記念に、全国の小学校児童の1銭醵出金によって作られたという。それは最澄の遺訓に「我生まれてこのかた、口に麤言(荒々しいことば)なく、手に笞罰(笞で打つこと)せず、今我同法(道を同じくするもの)童子を打たずんば、我が大恩となさん。努力せよ、努力せよ」とあり、これが児童に対する心として、像の建設につながったらしい。この像の左には、『山家学生式』の冒頭分が掲げられている。
〇智顗(ちぎ:天台大師) (538~598)
中国南北朝時代から隋にかけての僧侶。天台宗の開祖であるが、一説には慧文、慧思に続く第三祖とする説もある。中国、日本の大乗仏教に大きな影響を与えた。
<天台大師像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:根本中堂から階段を上がった文殊楼に向かって、左側の小丘の上に立つ石像である。周りには石塔などが並ぶ。
〇中江藤樹 (1608~1648)
江戸時代の陽明学者。近江国高島郡小川村(現滋賀県高島市安曇川)生まれ。本名中江惟命(これなが)。通称は与右衛門。農家の生まれだが、武士である祖父の養子となり、加藤貞泰に仕える。貞泰が伊予大洲藩に国替えになると、移住するが、1634年に母への孝行と健康上の理由(藤樹は喘息持ちだった)から藩に辞職を願うが、拒絶され、脱藩し故郷に戻る。故郷で私塾藤樹書院を開く。当初は朱子学に傾倒したが、やがて陽明学の影響を受け、「格物致知論」を究明する。後世において「近江聖人」と崇められた。
<中江藤樹像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:良知館は、藤樹書院後の脇に立つ施設で、見学者のための休憩所である。数台分の駐車場も完備する。この施設の北側が藤樹書院の跡である。石で作ったオブジェの中に小さな中江藤樹がいる。2022年は、雨のせいと琵琶湖の湖西の道路が混雑していて、高島市近郊の諸銅像を周れないと判断し、ここ「良知館」と「道の駅あどがわ」以外は断念した。
断念した像①中江藤樹像(安曇川駅東口・安曇小学校および青柳小学校<幼少
期>)
②王陽明(陽明園)
③安原仁兵衛(安曇川駅西口)
④藤本太郎兵衛(道の駅新旭風車村)
⑥前田健造(朽木ゴルフ倶楽部)
〇中江藤樹 略
<中江藤樹像>
場所:道の駅藤樹の里あどがわ(滋賀県高島市安曇川町青柳1162-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:この像は、少年だった藤樹が、母の手にできた「あかぎれ」を心配して、よく効く塗り薬を持って、一人遠い伊予国大洲(愛媛県)から家に帰ってきたときの場面である。道の駅では、「藤樹先生孝養像」となっている。
〇ガリヴァ―
18世紀のアイルランドの作家、ジョナサン・スウィフトによる小説、『ガリヴァー旅行記』の主人公。
<ガリヴァー像>
竣工:1992年
像高:7.5m
作者:
撮影時:2022年10月9日
説明:JR近江高島駅の駅前広場(高島駅前ガリバーメルヘン広場)に立つ巨大な像。ここは比良山系の中に「カリバー青少年旅行村」があり、それにちなんで作られた。小説の一場面である、リリパット国(小人国)の一場面を表している。なお写真が撮れなかったが、湖西線近江高島駅の1番線下りホームにもガリヴァー像がある。