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〇吉田虎之助 (1868~1945)
政治家。立憲政友会選出の衆議院議員(2期)。滋賀県栗太郡常盤村(現草津市)生まれ。農業を営み、常盤村会議員、同村長、栗太郡会議員、滋賀県会議員を経て、衆議院へ。琵琶湖の水産物販売、治水などに尽力した。また琵琶湖で淡水真珠の養殖を研究した。
<吉田虎之助像>
竣工:1960年10月
像高:
作者:森大造
撮影時:2019年10月13日
説明:琵琶湖の湖岸に近い古い街並みの中にある「橘堂」という小さなお堂の脇に立つ。このお堂には、平安中期のちょっと面白い造型の三面六臂の観音菩薩立像が安置されている。このお堂は、吉田・白井両家の管理で、この「吉田家」が、虎之助の出た家である。
〇宇野宗佑 (1922~1998)
政治家。滋賀県野洲郡守山町(現守山市)生まれ。実家は造り酒屋(荒長)。第75代内閣総理大臣。第二次世界大戦ではシベリアに抑留された。戦後滋賀県議会議員、県議会副議長を経て、衆議院議員(12期)。防衛庁長官、科学技術庁長官、通産大臣、外務大臣を経て、総理大臣となった。しかし総理大臣就任と共に、女性スキャンダルが表面化し、在任69日で辞任した。
<宇野宗佑像>
竣工:2002年11月
像高:
作者:田畑功
撮影時:2019年10月13日
説明:女性スキャンダルのイメージしかないが、政治家としては有能だったようだ。しかし人格的にやや問題があったのかもしれない。また市民ホール内にもあるらしい(胸像か?)。現在実家は、守山宿の中にあり、市が管理する「うの家」となっている。
〇北村季吟 (1625~1705)
江戸時代の歌人、俳人、和学者。名は静厚。通称は久助。近江国野洲郡北村(現滋賀県野洲市)生まれ。当初は医学を修め、松永貞徳らから俳諧を学ぶ。『源氏物語湖月抄』などを著して、幕府歌学方となる。門人に松尾芭蕉ら。
<北村季吟像>
竣工:1963年6月
像高:
作者:三宅善夫
撮影時:2019年10月13日
説明:野洲文化ホールの正面階段脇に立つ。像の原画は、新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ:京都市下京区玉津島町。『千載和歌集』を編纂した藤原俊成の邸宅跡)の肖像画のようだ。なお生誕地に近い祇王小学校(野洲市上屋1169)校内には、季吟の子ども時代の像がある。野洲市は「北村季吟」を推している。
〇森野茂祐 (1893~1977)
役人、政治家。栗東町の初代町長。滋賀県栗太郡葉山村生まれ。県議会議員を経て栗東町長へ(2期8年)。東名高速栗東インターの設置や新産業都市となるなど、街の発展に寄与した。
<森野茂祐像>
竣工: 1981年7月
像高:
作者: 谷丸仏光?
撮影時:2019年10月13日
説明:栗東市役所の正面に立つ。
〇シンザン (1961~1996)
日本の競走馬、種牡馬。北海道浦河町生まれ。史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬(1964年皐月賞・日本ダービー・菊花賞)。さらに19656年には天皇賞(秋)・有馬記念で優勝したため、日本の競馬史上初の「五冠馬」の称号が与えられた。19戦15勝。2着4回(3着以下がない)。引退後種牡馬として浦河の谷川牧場で過ごし、35歳の長寿を誇った。
<シンザン像>
場所:栗東トレーニングセンター入り口(滋賀県栗東市御園817-4)※近くの店の住所
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2019年10月13日
説明:京都競馬場、横浜根岸森林公園の馬の博物館、北海道浦河の谷川牧場にも銅像が立っている。
〇藤左衛門 (?)
安土桃山時代の鋳物師。真鍮の元祖。いわれは、この地に住んでいた藤左衛門という貧しい百姓が、広徳寺の本尊、庚申尊に願をかけると、満願成就の日に「銅と亜鉛をまぜる合金の法」を授けられ、真鍮の精錬が始まったと。1599年に京都に出た藤左衛門は、これによって巨万の富を得たという。
<藤左衛門像>
竣工: 1956年10月(元の像は1922年。1944年金属供出)
像高:
作者:清水禮四郎
撮影時:2019年10月13日
説明:広徳寺は「山上庚申さん」と呼ばれ、銅業関係者の信仰が高かったが、2013年に本堂が焼失、2017年に本堂の再建が相成った。元は783年最澄(伝教大師)の創建、藤左衛門が成功後、1616年に堂宇を再建したという由来がある。
〇野崎忠左衛門 (1854~1897)
明治期の公共事業家。近江国蒲生郡日野町鎌掛生まれ。生地の鎌掛周辺の山の所有権をめぐり、江戸時代から続く争論を収拾し、鎌掛村長となる。
<野崎忠右衛門像>
竣工:1968年4月
像高:
作者:山本恪二
撮影時:2019年10月13日