〇宗祇 (1421~1502)
室町時代の連歌師。俗説に姓を飯尾とする。号は自然斎、種玉庵。出生地は紀伊説と近江説があるが、近年近江の守護六角氏の重臣、伊庭氏の出であるとされているようだ。宗祇はあちこちを漂泊し、歌を詠んでいった。京都南部の水瀬八幡宮や岐阜県の郡上八幡、むろん紀伊にも(紀伊説だと和歌山県有田郡有田川町下津野=紀伊国藤波荘生まれ)。死んだのは神奈川県箱根の早雲寺。墓所は静岡気県裾野市の定輪寺。また『古今和歌集』の解釈を秘伝の形で伝える「古今伝授」を東常縁から受け、三条西実隆と肖柏に授けた。
<宗祇像>
竣工:2004年
像高:
作者:
撮影時:2012年4月29日
説明:連歌とは、二人以上の人で一つの和歌を詠み、さらにそれを繋げていく芸能。作品集に『新鮮菟玖波集』『水無瀬三吟百韻』など。石像であるこの像は、国立歴史民俗博物館の寿像やWikipediaに載る山口県立山口博物館蔵の姿ではなく、ボストン美術館蔵の「伝宗祇像」が元のようだ。
〇一柳満喜子 (1884~1969)
大正期から昭和期のキリスト教教育者。近江兄弟社で知られるウイリアム・メレル・ヴォールズの妻で、近江兄弟社学園の創設者。子爵一柳末徳の3女。アメリカに留学し、キリスト教の洗礼を受ける。兄の自宅設計をしていたヴォールズと出会い、結婚する。
<一柳満喜子像>
場所:近江兄弟社中学・高等学校(滋賀県近江八幡市市井町177)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2012年4月29日
説明:近江兄弟社中・高(学校法人ヴォーリズ学園)の前庭にいる。背後にはハイド記念館(ヴォーリズの設計、近江兄弟社の前身である、清友園幼稚園の園舎)の前である。
アメリカの建築家、社会事業者、キリスト教伝道者。アメリカカンザス州レブンワース生まれ。1905年に滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)に英語教師として来日。1908年建築事務所を開き、日本各地に西洋建築の設計を手掛けた。1919年に一柳満喜子と結婚。ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人として、メンソレータム(現在はロート製薬の商標。近江兄弟社は「メンターム」として販売)を広く普及させたり、キリスト教青年会(YMCA)活動を通して「近江ミッション」を設立し、プロテスタントの布教活動に従事したりした。またハモンドオルガンを日本に紹介するなどした。1941年に日本に帰化し、「一柳米来留(メレル)」と名乗った。近江八幡市の名誉市民。
<ヴォーリズ像>
場所:ヴォーリズメモリアルポケットパーク(滋賀県近江八幡市大杉町元34-1)
竣工:2003年4月
像高:180㎝
作者:西森方昭
撮影時:2012年4月29日
説明:ポケットパークは、近江兄弟社の本社ビルの前。聖書を持ち、少女はヴェールズに花をささげようとしている。ヴェールズが近江八幡市の名誉市民になったときの場面をそのまま銅像にしたという。
〇豊臣秀次
略
<豊臣秀次像>
竣工:1979年11月
像高:
作者:
撮影時:2012年4月29日
説明:ネット上の情報では、あまり人が来ない場所にあるので、駅前など他の場所への移築計画があるよう。八幡山城址である八幡山の山頂という手もありかもしれない。