銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

静岡県編   その19

先週は失礼しました。学校の中学生体験授業などでバタバタしていました。ちなみに体験授業では「銅像から見る日本史」というタイトルでやりました。

 

田沼意次 (1719~1788)

 江戸中後期の旗本、大名。江戸幕府の老中。江戸幕府9代将軍徳川家重、10代将軍徳川家治側用人から老中になった。遠江相良藩の初代藩主。江戸本郷弓町生まれ。田沼時代と呼ばれる、幕政改革をおこなった。これは商業を重視する財政改革であった。

田沼意次像>

場所:牧之原市役所相良庁舎(静岡県牧之原市相良275)

竣工:2021年5月

像高:2㍍(台座を入れると3㍍)

作者:なし(説明を読むべし!)

撮影時:2025年7月6日

説明:この像は、牧之原資料館所蔵の「田沼意次」を元に、40代の壮年期の姿(なかなか端整な顔立ちです)を3D化するという、新しい製作法によるもので、割と安価でできたのではないだろうか?相良へは治世中一度しか戻らなかったと言うが、領内の評判は良かったようで、「賄賂政治家」のイメージと違い、「名君」だったのではないだろうか?

 

三浦環 (1884~1946)

 女性歌手。旧姓柴田環。日本で初めて世界的名声をつかんだオペラ歌手。東京府東京史京橋区(現東京都中央区)生まれ。東京音楽学校に入学し、日本人の手による初めてのオペラに成功した。その後東京音楽学校の声楽の助教授となる。また帝国劇場のプリマドンナとして活躍する。その後医師と再婚し、ドイツへ留学し、第一次世界大戦の戦火を逃れるためにイギリスへ移住。そこで「蝶々夫人」を演じて好評を博す。その後アメリカなどでも活躍し、「蝶々夫人」の出演は2000回を超える。1935年に帰国、第二次世界大戦時は山中湖に疎開した(山中湖にも三浦環像ができた)。

三浦環像>

場所:御前崎市民会館(静岡県御前崎市池新田5585)

竣工:2025年2月

像高:

作者:増田幸雄

撮影時:2025年7月6日

説明:ちなみ静岡県御前崎市は、両親の出身地である。銅像は上記他に長崎市のグラバー邸にあり、こちらも「蝶々夫人」を演じている像である。

 

 

〇山本平三郎 (1887~1962)

 実業家。静岡県榛原郡相良町出身。静岡県特産の「やぶきた茶」をより美味しくするために、茶の「深蒸し製法」を編み出した。

<山本平三郎像>

場所:小堤山公園(静岡県牧之原市波津632-6)

竣工:1981年4月

像高:

作者:恭平(名字がわからず)

撮影時:2025年7月6日

説明:ちなみに「深蒸し製法」とは、牧ノ原台地の茶葉が苦渋みが強いことから生まれた製法で、通常よりも蒸し時間を長くし、香気が優しく味が濃厚で、色が濃い緑色になるもの。

当日は公園内で子どものイベントをおこなっており、ちょっと場違いな感じでした。

 

水野成夫(みずのしげお) (1899~1972)

 実業家、文学者、翻訳家、社会運動家静岡県小笠郡佐倉村(現静岡県御前崎市)生まれ。東京帝国大学卒業後、共産党に入党し、赤旗の初代編集長となる。三・一五事件で検挙され、転向する。その後はフランス文学の翻訳を中心に活動する。戦後経済同友会幹事となり、さらに鹿内信隆と共にフジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)を創設し、初代社長となる。さらに産経新聞を買収し、フジサンケイグループの基盤を築いた。

水野成夫像>

場所:池宮神社(桜ヶ池公園)(静岡県御前崎市佐倉5162)

竣工:2001年11月

像高:

作者:山本正道か?

撮影時:2025年7月6日

説明:桜が池は、敏達天皇時代に瀬織津姫が出現したとされるところで、それに由来して池宮神社が建てられた。1169年には比叡山皇円阿闍梨が入水し、龍神になったとされる。そこから秋の彼岸の中日に、池に赤飯のお櫃を沈めるという「お櫃納め」の奇祭がおこなわれている。ちなみに池は砂が溜まって水を堰き止めたと考えられる。

 

〇大倉重作 (1906~1982)

 政治家。静岡県小笠郡千浜村(現静岡県掛川市)生まれ。千浜村村会議員から助役、村長になり、千浜村が隣接する大坂村と合併し、大浜町になると、初代町長に、さらに城東村を合併し、大東町になると、また初代町長になった。町長として、企業誘致や「構造改善事業」などを展開したが、3期目途中に急逝した。

<大倉重作像>

場所:掛川市大東支所(静岡県掛川市三俣620)

竣工:2001年

像高:

作者:松田裕康

撮影時:2025年7月6日

説明:大東支所の正面にあるけっこう大きな胸像である。