銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

熊本県編 その2

〇境米蔵  (1897~1978)

 政治家。熊本県鹿本郡桜井村(現熊本市北郡植木町)生まれ。桜井村村長、熊本県議会議員、初代植木町の町長(3期)を歴任。

 

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<境米蔵像>

場所:田原坂資料館(熊本県北区植木町豊岡858-1)

竣工: 1979年5月

像高:

作者:

撮影時:

説明:境氏は町長として、田原坂の史跡の整備に尽力を注ぎ、慰霊塔や資料館などを建てたことで、この地に像が立ったようだ。

  

〇小材学(こざいまなぶ) (1925~1992)

 政治家。熊本県鹿本郡植木町(現熊本市北区植木町)生まれ。自民党熊本県連会長、熊本県議会議員、県議会議長、九州各県県議会議長会会長、を歴任し、熊本政界のドンと言われた。 

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 <小材学像>

場所:JA鹿本植木支所(熊本県熊本市北区植木町岩野220-2)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:当初は旧植木町役場に像は立っていたらしい。手に持っているのは地球儀ではなくウリのようだ。これはウリミバエという害虫の駆除に成功したため。

 

〇菊池武時 (1292~1333)

 鎌倉時代末期の武将。菊池氏の第12代当主。鎌倉時代末期の九州では新たに設置された鎮西探題の支配に対し、御家人たちの不満が高まっていた。1333年に武時は後醍醐天皇の綸旨を基に挙兵をしたが、探題方の少弐貞経大友貞宗らと戦い討ち死にした。しかしこの後少弐氏、大友氏も倒幕側に変わり、鎮西探題は滅ぼされた。 

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<菊池武時像>

場所:菊池神社熊本県菊池市隈府1257)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:下の広場にある菊池武光像に比べ、かなり小ぶりであるが、像のある菊池神社は、武時、武重、武光を祭神としている。熊本市の三賢堂(熊本市西区島崎5-32-27)の堂内にも武時像(坐像)があります(他の二人は、加藤清正と細川重賢)。ただし、事前に熊本市文化振興課に連絡をしないと堂内は見学できない(私は直接行ったので堂内は見れなかった)。

  

〇松尾敬宇 (1917~1942)

 海軍軍人。熊本県鹿本郡三玉村(現山鹿市)生まれ。太平洋戦争のシドニー湾攻撃で、特殊潜航艇「甲標的」艦長として出撃するも戦死した。その後オーストラリア海軍により艦は引き上げられ、オーストラリア海軍により軍葬が為されたのち、遺骨は日本へと送られた。

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<松尾敬宇像>

場所:菊池神社熊本県菊池市隈府1257)

竣工: 1969年

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:手に持つ刀は、出撃時に父から託された「菊池千人槍を短刀に直したもの」。またこの像は、戦後松尾氏の母がオーストラリアへ葬儀の感謝のために訪れた時に立てたものらしい。

 

菊池武光 (1319?~1373)

 鎌倉末期から南北朝期の武将。菊池氏第15代当主。肥後港益城郡豊田荘(現熊本市南区城南町)生まれ。菊池武時の九男。南北朝時代の九州の南朝方のリーダー格。後醍醐天皇の子、懐良親王を支えて活躍した。1359年の筑後川合戦など、九州を支配下に置くなどしたが、徐々に勢力を減じていった。 

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菊池武光像>

場所:菊池公園(市民広場)(熊本県菊池市隈府1298-1)

竣工: 1898年2月

像高: 4.5m

作者: 中村晋也

撮影時:2018年2月1日

説明:騎馬像としては、東京の皇居前広場楠木正成像とともに大きく、人気の高い一体。武光像は、ほかに筑後川合戦の舞台であった、福岡県の大刀洗町にもある。

 

 

〇高木元右衛門 (1833~1864)

 幕末の武士。肥後国菊池郡深川村(現菊池市)生まれ。熊本藩郷士。諱は直久。武芸(宝蔵院流槍術など)に優れ、1862年京都御所の警備につき脱藩、翌年の八月十八日の政変では、七卿落ちの護衛として長州へ赴く。その後は京都で活動し、池田屋事件では難を逃れたが、禁門の変で戦死した。

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<高木元右衛門像>

場所:わいふ一番館(熊本県菊池市上町1)

竣工: 2010年10月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:池田屋事件のとき、盟友の宮部鼎蔵らは斬られたが、元右衛門は近藤勇と斬りあいながら包囲網を突破し、長州藩邸に逃げ込んだという。

 

〇孝子孫次郎 (?~?)

 江戸時代前半の人。肥後国山鹿生まれ。湯町、上町に住み、貧しい鍛冶屋だったが、温泉好きの80代の母親を背負って毎日入浴させていたことが、肥後藩主細川綱利に伝わり、1666年に褒章を受け、肥後国の鍛冶の総取締を命じたという。(『山鹿温泉誌』) 

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<孝子孫次郎像>

場所:山鹿温泉さくら湯(熊本県山鹿市山鹿1-1)

竣工: 1970年8月

像高:

作者: (本田健次氏の建立とあるが、おそらく出資者)

撮影時:2018年2月2日

説明:石像である。「孝子」とは、父母によく仕える子供のこと。山鹿市北公園近くの「西南戦争山鹿官軍墓地」側に石碑が立っている。市内にはほかにも像があるという(確認はとれていない)。

 

 

〇富田甚平 (1848~1927)

 農業技術者。肥後国菊池郡砦町(現菊池市七城町)生まれ。湿田の乾田化のために地下水の排水法を考案、「富田式暗渠排水法」として確立。郷里の熊本をはじめ、鹿児島・山口・秋田など全国の湿田の土地改良や農業技術の指導に努めた。

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<富田甚平像>

場所:うてな城址公園(熊本県菊池市七城町台)

竣工: 1991年12月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:これは顕彰碑につくレリーフ像である。碑の立つ場所は甚平の墓所であり、「台(うてな)城」の跡地である。また甚平の発明した技術は「日本遺産」の構成文化財だそうだ。

熊本県編 その1

 2021年5月から熊本県編を始めます。2018年の初春に回ったのですが、最終日の人吉近郊から熊本空港に戻る過程の像の写真がなくなっていて、ちょっとショックです。また訪れないといけませんね…

 

〇荒木三蔵  (1906~1978)

 役人、政治家。熊本県阿蘇郡山西村(現西原村)生まれ。山西村の村長から1960年に発足した西原村(山西村と河原村の合併)の初代村長。 

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 <荒木三蔵像>

場所:西原村役場(熊本県阿蘇郡西原村小森3259)

竣工: 1980年9月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:熊本県に降り立ち、最初に撮った銅像西原村は2016年の熊本地震で被害の大きかった地。しかし、西原村役場は奇跡的に被害が少なかったらしい。記憶では村内は、道などまだかなりのダメージがあった気がする。

 

〇吉田定 (1886~1966)

 役人、政治家。熊本県益城郡木山町(現益城町)生まれ。戦前に木山町長、熊本県議会議員を歴任し、戦後合併により益城町が誕生すると町長となり、2期務めた。

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<吉田定像>

場所:益城町役場(熊本県上益城郡益城町大字木山594)

竣工: 1968年12月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日  

説明:益城町は2014年の熊本地震では甚大な被害のあったところ。撮ってきた写真を見ると、背景の町役場の建物も工事用の鉄板が立っている(下の川口卯一像には映っている)。

 

〇川口卯一 (1915~2014)

 政治家。熊本県上益城郡飯野村(現益城町)生まれ。旧飯野村村議会議員から益城町町長を6期務めた。 

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<川口卯一像>

場所: 益城町役場(熊本県上益城郡益城町大字木山594)

竣工: 2004年10月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日  

説明:益城町役場の2体の像は、当初のリストにはなく、Google mapの「熊本県銅像」リストには載っているので、その後の探索で見つけた模様。

 

隈部親永(くまべちかなが) (?~1588)

 戦国期の武将、国人。肥後国山鹿郡永野城主。肥後国北部の国人領主の中心人物。当初は豊後の大友氏に与していたが、同じ国人の赤星氏との対立から、肥前の龍造寺氏と結び、勢力を拡大した。龍造寺氏の勢力が衰えると、薩摩の島津氏の傘下に入った。豊臣秀吉九州征伐をおこなうとその傘下に入り、肥後国は秀吉の家臣の佐々成政が領主となったが、その統治(太閤検地の実施)に反旗を翻した(肥後国一揆)。一揆は最終的に秀吉軍により鎮圧され、親永は筑後柳川城で殺された。 

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隈部親永像>

場所:あんずの丘ふれあい広場(熊本県山鹿市菊鹿町下山田565)

竣工: 2009年11月

像高: 5m(台座を入れると10mで、熊本県内最大級の武士像とされる)

作者: 田畑功

撮影時:2018年2月1日

説明:この場所の近くに親永のいた隈部氏館(永野城)跡がある。2009年にこの地が国指定史跡になることを記念して、この像は立てられた。像の大きさは、熊本市本妙寺にある加藤清正像と同じくらい大きい。戦国期の武将で、中央ではマイナーな人物をこれだけ大きく作った例はあまりないのではないか?

  

〇清浦圭吾 (1850~1942)

 官僚、政治家。肥後国山鹿郡上御宇田村(現熊本県山鹿市鹿本町)生まれ。若き日は豊後国日田の咸宜園(広瀬淡窓の私塾)に学んだ。明治に入り、貴族院議員となり、第2次松方正義内閣で司法大臣(儺2次山縣有朋内閣・第1次桂太郎内閣でも)と5年以上もその地位にあった。1914年に組閣の厳命を受けたが、海軍の反対で頓挫、1922年に枢密院議長なる。翌年第2次山本権兵衛内閣が倒れると、75歳で第23代内閣総理大臣となる。しかし閣僚の人選が基盤の貴族院に偏重したため、第2次護憲運動が起こり、これを収拾できずにわずか5か月で倒閣した。

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<清浦圭吾像>

場所:清浦記念館(山鹿市鹿本町来民1000−2)

竣工:

像高:

作者: 石原昌一

撮影時:2018年2月1日

説明:清浦記念館の前庭に立つ。熊本県での銅像探索の最初の方に回ったので、記念館内に立ち入らなかった。あとで調べると館内にも胸像(松田尚之作)があった。焦らずにきちんと探索しないといけない…。

 

〇和仁三兄弟  (~1587)

 戦国、安土桃山期の武将、国人。肥後国玉名郡和仁の領主。和仁親実、親範、親宗の3人。父は和仁親続。肥後の和仁氏は古代豪族和仁氏の末裔とされ、菊池氏に従っていたが、菊池氏の没落後は豊後の大友氏に従っていた。ある日、父の親続は主君の大友宗麟から異国の娘を下賜され、その娘との間に三男の親宗が生まれたとされる。ハーフの親宗は異国風の容貌から「人鬼」と呼ばれて恐れられ、武勇に優れていたという。 

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<和仁三兄弟像>

場所:田中城址熊本県玉名郡和水町和仁8)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:石像である。写真は左から三男の親宗、親実、親範。この地は、父親続が領した田中城の跡。肥後国一揆では、3兄弟とも隈部親永に同調し、この田中城に立て籠もったが、安国寺恵瓊、小早川秀包らに包囲され、討ち死にしたという。

  

〇川原是信 (1896~1977)  

 祈祷師、僧侶。熊本県の荒尾で祈祷師をしていた1929年に、皇円から「蓮華院を再興せよ」とのお告げを受けて、蓮華院誕生寺を作った。 

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<川原是信像>

場所:蓮華院誕生寺(熊本県玉名市築地2179)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:誕生寺は皇円を本尊とする。皇円は平安末期の天台宗の僧侶(1074?~1169)。肥後国玉名荘(現熊本県玉名市)生まれ。父は豊前守藤原重兼(関白藤原道兼の孫)。幼くして比叡山で修業し、比叡山の功徳院に住んだ。その広範な学識から肥後阿闍梨と呼ばれた。『扶桑略記』を著した。1169年に遠江国桜ヶ池(静岡県御前崎市に現存)に入定したという。 皇円の像と思って訪れたが、川原是信であった。

 

〇村田岩熊 (1859~1877)

 士族。薩摩藩出身。父は村田新八。1872年には西郷菊次郎らとアメリカに留学。1877年の西南戦争では、薩軍四番大隊七番小隊に属して出陣するが、田原坂で戦死した。 

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<村田岩熊像>

場所:田原坂公園(熊本市北区植木町豊岡)

竣工:1990年10月

像高:

作者:

撮影時:2018年2月1日

説明:民謡「田原坂」に謡われる「馬上豊かな美少年」像であるが、そのモデルは村田岩熊とされることから、このように紹介する。近くの資料館の脇には、西南戦争の際に多くの弾痕を受けた建物が保存されている。田原坂の戦いがいかに激戦だったかがわかる。

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銅像情報 その16

福岡市にサザエさんなどの銅像

 

福岡市早良区百道海岸近くの「磯野広場」にサザエさん(体長130㎝)・カツオくん(体長95㎝)・ワカメちゃん(体長80㎝)の銅像が立てられ、4月24日に除幕式がおこなわれた。

この地は、長谷川町子が「サザエさん」の名前の着想を得たとされる地。2020年1月に長谷川町子の生誕100年を記念し、地域の協議会が立てた。

 

 

ブサカワ秋田犬「わさお」の銅像、今秋にお目見え

 

「ブサカワ犬」で有名で、2020年6月に死んだ秋田犬「わさお」の銅像が、500万円を超える寄付金を基に、今秋道の駅わんど敷地内に立てられる。動物の木彫りなどを作成する、はしもとみお氏が作成を担当する。

 

2021年7月 志村けん銅像が、東村山駅へお目見え

 

2020年3月にコロナにより亡くなった志村けん銅像が、いよいよ2021年7月に立てられる。場所は、西武鉄道村山駅東口の「志村けんの木」の脇になる予定。