銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

東京 東洋大学編

井上円了  (1858<安政5>年~1919<大正8>年)

 仏教哲学者、教育者。越後国長岡藩領の来迎寺村(現新潟県長岡市)の慈光寺に生まれる。東京大学文学部哲学科を卒業後、文部省への出仕を断り、著述業を通じて、国家主義の立場から仏教の改革を唱える。また哲学普及を目指して、本郷の麟祥院境内に「哲学館」を創立した。これがのちの東洋大学となる。1888年三宅雪嶺杉浦重剛らと政治結社「政教社」を設立した。1904年には中野区に現在の哲学堂公園の始まりである、「四聖堂」(ソクラテス・カント・孔子・釈迦)を建設。精神修養の公園として、1909~12年にかけて、哲理門・六賢台・三学亭などの施設が整備された。また、「妖怪研究」の創始者としても有名である。

 

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井上円了像>

場所:東洋大学白山キャンパス(文京区白山5-28-20)

竣工: 1994<平成6>年11月

像高:

作者:

撮影時:2016年8月15日

説明:東洋大学では、明治39年に大学正面階段の左側に井上円了の胸像を作り、昭和4年に図書館脇に移設していたが、昭和43年の大学紛争の際に破壊されている。この立像は1994年に造られたが、2002年に現在地に遷された。

 

 

塩川正十郎  (1921<大正10>年~2015<平成27>年)

 大阪府布施村(現東大阪市)生まれ。政治家。自民党衆議院議員を11期務め、運輸大臣・文部大臣・官房長官自治大臣財務大臣などを歴任する。政界引退後の2013年から東洋大学の総長を務めた。「塩爺」と呼ばれた。

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 <塩川正十郎像>

場所: 東洋大学白山キャンパス(文京区白山5-28-20)

竣工: 1997年

像高:

作者: 立体写真像㈱盛岡公彦

撮影時: 2019年4月16日

説明:塩川正十郎像は、東洋大学板倉キャンパスの図書館前にもある。Wikipediaによれば、この像は当初メガネをかけていたが、現在は外されている。白山キャンパスの像は写真の通り、メガネはかけていない。

東京 拓殖大学編

桂太郎  (1843<弘化4>年~1913<大正2>年)

 長州藩士、陸軍軍人、政治家。第11代、13代、15代内閣総理大臣日英同盟締結、日露戦争、日比谷焼打ち事件、韓国併合、条約改正の完成(関税自主権の獲得)などをおこなう。立憲政友会西園寺公望と交互に内閣を組閣した「桂園時代」を作り、首相在位2886日と最も長い(現在の安倍晋三首相は2019年2月で2617日)。第3次内閣において第一次護憲運動が起こり、新政党(のちの立憲同志会)を立ち上げて対抗しようとしたが、失敗しわずか62日で退陣した。これが大正政変である。

 「ニコポン宰相」とあだ名され、拓殖大学の前身、台湾協会学校の創立、独協中高の前身である、独逸学協会学校の2代校長にもなっている。

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(アップにするとすごくまじめな顔で読んでますね)

桂太郎像>

場所:拓殖大学文京キャンパス(文京区小日向3-4-14)

竣工: 1914<大正3>年11月2日

像高:

作者: 武石広三郎

撮影時: 2019年4月16日

説明:銅像の姿は、1911<明治45>年4月に拓殖大学の創立以来の業績に対し、明治天皇が恩賜金一万円を拝受し、これを教職員・学生に奉読している姿とのこと。山口県萩市桂太郎旧宅に立つ像も同じ姿で、2000<平成12>年に拓殖大学の創立100周年を記念して寄贈されたもの。

 

 

新渡戸稲造(にとべいなぞう)  (1862<文久2>年~1933<昭和8>年)

 岩手県陸奥国盛岡市に生まれる。教育者、思想家。国際連盟事務次長を務め、その際に『武士道』を英語で書いた。5000円札の肖像としも知られる。東京女子大学初代学長、東京女子経済専門学校(のち東京文化短大→新渡戸文化短大)の初代校長。拓殖大学では学監を務めた。

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新渡戸稲造像>

場所:拓殖大学文京キャンパスE館(文京区小日向3-4-14)

竣工:2015年4月

像高:

作者:

撮影時: 2019年4月16日

説明:拓大の文京キャンパスE館入って左手にある、「後藤新平新渡戸稲造記念講堂」入り口にいます。

後藤新平像とともに、台湾の許文龍氏の寄贈による。

 

後藤新平  (1857<安政4>年~1929<昭和4>年)

 岩手県水沢(現奥州市)生まれ。医師、官僚、政治家。台湾総督府民政長官、南満州鉄道株式会社初代総裁、逓信大臣(第2次桂内閣)、内務大臣(第2次山本内閣)、外務大臣(寺内内閣)。東京市第7代市長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長。拓大を大学に昇格させるなど、亡くなるまで学長を務めた。岐阜で遊説中に刺された板垣退助を診察している。内務大臣として、関東大震災後の東京復興を計画した。

 

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 <後藤新平像>

場所: 拓殖大学文京キャンパスE館(文京区小日向3-4-14)

竣工: 2015年4月

像高:

作者:

撮影時: 2019年4月16日

説明:拓大の文京キャンパスE館入って左手にある、「後藤新平新渡戸稲造記念講堂」入り口にいます。

新渡戸稲造像とともに、台湾の許文龍氏の寄贈による。

 

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(2体はこんな風に並んでいます)

感謝! 4000アクセスを超えました!

 

 taguttiです。

 このブログを始めて、1年半弱。ブログのアクセス数が4000を超えました。

 遅々とした更新で、かなりスキマな内容ですが、読んでいただいている

 皆さんを想像して、挫けそうな時も頑張っています。

 今後とも、よろしくお願いいたします。<m(__)m>

 

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(やっぱり、お辞儀と言えば「高山彦九郎」でしょう(^^;)