銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

沖縄県編   その10

これでとりあえず沖縄県編は終了となります。

 

〇大城孝蔵  (1881~1935)

 移民事業の監督。沖縄県国頭郡金武町出身。金武尋常小学校時代の教師であった當山久三の勧めで、1904年に沖縄県初のフィリピン移民の監督として、ルソン島に渡る。ルソン島ではバギオへの道路工事に携わり完成させる。その後はマニラ麻の栽培に施行し、移民の生活基盤を築き上げるとともに、ダバオ市の発展に寄与した。

<大城孝蔵像>

場所:上ヌ毛(ウィーヌモー)公園(沖縄県国頭郡金武町金武223-1)

竣工:2004年 10月(元は1938年8月に、また胸像が1938年4月に那覇市若狭の開洋会館前庭に立てられたが金属供出で無くなった)

像高:

作者:

撮影時:2024年1月8日

説明:フィリピンのダバオ市には、「バゴセロ(バゴ・オーシロ)」と地名が残る。また像の脇には、2024年マニラ麻が7本植えられた。調べていると、戦前の立像は山田真山氏の作とわかった。

http://ryubun21.net/?itemid=12694)「琉文21」「大城精徳と『琉球の文化』③」より、戦前の上ヌ毛公園の像の写真があった。

 

〇志喜屋孝信(しきやこうしん) (1884~1955)

 教育者、政治家。沖縄県中頭郡具志川(現沖縄県うるま市)生まれ。師範学校卒業後、熊本県立鹿本中学校に勤務後、沖縄県立第二中学校に赴任、その後校長となる。1936年には私立開南中学校を作るが、太平洋戦争の沖縄戦ですべてが灰燼に帰した。戦後米国軍政府の行政機関であった沖縄諮詢会の委員長になる。ついで沖縄民政府知事に任命された。その後琉球大学の初代学長に迎えられた。

<志喜屋孝信像>

場所:うるま市役所(沖縄県うるま市みどり町1-1-1)

竣工:1982年10月

像高:

作者: 米治一

撮影時:2024年1月8日

説明:

 

〇平永秀  (1886~1961?)

 ※(御影石の台座に銘文が彫られているが、現地でもそれに気がつかなかったし。撮ってきた写真でもほとんど読み取れない…)

<平永秀像>

場所:瑞泉園(伊計神社)(沖縄県うるま市与那城伊計218

竣工:2006年12月

像高:

作者: 四津井工房

撮影時:2024年1月8日

説明:場所は正確には、N高等学校沖縄伊計本校の正門脇である。N高等学校は通信制の学校で、角川ドワンゴが経営をしている。本部校舎は、2012年に廃校となったうるま市立伊計小中学校を利用している。行ったときはスクーリング(おそらく追試)に来ていた生徒が一人、門前で電話をしていた。学校教師から見ると、だらしない感じの子であったが、そういう子を受け入れる学校なのかな?と思った。

 

〇吉浜加那 (1883~?)

 ブラジル移民。沖縄県中頭郡平安名(現沖縄県うるま市)生まれ。1908年初めてブラジルに渡った日本移民の一人。翌年には沖縄人として初めてアルゼンチンに入国し、以降多くの沖縄の人を呼び寄せて地域に貢献した。

<吉浜加那像>

場所:JAおきなわ勝連支店前(沖縄県うるま市勝連平安名2978)

竣工:1972年1月

像高:

作者:玉那覇正吉

撮影時:2024年1月8日

説明:ネット上で調べていると、1972年段階では吉浜氏はまだ健在で、この像は寿像だったようだ。

 

〇桑江朝幸 (1918~1993)

 政治家。沖縄県中頭郡越来村(現沖縄県沖縄市)生まれ。戦前は徴兵による軍人であったが、戦後沖縄に帰ると、政治活動を始め、越来村村議会議員となる。その後軍用地主の団体、市町村土地特別委員連合会の会長となる。その後は沖縄立法府の議員となった。1978年には沖縄市長(3期)となった。

<桑江朝幸像>

場所:桑江朝幸銅像公園(沖縄県沖縄市上地4-20)

竣工: 1998年8月

像高:

作者:四津井工房

撮影時:2024年1月8日

説明:像は故郷の字森根(嘉手納飛行場)の方を向いているそう。像のある公園は、沖縄道の沖縄南ICのそばで、県道85号線沿いの車の通行量が多いところである。ただ周りにはコンビニやファストフードのお店が多くなり、私はコンビニに車を停めて行った。

 

今回の旅では、島嶼部は宮古島に絞ったので、以下の島の像は今後の探訪となる。

(1)石垣島

○嵩本真津・正宜(穀干屋観光:石垣市新川205-3)室内と思われる

具志堅用高(石垣港離島ターミナル:石垣市美崎町1)

大濱信泉大濱信泉記念館:石垣市登野城702)

○岩崎卓爾(石垣地方気象台:石垣市登野城428)

オヤケアカハチ(大石御嶽:石垣市大浜175)

牧志宗得(石垣市浄水場石垣市登野城1820)

徳川家康(新栄公園:石垣市新栄町3-1)石像

(2)竹富島

山中貞則(西表離島振興総合センター:竹富町南風見201-47)

○大升久雄(大原神社:竹富町南風原大原)

イリオモテヤマネコ(仲間橋:竹富町南風見仲および後良ロードパーク:竹富町古見

(3)久米島

仲原善忠久米島町仲里庁舎:久米島町比嘉2870)

○浦島太郎(久米島ウミガメ館:久米島町奥武170)

大田昌秀久米島町複合型防災・地域交流センター:久米島町嘉手苅530)

(4)座間味島

○シロ(阿嘉港:座間味村阿嘉)

○マリリン(座間味港緑地:座間味村座間味)

○松田和三郎(座間味小中学校:座間味村座間味943)

○安里積千代(同上)

(5)南大東島

○玉置半右衛門(ミレニアムパーク:南大東村池之沢)

○宮城仁四郎(ひかり公園:南大東村在所285-2)

★本島内にあるが、無くなっていたり撮れなかったもの

○宮里定三(那覇国際空港JAL展望デッキ)…見当たらなかった

和田アキ子(コザ銀天街)…番組企画で作ったようだが、もはやないようだ

親鸞親鸞聖人像:恩納村真栄田1525付近)※時間が無く撮れず

シドニー・ブレナー(沖縄科学技術大学院大学恩納村谷茶1919-1)※時間が無く撮れず

○青木恵哉(国立療養所沖縄愛楽園)※前述

○宮里長順(宮里空手道場順道館:那覇市安里2-6-13)※館内なので無理

○世禮國男(彩橋小中学校:うるま市与那座平安座8169-1)※リスト化する際に見落としていた

 

となります。

 

 

沖縄県編  その9

〇宮里松次 (1918~?)

 官吏、政治家。沖縄県国頭郡東村生まれ。訓導、兵役を経て、東村助役となり、1962年から4期無投票で村長となる。琉球政府立法院議員ともなる。東村の経済発展のため、パインアップルの生産をすすめる。また「つつじの森」(現つつじエコパーク)を作った。

<宮里松次像>

場所:東村つつじエコパーク沖縄県国頭郡東村平良766-1)

竣工:1997年 12月

像高:

作者:熊谷友児

撮影時:2024年1月8日

説明:つつじエコパークの南側の丘の上(つつじ園の方)に立つ。場所がわからずけっこう彷徨ってしまったが、シーズンではないので、ほとんど人に会わなかった。

 

〇島袋正雄 (1922~2018)

 歌三味線奏者。沖縄県国頭郡東村生まれ。野村流古典音楽を学び、宮平三栄、幸地亀千代師に師事、野村流古典音楽協会会長となった。2000年に人間国宝となる。

<島袋正雄像>

場所:慶佐次公民館(沖縄県国頭郡東村慶佐次19)

竣工:2012年5月

像高:

作者:喜多敏勝(四津井工房)

撮影時:2024年1月8日

説明:慶佐次公民館の駐車場に立つ。前回訪問時と同じように、沖縄本島北部は、時間がゆっくりと過ぎるように感じた。

 

〇新里善助 (1882~1981)

 教諭、官吏、政治家。1917年に金武村村長(3期)となり、交通網の整備、教育行政などに貢献し、その後村長を降りると村議会議員となった。戦後1945年に惣慶(そけい)市長(惣慶市は難民収容所を行政的に運営したもの。沖縄県内に16ヶ所あったそう)、1947年に再度村長(宜野座村)なり、戦後処理に尽力した。

<新里善助像>

場所:宜野座村総合運動公園(沖縄県国頭郡宜野座村宜野座1867)

竣工:1977年12月

像高:

作者:岩野勇三(鋳造は平野進)

撮影時:2024年1月8日

説明:当初この沖縄銅像巡りは、2月初旬を計画していた。その場合プロ野球のキャンプに重なってしまうため、各球団のキャンプ地を確認した。宜野座阪神タイガースのキャンプ地であり、この像のある「宜野座村総合運動公園」は、まさにその中心であるため、少し心配したものである。1月初旬に回ってみると、閑散としており、真っ昼間ながらほとんど人に会わなかった。

 

〇松岡政保 (1897~1989)

 実業家、政治家。沖縄県国頭郡金武町出身。もともとの姓は「宜野座」。アメリカ留学後、沖縄製糖で工場長となる。戦後1964年に沖縄民政府の第4代行政主席となる。その後松岡建設、松岡配電(のち沖縄電力に合併)を創業、1972年には沖縄電力(株)の初代社長となる。

<松岡政保像>

場所:オランダ森緑地公園(沖縄県国頭郡金武町金武5582)

竣工:1971年

像高:

作者:

撮影時:2024年1月8日

説明:この場所は、銅像の銘板によれば、松岡の生誕地である。彼の銅像沖縄電力本店(沖縄県浦添市牧港5-2-1)の敷地内にもあるが、入れないだろう。

 

〇當山久三 (1868~1910)

 社会運動家、政治家。琉球王国金武間切(現沖縄県国頭郡金武町)生まれ。師範学校卒業後、尋常小学校の教諭となるが、本土出身の同僚教員の沖縄人差別に抗議して、職を辞した。その後並里総代となり、地域問題に尽力するが反対派も多く、これも辞して晴耕雨読の生活に入る。その後東京に出て、沖縄の食糧・人口問題の解決は、海外移民事業が必要と気づき、1899年にハワイ移民を成功させた。1909年に沖縄県会議員となった。

<當山久三像>

場所:金武町役場(沖縄県国頭郡金武町金武1)

竣工: 1961年9月(当初像は1931年に作られたが、戦時中の金属供出で撤去)

像高:

作者:

撮影時:2024年1月8日

説明:像の裏には、「當山記念館」が建つが、1935年に建てられた沖縄でも数少ない鉄筋コンクリート製であった。2016年にリニューアルされ、国登録有形文化財に登録されている。今回は閉まっていたので入れなかったが、中には当初の當山像のレプリカがある模様…。

沖縄県編   その8

〇宮城鐡夫 (1877~1934)

 農事改良家。沖縄県国頭郡羽地(現沖縄県名護市)生まれ。札幌農学校卒業後、国頭農学校で教師、校長を務めた後、台南製糖に入社。台湾から大茎種のサトウキビを導入するなど、沖縄糖業の発展に寄与した。

<宮城鐡夫像>

場所:名護市旧羽地支所(沖縄県名護市仲尾次744)

竣工:2000年12月

像高:

作者:”H.Tsukima”のサインあり

撮影時:2024年1月7日

説明:羽地支所は移転し、国道58号線から東側の集落の方だが、像は移転せず、国道沿いに立っている。旧支所の建物も残り駐車スペースも現状ではある。比較的車通りの多い場所なので、この状態でいてほしい。

 

〇伊差川世瑞(いさかわせいずい) (1872~1937)

 歌三味線奏者。沖縄県那覇市久米(現沖縄県那覇市)生まれ。伊佐川村の脇地頭の養子となるが、勉学のために那覇に出る。36歳で野村流の歌三味線を学び、数年で多くの曲をものにし、1924年には野村流音楽協会の初代会長に就任した。

<伊佐川世瑞像>

場所:伊佐川公園(沖縄県名護市伊佐川42-2)

竣工:2019年10月(当初は1969年旧伊佐川村公民館に立つ)

像高:

作者:

撮影時:2024年1月7日

説明:説明版によると、当初は像の中に野村流音楽協会のあゆみ、胸像設立の経緯などを描いた巻物がロウで固めて入っていたそうだが、移設の際には風化して読めなかったらしい。

 

〇平良保一 (1872~1910)

 教育者、経営者、政治家。沖縄県国頭郡渡野喜屋(現沖縄県国頭郡大宜味村)生まれ。沖縄師範学校を卒業後、小学校で教鞭をとり、国頭郡青年会会長として青年を啓蒙、農家の経営力の強化のために国頭銀行を作ると、さらに沖縄共立銀行とする。1909年には県会議員となったが、議員活動中に那覇港沖合で暴風に遭い遭難死した。

<平良保一像>

場所:白浜公民館前(沖縄県国頭郡大宜味村白浜120)

竣工:1991年4月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月7日

説明:レリーフ像である。塩屋湾の静かな入り江の中に立つ。

 

〇宮城仁四郎(みやぎじんしろう)(1902~1997)

 経営者。沖縄県国頭郡大宜味村生まれ。沖縄製糖を経て戦前はジャワ島で製糖などの経営にあたる。戦後は沖縄民政府工務部副部長を経て、大東糖業を設立した。またパイナップルの栽培にも着手、パインを沖縄の基幹産業に発展させた。

<宮城仁四郎像>

場所:やんばるずホテル根路銘前(沖縄県国頭郡大宜味村根路銘233)

竣工:1993年1月

像高:

作者:「赳郎」の署名

撮影時:2024年1月7日

説明:国道58号線から一本入ったやんばるずホテルの前の広場にある。すぐ脇を川が流れているのが目印か?国道からは気が付かない

 

〇親泊朝擢(おやどまりちょうたく) (1875~1966)

 教育者。沖縄県生まれ。第二尚氏浦添朝満の直系という。小学校教員となり、大宜味小学校校長となる。その後県学務課に勤務、、教育雑誌「沖縄教育」の編集発行をした。

<親泊朝擢像>

場所:旧大宜味小学校(沖縄県国頭郡大宜味村大兼久157)

竣工:

像高:

作者:平良泉幸

撮影時:2024年1月7日

説明:陶像である。大宜味小学校は2016年に統合して、もう少し南の海沿いに中学校と併設、移転した。2024年段階では旧小学校の校舎は残り、その脇にこの像は立つ。その関係か、木が茂っていて中に入れなかった。すぐ側には大宜味村役場がある。しかし誰にも逢わなかった。

 

〇平良真順  (1872~1971)

 医師、政治家。沖縄県大宜見村喜如嘉生まれ。1898年に診療所を開設、戦前は県議会議員(5期)、議長(2期)務めた。地域の名士であった。

<平良真順像>

場所:喜如嘉公民館前(沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉458)

竣工:1984年11月

像高:

作者:立体写真(舘岡勇夫)

撮影時:2024年1月7日

説明:銘板によると、息子(7男!)が、13回忌にこの像を作ったという。おそらく旧自宅なのではないか?今は「ぶながや窯」というインテリアショップとなっている。

 

〇大田政作 (1904~1999)

 官僚、政治家。沖縄県国頭郡国頭村生まれ。早稲田大学卒業後、判事となる。戦後は沖縄民政府の副主席から主席となった。保守派として、日本政府との協力を模索するが、沖縄自民党の派閥抗争により、主席を辞任した。

<大田政作像>

場所:辺戸岬(沖縄県国頭郡国頭村辺戸937-9)

竣工:1990年

像高:

作者:田畑功

撮影時:2024年1月7日

説明:辺戸岬園地の展望台の脇に立つ。辺戸岬は沖縄本島の最北端の岬である。