銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

宮崎県編   その13

〇大原一三 (1924~2005)

 政治家。官僚。宮崎県東臼杵郡北方村(現宮崎県延岡市)生まれ。東大から大蔵省に入省、その後衆議院議員7期(無所属⇒新自由クラブ自民党)。農林水産大臣(第1次橋本内閣)。

<大原一三像>

場所:荒平公園(宮崎県延岡市北方町南久保山)

竣工:

像高:

作者:黒木英勝((有)昭和装飾金物(現装研)

撮影時:2022年3月28日

説明:この地は、大原氏が2004年~翌年にかけて約2000本の桜の苗木を寄贈したところ。撮影時、その桜は満開を過ぎていた。

 

素戔嗚尊須佐之男命) 

 略

素戔嗚尊像>

場所:民宿神楽の館(宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸92-3)

竣工:おそらく2003年

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:FRP像。高千穂町の中心から北に外れた「岩戸地区」にあるが、この像はさらに外れた「天岩戸の湯」の手前、「民宿神楽の館」の駐車場のあたりにある。

 

〇天鈿女命(アメノウズメノミコト)

 日本神話の女神。『古事記』では「天宇受賣命」。“岩戸隠れ”の伝説に登場する、芸能の女神であり、日本最古の踊り子。“岩戸隠れ”の伝説とは、天照大神が弟の素戔嗚尊の悪さに怒って天岩戸に隠れてしまい、世の中が暗闇になってしまった。その際に彼女がほとんど裸になってエロテックに踊り、八百万の神が大笑いした。その様子を不審に思った天照大神が、岩戸を少し開けたところ、天手力男命が、岩戸を引き開けた結果、世の中に灯りが戻った、という話。

<天鈿女命像>

場所:天岩戸神社東本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:FRP像か?この像は、高千穂地区で舞われる「天岩戸神楽」の29番「鈿女」を表わしたものである。今回、二つの像しか撮っていないが、天岩戸五社天岩戸神社落立神社鉾神社・二嶽神社・石神神社)には28番手力(石神神社)、31番舞開(落立神社)、18番八鉢(鉾神社)、26番芝引(二嶽神社)の像がある。

 

天照大神アマテラスオオミカミ) 

 日本神話の主神の一人。太陽神であり、女神である。そして天皇家の皇祖神となる。

天照大神像>

場所:天岩戸神社西本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸794)

竣工:おそらく2003年

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:FRP像。なかなか美形の像である。天岩戸神社は、岩戸川をはさんで左右にあり、西本宮のほうが大きい。東本宮は、西から橋を渡り、数分行ったところ。西本宮から河原に降りた対岸に「天の岩戸」がある(東本宮の奥というか)。

 

天手力男神(アマノタヂカラオノミコト)

 日本神話に登場する神。『日本書紀』では、「天手力雄神」と表記される。「天岩戸神話」の際に、岩戸の脇に控え、天照大神が岩戸から顔をのぞかせた瞬間に、戸を押し開け、天照大神を引きずり出したという。ちなみに、この時に押し開けて放り投げてしまった岩戸の扉は、長野県の戸隠神社に落ちたとされる。

天手力男神像>

場所:天岩戸神社西本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸794)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:FRP像か?この像は、高千穂地区で舞われる「天岩戸神楽」の30番「戸取」の様子です。「天岩戸神楽」は、33番からなり、全部を舞うと16時間くらいかかるもの。起源は、天鈿女命の舞を伝えたものだとか。高千穂の村で舞われてきたようだ。

 

瓊瓊杵尊と大鉗(おおくわ)&小鉗(おくわ) 

 『日向国風土記逸文』にある話。天孫降臨の際、高千穂峰は真っ暗で、何も見えなかった。その際、瓊瓊杵尊が地元の豪族、大鉗&小鉗の言うとおりに、稲の穂を千本抜き出して手でもんで籾にし四方に蒔くと、たちまち天が晴れ日も月も輝きだした、言う話。どうも大鉗&小鉗はいわゆる「土蜘蛛」らしい。

瓊瓊杵尊と大鉗&小鉗像>

場所:国見ケ丘展望台(宮崎県西臼杵郡高千穂町押方)

竣工:

像高:

作者:ながさき墓石店(興梠光雪)

撮影時:2022年3月28日

説明:石像である。三人が向いているのは、高千穂の町(高千穂神社)の方。国見ケ丘は、神武天皇の孫、建磐龍命が九州統治の際に立ち寄り、国見をしたという場所。「雲海」の地として有名。

宮崎県編   その12

〇仲田又次郎 (1893~1970)

 政治家。延岡市の初代、9代市長。宮崎県東臼杵郡延岡町(現延岡市)生まれ。延岡町議を経て、1933年に市長に。都市計画の整備に尽力し、戦後再び市長になると、戦災復興に努め、特に橋を8個架けたことから「橋かけ又次郎」と呼ばれた。

<仲田又次郎像>

場所:延岡城址公園(宮崎県延岡市東本小路

竣工:1964年2月

像高:

作者:後藤松生

撮影時:2022年3月28日

説明:ある場所は、延岡城址の旧三の丸。けっこう台座が高い。 延岡城址は、天守跡に鐘撞堂があり、1日6回市民に時刻を告げていることで有名。1878年に旧藩主内藤政擧(ないとうまさたか)の計らいで、稲田家が1996年まで鐘守として、鐘を突き続けたが、現在は市の委嘱を受けた方が突いている。

 

〇間野寅次郎  (?~1938)

 実業家、政治家。延岡町議会議員、議長。精米業や鉄工所、銭湯などを経営し、五ヶ瀬川と大瀬川の合流点を個人的に埋め立て須崎町を作った。

<間野寅次郎像>

場所:船倉街区公園(宮崎県延岡市須崎町

竣工:1959年6月 (当初像は1938年)

像高:

作者:後藤松生

撮影時:2022年3月28日

説明:間野氏の父親(間野重浩)は、高鍋藩士だったらしいが、槙峰鉱山の御用商人となり、その跡を寅次郎が継いだ。五ヶ瀬川と大瀬川の中洲というか、この二つの川の間に旧延岡の町は発達したらしいので(延岡城址はここにある)、市街地になるのだが、公園の手前はなんとなく寂れていた。延岡市自体が、旭化成企業城下町なのだが、駅舎が「エンクロス」という図書館とスタバが入っていたり、後で書くが、野口遵記念館や延岡城・内藤記念博物館、延岡市民体育館が軒並み工事をしていたり、建て替えていたり(その結果、内藤記念博物館の後藤勇吉・内藤充愼院、体育館の磯貝一の像が撮れなかった)頑張っているのだが、駅前商店街も寂れていて、今の日本を象徴しているかな?

 

〇徐福  

<徐福像>

場所:今山八幡宮(宮崎県延岡市高千穂通3792-1)

竣工:2006年11月

像高:

作者:H.KUBOの署名

撮影時:2022年3月28日

説明:BC220年頃秦から不老不死の薬を求めて日本にやってきた徐福は、延岡の渚にあった徐福岩に船をつないで上陸し、蓬莱山は近くの今山だという。像は当初、祇園町銀天街にあったが、2019年に八幡宮に移設したという。境内にその徐福岩がある。

 

弘法大師空海

弘法大師像>

場所:今山大師(宮崎県延岡市山下町2-3998)

竣工:1957年

像高:17㍍

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:この地の大師像は、江戸時代の1839年に延岡を疾病が襲ったとき、この地の信者が高野山まで行き、弘法大師像(今山大師寺)の本尊を勧請した所から始まる。その後1957年に浄罪によって日本一の弘法大師像が作られた。行ったときは写真の通り工事中でした💦

 

〇内藤枚擧(ないとうまさたか) (1852~1927)

 日向国延岡藩の第8代(最後の)藩主。1852年遠江国掛川藩主の6男として江戸藩邸で生まれる。1862年に内藤家を継ぐ。幕末の動乱では佐幕派として活動したが、戊辰戦争では新政府に従った。明治に入り、廃藩置県後は東京にいたが、西南戦争後に延岡に戻り、延岡の発展に寄与した。

<内藤枚擧像>

場所:延岡城址公園(宮崎県延岡市東本小路

竣工:1985年11月(最初の像は1917年の寿像。戦争期に金属供出されたが、1944年にコンクリート像で復元されていた)

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:城址の本丸広場に立つ。午前中逆光となり、.真っ黒である💦。3回も制作され、郷土に愛された人物だったことがわかる。桜祭りをやっていたが、早朝で人はほとんどいなかった。

 

〇甲斐奎太郎 (1874~1954)

 農政家、政治家。宮崎県東臼杵郡南方町(現宮崎県延岡市)生まれ。東臼杵郡会議員から南方村長、県議会議員を歴任、農業、林業、河川・道路整備などに尽力した。特に岩熊井堰の予算から工事、竣工まで尽力し、この地区の耕地を広げた。

<甲斐奎太郎像>

場所:天下橋上流部(宮崎県延岡市天下町)

竣工:2000年3月(当初像はこれ以前に立ったことになる)

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:当初は「天下付し越」横にあったらしいが、市道の改修工事により、現在地に移設され、その際に損傷の激しかった像および台座が新造されたが、その年が2000年。

 

宮崎県編   その11

〇宮崎輝(みやざきかがやき) (1909~1992)

 実業家。旭化成中興の祖と呼ばれた。長崎県南高来郡山田村(現長崎県雲仙市)生まれ。東大卒業後、日本窒素肥料(現チッソ)に入社、旭ベンベルグ絹糸に配属され、延岡工場の労働争議を解決して、1961年に社長になった。

<宮崎輝像>

場所:旭化成延岡展示センター(宮崎県延岡市旭町6-4100)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:野口遵と共に立っているが、車の停めにくいところだったので、像を撮るだけで精一杯で、像の作者、由来などを調べていない。

 

〇野口遵(のぐちしたがう) (1873~1944)

 実業家。日本窒素肥料(現チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを築いた。石川県金沢市生まれ。大学卒業後、宮城県の三居沢で日本初のカーバイド製造事業を始め、その後曽木電気を設立、鹿児島県の大口で曽木水力発電所を開いて、後のチッソ旭化成積水化学信越化学などの基を始める。曽木電気と日本カーバイド商会を合併して、日本窒素肥料を設立した。さらに朝鮮半島へ進出し、「朝鮮半島の事業王」の異名を取った。

<野口遵像>

場所:旭化成延岡展示センター(宮崎県延岡市旭町6-4100)

竣工:1953年1月

像高:

作者:

撮影時:2022年3月28日

説明:延岡市にとって、野口は市を発展させた大恩人である。1923年に日本初のアンモニアの製造工場を延岡市に作り、これが旭化成となっていくとともに、近隣の町村を合併させて、延岡市にすることなどもしたようだ。2022年3月段階では工事中だったが、12月に「野口遵記念館」が完成し、館内にある「野口遵顕彰ギャラリー」入り口には、胸像もある。また旭化成富士支社には胸像がある。

 

〇後藤勇吉 (1896~1928)

 日本黎明期の飛行機のパイロット。宮崎県延岡市生まれ。旧姓延岡中学校(現延岡高校)卒業後、飛行士白戸栄之助の助手となり、航空ショーを手伝うようになる。その後一等操縦士、一等飛行士の免許を取得、日本で初めての旅客輸送、日本一周飛行などを成功させる。1927年彼を含む4人が太平洋横断無着陸飛行計画に任命され、翌年霞ヶ浦から長崎県大村辺の試験飛行中に彼らの乗った飛行機が墜落し、死亡した。

<後藤勇吉像>

場所:妙田緑地公園(宮崎県延岡市東浜砂町56)

竣工:1996年2月

像高:

作者:奥村良弘

撮影時:2022年3月28日

説明:ここ以外に、出身の延岡高校(延岡市古城町3-233)、門川海浜総合公園(延岡市門川町加草5-1)に銅像がある。門川海浜総合公園は残念ながら未撮影である。この地は当初に独自で飛行訓練をした地である。

 

〇小倉處平 (1846~1877)

 官僚、思想家。日向国飫肥(現宮崎県日南市)生まれ。長倉家に生まれたが、嗣子のいない小野氏の婿養子となったため、姓を「小倉」氏に変えた。明治に入り、大学南校(東大の前身の一つ)の少舎長、大阪洋学校の大学権大丞となる。その後欧米に留学するが、明治6年の政変後に帰国すると下野した。西南戦争が起こると、旧飫肥藩でも賛同者多く、小倉も飫肥隊3番隊を率いて、熊本に向かい転戦するが、和田越の戦いで負傷してその地で療養していたが、脱出した西郷軍に追いつけずに可愛岳で自害した。

<小倉處平像>

場所:小倉處平加療の地記念堂(宮崎県延岡市北川町長井3942)

竣工: 2013年12月

像高:

作者:

撮影時:2022年3月27日

説明:この地は、小倉處平の加療の地。飫肥出身の小村寿太郎を世に送り出した偉人であり、体つきから「飫肥西郷」と呼ばれた。像は残された写真を基にした石膏かFRP像である。

 

瓊瓊杵尊 

 略

瓊瓊杵尊像>

場所:瓊瓊杵尊陵墓参考地(延岡市北川町長井)

竣工:2017年10月

像高:

作者:黒木英勝(都市美術工芸)

撮影時:2022年3月27日

説明:FRP像である。この地は瓊瓊杵尊の終焉の地で、「可愛山」である。宮内庁から「可愛山陵」として陵墓参考地となっている。今回は撮れなかったが、ここの奥の「祝子川温泉美人の湯」は、瓊瓊杵尊木花咲耶姫の間に生まれた「火遠理尊(ほおりのみこと)=山幸彦」が産湯を使った地ということで、山幸彦の像が立っている。