銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

佐賀県編 その7

〇川原茂輔  (1859~1929)

 実業家、政治家。肥前国西松浦郡川内村(現佐賀県伊万里市)生まれ。佐賀日日新聞社社長、佐賀県議会議員を経て、衆議院議員(11期)。立憲政友会政友本党(のち復党)に属す。1929年に秀銀議長に選出されるも同年に死去した。

 

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<川原茂輔像>

場所: 伊万里城山公園(伊万里市松島町154)

竣工:

像高: 古賀忠雄

作者:

撮影時:2019年5月31日

説明:伊万里神社の反対側にある、城山の上にある。伊万里保育園と円通寺の間に登り口があるが、クルマでは上がれない(私は、円通寺の駐車場に停めさせてもらった)。割と急な坂を上ること5分、城址に到着する。その一角に像は立っている。

  

〇藤山雷太  (1863~1938)

 実業家、政治家(貴族院議員)。肥前国松浦郡大里村(現伊万里市)の生まれ。芝浦製作所所長、大日本製糖社長、東京商工会議所会頭、三井財閥安田財閥の相談役を歴任し、藤山コンツェルンを創設した。 

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<藤山雷太像>

場所: 紙之原八幡宮伊万里市二里町大里乙1577)

竣工: 1932年9月(この地には1992年7月に立つ)

像高:

作者: 北村西望

撮影時:2019年5月31日

説明:この地は藤山雷太の生誕地。もともとは伊万里市橘公園に立てられたが、1992年にこの地に移された。同氏は、墓所のある多磨霊園東京都府中市)と慶応大学日吉キャンパスの藤山記念館前(こちらはまだ行っていない)に、胸像が立つ。

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多磨霊園のもの)

 

〇前田徳治  (1916~?)

 元南波多農業協同組合組合長。佐賀県伊万里市生まれ。1991年の退任まで60年の長きにわたり、農協に携わったらしい。 

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<前田徳治像>

場所: JA伊万里南波多支所(伊万里市南波多町井手野2437)

竣工: 1992年5月

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時:2019年5月31日

説明:「寿像」なので、1992年段階では生きていたと思われる。

 

 

〇松尾静磨  (1903~1972)

 実業家。佐賀県若木町(現伊万里市)生まれ。第二次大戦後、初代航空庁長官を経て、1951年に日本航空設立ともに招かれて専務、1961年からは社長となった。エドワード・ウォーナー賞(国際民間航空機関の設定した賞)を贈られた。

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<松尾静磨像>

場所: 若木公民館(伊万里市若木町大字川古川古747)

竣工: 1976年3月(2003年12月現地に移設)

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時:2019年5月31日

説明:若木公民館の脇にある小さな公園(松尾静磨先生顕彰碑)の看板の所である。道路わきなので、見落とすことはないだろう。

 

 

〇高取伊好(たかとりこれよし)  (1850~1927)

 実業家。佐賀藩多久領の生まれ。慶應義塾で英学・鉱山学を学び、工部省に採用され、高島炭鉱の開発に携わり、同取締役となった。その後高取炭鉱(のち杵島炭鉱)の開発に成功し、「肥前の炭鉱王」の異名を取った。その富を義捐金、教育基金、産業資金として社会に還元したことでも有名。「西溪」は雅号。 

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<高取伊好像>

場所: 西溪公園(多久市多久町1975-1)

竣工: 2011年5月(原像は1920年に渡辺長男原型、岡崎雪聲鋳造のものだった。戦後胸像に変わってたが、2011年立像が復元された。)

像高:

作者:渡辺長男原型、岡崎雪聲鋳造の復元

撮影時:2019年6月1日

説明:西溪公園は、高取伊好が造営し、公園隣接地には図書館、公民館も建設し、1924年に多久村(現多久市)に寄贈したもの。多久市は昔から石炭で栄えた町だが、現在はすべて閉山している。

 

 

多久茂文  (1670~1711)

 江戸時代の肥前国佐賀藩士。多久鍋島家の4代当主。佐賀藩2代藩主鍋島光茂の四男。のちに多久茂矩の養子となり、多久家を継ぐ。多久聖廟を創建した。

 

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多久茂文像>

場所:多久聖廟多久市多久町1843-3)

竣工:2000年12月

像高:180cm

作者:成富宏

撮影時:2019年6月1日

説明:多久聖廟の入り口に座る。「正智軒雄山君御景」(御厨夏園筆)をモデルに造られた(銅像の右の絵)。原画が中国風なので、一見中国人のような感じがした。奥には彼の創った聖廟が残る(1950年国重要文化財)。また聖廟右手に立つ孔子像(石像)は、1997年に多久氏の友好都市、中国山東省曲阜市が寄贈したもの(像高2.5m)。曲阜市の方向を向いているという。 

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佐賀県編 その6

〇鍋島茂義  (1800~1863)

 江戸時代後期の武士。武雄鍋島氏9代当主。佐賀藩の財政危機を止めようと努力する一方、西洋科学の勉強に励み、西洋式大砲術(高島秋帆に学ぶ)、蒸気機関の研究などをした。名君として有名な鍋島直正佐賀藩10代藩主)の義兄にあたる。

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<鍋島茂義像>

場所: 武雄市武雄町大字武雄5538-1(武雄文化会館庭園<迎田緑地>)

竣工: 1992年3月

像高:

作者: 武藤三男

撮影時:2019年5月31日

説明:御船山の北側に位置する、武雄文化会館の中庭に鎮座する。左手に本(おそらく洋学書)を持ち、指示する姿である。箸町河畔公園(武雄市武雄町大字昭和103)には、「肥前さが維新博」にちなんで作られた像も立つ(下左)。こちらは地球儀を持っている。同様の像が、佐賀市の駅前まちかど広場(佐賀市中央1-5)に立つが、こちらは、鍋島直正、古河穀堂との3体セットである(下右)。

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〇深川六助  (1872~1923)

 実業家、政治家。佐賀県有田町生まれ。貿易業に従事し、有田で陶器市をやることを提案し、有田焼の普及に貢献した。のち町議から県議となる。

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<深川六助像>

場所: 陶山神社(西松浦郡有田町大樽2-5-1)

竣工: 1963年10月

像高:

作者:

撮影時:2019年5月31日

説明:陶山神社の一段高いところにある神殿の脇に立つ。同社は、鳥居の前を列車が通る(JR佐世保線)でも有名。有田焼の産地だが、残念ながら銅像

  

〇百婆仙(ひゃくばせん。韓国語でベクパソン)  (1560~1656)

 韓国慶尚南道金海出身。豊臣秀吉朝鮮侵略で日本に連行され、有田焼操業に関わった朝鮮人陶工、金泰道(日本名:新海宗伝)の妻。有田で多くの陶工から尊敬された重要な指導者だったよう。当初は夫ともに武雄で作陶していたが、夫の死後一族を率いて有田に移り、有田焼の誕生に大きく携わった。

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<百婆仙像>

場所:ギャラリー 百婆仙(西松浦郡有田町岩谷川内2-10-3)

竣工: 2018年4月

像高: 1.8m(台座と基壇含む)

作者: アン・ソクヨン

撮影時:2019年5月31日

説明:陶像である。韓国人陶工が朝鮮時代の手法を考証して製作した。チマチョゴリを着て手には茶碗を持つ。台座にある説明文は報恩寺(有田町稗古場2-8-21)の碑文を写したもの。

 

 

〇納富介次郎(のうとみすけじろう)  (1844~1918)

 佐賀県小城市出身。明治期の画家、デザイナー、教育者。1873年にウィーン万博に参加し、その経験から日本の目指す道を工芸(工業)教育と確信し、金沢区工業学校(現石川県立工業高校)、富山県工業学校(現富山県立高岡工芸高校)、香川県立工業学校(現香川県立高松工芸高校)、佐賀県立工業学校有田分校(現佐賀県有田工業高校)をそれぞれ創立し、校長を務めた。 

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<納富介次郎像>

場所: 有田工業高校西松浦郡有田町桑古場乙2902)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2019年5月31日

説明:敷地の外から撮ったので詳細は不明だが、おそらく陶像。納富介次郎は上記の通り4つの学校を創設しているが、富山県の高岡工芸高校でも銅像を撮ってきている(下の写真。2009年8月25日撮影) 。

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〇森永太一郎  (1865~1937)

 実業家。森永製菓の創始者佐賀県伊万里市生まれ。若い頃苦労をしてアメリカに渡ったが、そこで西洋菓子に目をつけてその作り方を学び、1899年に帰国後、森永西洋菓子製造所を造った。当初マシュマロを製造していたが、その後キャラメルを主力製品とした。キリスト教徒である。

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<森永太一郎像>

場所: JR伊万里駅前(伊万里市新天町554)

竣工: 2019年3月

像高:

作者: 竹中銅器㈱

撮影時:2019年5月31日

説明:「肥前さが維新博」にちなんで作られた。佐賀市の白山名店街入り口付近(佐賀市白山1-2-18)にも、中冨三郎像と並んで同様のものが立っている。彼はかなりの巨漢(身長180cm)だったらしいが、銅像の高さはどうだったか?

 

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〇森永太一郎  (略) 

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<森永太一郎像>

場所: 伊萬里神社(伊万里市立花町84)

竣工: 1957年6月(像の完成は1949年か?)

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時:2019年5月31日

説明:伊萬里神社の裏山(橘ヶ丘というらしい)に立つ。本殿脇の小道の階段を上がる。しかし神社の社務所から神社に向かう途中の崖が、2018年7月の豪雨で崩れたりして、本殿脇の小道も足元がえぐれて危険な感じだった。ちなみに伊萬里神社は境内にある中島神社は、お菓子の神様(田道間守)を祀る。

 また、森永公園(森永製菓伊万里工場跡地:伊万里市伊万里大坪町乙。上伊万里交差点付近)にも、森永太一郎像が立っている。地域の振興のため、乳牛を提供して酪農業をおこなわせ、この工場で買い取って練乳を作っていたが、1994年に工場が閉鎖された。この公園の像は1994年の造立か?伊万里駅前の像と違い、神社の像も公園の像も晩年の顎ひげを蓄えた像である(同じ型から鋳造した)。

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佐賀県編  その5

〇田中鐵三郎  (1883~1974)

 官僚。佐賀県鹿島市生まれ。大蔵省から日本銀行に移り海外で活躍、その後は満洲中央銀行総裁、朝鮮銀行総裁などを歴任した。晩年に生家と600坪の土地を母校の鹿島高校に寄贈した。 

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<田中鐵三郎像>

場所:旭ケ丘公園(鹿島市高津原城大手通り

竣工: 1968年11月

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時:2019年5月31日

説明:この場所は佐賀藩支藩鹿島藩があったところ。19世紀になってからこの場所に城が築かれた。鹿島高校や旭ケ丘公園が城跡。像は鹿島高校に向かう道筋(かつての大手門筋らしい)にある。

 

愛野興一郎  (1928~1998)

 実業家、政治家。佐賀県鹿島市生まれ。父の起こした祐徳自動車社長を経て、自民党から衆議院議員を9期務め、経済企画庁長官も務めた。のち新生党に参加した。 

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愛野興一郎像>

場所:旭ケ丘公園(鹿島市高津原城大手通り

竣工: 2005年12月

像高:

作者: 高岡鋳藝社

撮影時: 2019年5月31日

説明:像は氏の7回忌を記して有志により造られた。田中鐵三郎とは通りの反対側に立つ。 

 

〇鍋島直彬(なべしまなおよし) (1844~1915)

 肥前鹿島藩13代藩主(最後の藩主)。佐賀藩鍋島直正の甥。明治維新後は明治天皇の側近として仕え、1880年には初代の沖縄県令に任命された。後に貴族院議員(4期)を務めた。 

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<鍋島直彬像>

場所: 旭ケ丘公園(鹿島市高津原城大手通り)および鹿島高校(鹿島市高津原462)

竣工: 1969年(1934年竣工だが、戦時中に金属供出)復元

像高:

作者: 雨宮治郎

撮影時: 2019年5月31日

説明:メインの像は、旭ケ丘公園の西側松蔭神社脇に立つ。台座の銘板には「雨宮治郎」のサインが残る。鹿島高校の赤門をくぐって正面のもの(下記)は、松蔭神社よりも一回り小さいか? 

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〇岳の新太郎(たけのしんたろう) (不明。江戸時代後期<文化・文政期?>)

 藤津郡太良町の民謡「岳の新太郎さん」(ザンザ節)の主人公。「岳の新太郎さんの登らす道にゃ、道に水かけ、滑らかせ」という。むかし多良岳にある金泉寺にいた妙権新太郎という若い寺侍がいたが、里の娘たちに評判の「美男子」だったらしい。寺は女人禁制なので、たまに里に下りてきた時、道で転んで山に戻れなくなればいい、との願望からこんな歌ができたそうである。 

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<岳の新太郎像>

場所:道の駅太良(藤津郡太良町伊福3488-2)

竣工: 2010年

像高:

作者: 銅像胸像.com(原画は馬場一臣)

撮影時:2019年5月31日

説明:道の駅の北側入り口付近に立つ。他の歌詞は1番が、「岳の新太郎さんの下らす道にゃ 金の千灯籠ないとん 明れかし」。3番が、「岳の新太郎さんね 高木の熟柿 竿じゃとどかぬ 登りゃえぬ柿の枝」。手に持つ枝は、歌詞に出てくるか?ただし、意味的には、新太郎さんは高嶺の花、という意味で柿が使われているだが…。

 

〇愛野時一郎  (1900~1952)

 佐賀県鹿島村(現鹿島市)生まれ。実業家、政治家。父愛野文次郎の祐徳軌道㈱を発展させ、祐徳自動車を設立。その後衆議院議員(4期)。

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<愛野時一郎像>

場所: 祐徳稲荷神社外苑(鹿島市上古枝乙1855)

竣工: 1968年11月

像高:

作者: 古賀忠雄

撮影時:2019年5月31日

説明:日本三大稲荷の一つ、祐徳稲荷神社の外苑入り口(祐徳博物館の奥)、鹿島明神社脇にある。先に挙げた愛野興一郎は息子。