銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

銅像情報 その7

 

進撃の巨人像(エレン・ミカサ・アルミン)が4月5日に大分県日田市の大山ダムに。

  大山ダム(大分県日田市大山町西大山2008-1)です。日田市は、マンガ『進撃の巨人』の作者、諌山創さんの出身地。

  またJR日田駅前にも、リヴァイ兵長像を作る予定とのこと。

 

②千葉県の我孫子市に「嘉納治五郎」像が計画される

  NHKの「いだてん」でも活躍していた、柔道の父「嘉納治五郎」の別荘が千葉県我孫子市にあったことから、嘉納治五郎銅像を立てるべく、「我孫子の文化を守る会」が中心となって計画していたが、このほど募金が予定額を超え、2020年4月にも、治五郎の別荘跡に銅像が立つらしいです。原型は1936年に朝倉文夫が作ったもの。

   

「井伊直弼と横浜」展

 

 昨日、神奈川県立歴史博物館(馬車道)で開催中の「井伊直弼と横浜」展に行ってきました。

 2月8日~3月22日  一般900円 です。

 

 内容は、戦前の「井伊直弼」像が計画から幾多の艱難を経て、1909年に完成(原型は藤田文蔵)。しかし、関東大震災で台座上で向きを変えてしまい、修理が終わったと思ったら、1943年の金属供出で、台座上から消えてしまった。

戦後、1954年(横浜開港100周年)に合わせて、再建された(原型は慶寺丹長親子)。

 という前半と、井伊直弼の人柄(茶道を極めた話とか)、戦後の横浜の発展の中で、掃部山公園井伊直弼像はシンボルの一つだったこと

 


が紹介されています。

 写真は撮れないのですが、戦前の像のミニ版が、井伊家の菩提寺の東京豪徳寺にあり、それが展示されていたことと、戦後の像の顔の部分のレプリカ(というのか?)が展示されていました。

 銅像通なら、見てもいいと思います。

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(自分が撮ったのは2005年なんだね…)

富山県編 その16

源義仲
  略

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源義仲像>
場所:JR石動駅南口(富山県小矢部市石動町11)
竣工: 1983年5月
像高:
作者: ㈱竹中銅器
撮影時: 2018年12月3日
説明:かつては賑やかな駅の北口にあったのだが、現在は「あいのかぜとやま鉄道」になり、整備された南口に立つ(下に北口時代の写真も貼付)。埴生護国八幡宮にある像に比べかなり小さい。

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大谷竹次郎(1895~1911)
 実業家。富山県礪波郡正得村(現小矢部市)生まれ。17歳の時兄を頼って上京し、相撲界に入門し、力士引退後に兄の大谷米太郎と共に大谷重工業の発展に寄与した。昭和電極(現SECカーボン)や大谷製鐵などの事業に成功した。

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大谷竹次郎像>
場所:水落大谷記念公園(富山県小矢部市水落104)
竣工: 1961年
像高:
作者: 米治一(鋳造は堺幸山)
撮影時: 2009年8月26日(写真は天気の良かった2009年像を添付)
説明:この地はかつて、大谷兄弟が寄贈した大谷会館があり、その後「小矢部ふるさと博物館」があった。近くの大谷兄弟の生家跡を「大谷博物館」としたため、施設は解体され公園となった。像は兄の米太郎と並んで立っている。2009年にも訪れていたが、その時はまだ施設が残っていた。ちなみに全く同姓同名の「大谷竹次郎」がいるが、この人は、松竹の創業者(双子の兄白井松次郎とともに)。こちら(松竹)が昭和初期に浅草公園六区で劇場や映画館などを開業させたが、昭和50年代に衰退してしまった。その後にTOC(浅草ROX)が進出したが、こちらは富山の大谷米太郎であり、その弟がこの竹次郎である。また彼は自分のコレクションを寄贈して、それが西宮市立大谷美術館となっている。

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〇大谷勇 (1920~2012)
 実業家。大谷竹次郎の養子。兵庫県生まれ。18歳で大谷重工業に入社し、その働きぶりから養子として迎えられた。竹次郎の死後、養父の遺志をついで、小矢部市に多額の寄付をし、米太郎、竹次郎とともに小矢部市の名誉市民となった。

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<大谷勇像>
場所:水落大谷記念公園(富山県小矢部市水落104)
竣工: 2016年9月
像高:
作者: 南部祥雲
撮影時: 2018年12月3日
説明:同地が「水落大谷記念公園」になった際にこの像は立てられた。

 

源義仲  
 略

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源義仲像>
場所:埴生護国八幡宮富山県小矢部市埴生2992)
竣工: 1984年5月
像高: 3m(台座を含めると約8m)
作者: ㈱竹中銅器
撮影時: 2009年8月26日
説明:この像は、治承・寿永の乱(いわゆる源平の争乱)の倶利伽羅峠の戦いから800年の記念事業として竣工された。騎馬像として日本最大級のもの。

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〇留田操 ()

 不明

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<留田操像>
場所:倶利迦羅不動寺(石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 209年8月26日
説明:住所的には石川県に属するが、倶利伽羅峠富山県扱いで行きたい。2009年の夏に倶利伽羅峠を訪れた際、不動寺の駐車場からの入り口付近で見つけたもの。

 

〇金山穆韶(かなやまぼくしょう) (1876~1958)
 明治~昭和期の僧侶。仏教学者、高野山金剛峰寺座主、真言宗管長。富山県新川郡大山町(現富山市)生まれ。密教を極め、密教学の権威となった。

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<金山穆韶像>
場所: 倶利迦羅不動寺(石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:この地はもともと812年に開かれた長楽寺だった(倶利迦羅不動明王像は718年に安置されたという)。倶利伽羅峠の戦いや戦国期の戦いで衰退したが、江戸初期に加賀前田家が復興したが、江戸末期の火事で焼失、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。しかし1949年に金山穆韶の尽力で復興され、不動寺となった。

 

〇火牛 

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<火牛像>
場所:倶利伽羅峠猿ヶ馬場古戦場跡付近(富山県小矢部市埴生)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:おそらくFRP像なのではないかと思われる。倶利伽羅峠の戦いは、1183年に源義仲軍と平維盛軍の合戦。兵力に劣った義仲は山岳戦に持ち込み、ゲリラ戦で完勝したと言われる。『源平盛衰記』によれば、その際に、義仲軍は牛の角に松明をつけて平家軍に突入させ、混乱した兵健軍は深い谷へと突き落とされていったとされるもの。『平家物語』にその記述はなく、元は古代中国、田単の「火牛の計」であるので、実際にはなかったとされる。また峠の下の石川県側の「未知の駅倶利伽羅峠源平の郷」にも1体ある。

なお、写真は撮れていないが、倶利伽羅峠の石川県側の駐車場(石川県河北郡倶利伽羅ヌ)には高木勝己像(高岡市の人で、倶利伽羅峠に八重桜を植え続けた人)の像がある。

 

〇吉田實(1910~1982)

政治家。富山県射水郡大島村生まれ(現射水市)。旧大島村村長などを経て、1956年に戦後の公選制で3人目の富山県知事になった。1969年に衆議院議員、1974年からは参議院議員となった。

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<吉田實像>

場所:射水市大島分庁舎(富山県射水市小島703)

竣工:1986年11月

像高:

作者:

撮影時:20018年12月3日

説明:当初は太閤山団地(射水市太閤山)のはずれに立てられたが、現在は上記の場所に移築されている。

とりあえず、富山県編は終了となる。やはり、銅像の街高岡を持つ富山県は、県域は小さいのだが、銅像数はかなりのものであった。