銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

鹿児島県編  その5

〇石塚彦一  (1894~1956)

 政治家。旧国分市長(初代)。鹿児島県姶良郡国分村(現国分市)生まれ。28歳で国分村村長、国分町町長を経て、

<石塚彦一像>

場所:霧島市役所前広場(鹿児島県霧島市国分中央3-40)

竣工:1964年5月

像高:

作者:法元六郎

撮影時:2020年3月20日

説明:公園の市役所から遠い方、アパホテルの向かい側に立つ。

 

〇林徳治 (1886~1960)

 役人。消防士。「消防の父」と呼ばれた。

<林徳治像>

場所:霧島市消防本部中央消防署(鹿児島県霧島市国分中央3-41-5)

竣工:1965年11月

像高:

作者: 中村晋也

撮影時:2020年3月20日

説明:鹿児島で有名な彫刻家、中村晋也氏の作である。無骨な感じがよく出ている。

 

〇窪田二郎 (1871~1937)

 教育者。鹿児島県姶良郡西襲山村(現鹿児島県霧島市)生まれ。古賀家に生まれるが、東襲山村の窪田家に養子に入り、1906年この地に精華学校を作る。この学校は地元の牧元喜右衛門のつくった青藍義塾の旧校舎を借用したもので、それまで小学校の校長であった窪田が、退職して私学として作ったものである。

<窪田二郎像>

場所:霧島市立国分中央高校(鹿児島県霧島市国分中央1-10-1)

竣工: 1967年11月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月20日

説明:国分中央高校は、精華学校から1925年に現在地に移り、国分商業学校、国分実業高校を経て、1993年に国分中央高校となった。像は、正門を入って正面右側の植栽の中に立つ。脇には氏を顕彰する石碑が立つ。

 

〇溝口宏二  (1936~?)

 政治家。鹿児島県議会議員、県議会議長。鹿児島県加治木町生まれ。

<溝口宏二像>

場所:姶良市文化会館加音ホール(鹿児島県姶良市加治木町木田5348-185)

竣工:2019年2月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月20日

説明:旧加治木町の名誉市民。鹿児島県知事選に立ち、優勢が言われる中で落選してしまったようだ。

 

〇小浜氏興 (1843~1912)

 軍人、教育者。鹿児島県生まれ。明治政府の陸軍に出仕するも、西郷隆盛の下野に同調し、鹿児島に戻る。西郷のつくった私学校の加治木分校を作る。西南戦争に従軍し敗戦後、加治木に隠遁する。その後鹿児島県役人として姶良郡長や司獄官などを務める。晩年郷友会(鹿児島県の教育・産業振興を目途とする組織)の会長となり、郷友会解散時に財産を姶良郡に寄付し、その資金で姶良郡徒弟学校(現加治木工業高校)ができた。

<小浜氏興像>

場所:県立加治木工業高校(鹿児島県姶良市加治木町新富町131)

竣工:1970年11月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月20日

説明:学校の正門を入ってすぐのロータリー部分に像は立つ。像の竣工当初(学校の創立60周年記念)は、正門正面にあり、2000年(創立100周年時)に現在地に移された。

 

卑弥呼 

 略

卑弥呼像>

場所:卑弥呼神社(鹿児島県霧島市隼人町内2530)

竣工:1980年 6月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月20日

説明:卑弥呼神社は、鹿児島神宮大隅国一之宮)の近くにある。付近は、高千穂宮の旧地とされる。卑弥呼の宮が国分・隼人地区にあったという由来に基づき建立された。周りに立つ説明文を総合すると、卑弥呼神社は、卑弥呼像が立てられた後の1982年に僧遠されたようだ。奥には、「石體神社(しゃくたいじんじゃ)」があり、豊玉姫命が、鵜草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)を安産で生んだことから、安産の神とされる。この像は、以前紹介した松下兼知氏が中心となって立てたようである。

 

西郷隆盛 

 略(のちに詳細)

西郷隆盛像>

場所:西郷公園(鹿児島県霧島市溝辺町麓856-1)

竣工:1988年5月(除幕は8月)

像高:10.5m

作者:古賀忠雄

撮影時:2020年3月20日

説明:この像は、「現代を見詰める西郷隆盛」のタイトルで1976年に作られたが、依頼者の死でそのまま高岡市の倉庫に眠ったままだった。これを作者の子息の古賀晟氏が、鹿児島での建立を切望し、溝辺町商工青年連がこれに協力してこの地にたてられた経緯がある。西郷公園は鹿児島空港の真ん前にあり、西郷隆盛の資料を展示した施設と土産物屋などが併設されている。

日当山温泉には、かわいい西郷像も立つ。この地に西郷はよく来て、釣りを楽しんだそうだ(日当山温泉西郷どん村入り口<道路の反対側>:鹿児島県霧島市隼人町内1487-1)。

 

〇侏儒どん (1583~1634)

 武将。本名徳田大兵衛。島津家の御鷹師から日当山地域の地頭職を務めた。身長が3尺(約1m)しかなかったが、風流奇抜な頓智で大名の敬愛を受けたという。最後は都城の邸宅で餅をのどに詰まらせて亡くなったという。

<侏儒どん像>

場所:日当山温泉公園(鹿児島県霧島市隼人町東郷169)

竣工:1989年1月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月20日

説明:石像である。天降川の河川敷の日当山温泉公園を場所に示したが、正式には公園に面した土手の道の反対側にある。車の場合、石像の裏に公民館の駐車場がある。

鹿児島県編  その4

〇水迫邦男 (?~)

 実業家。㈱財宝を起こした(現会長)。

<水迫邦男像>

場所:㈱財宝薩摩明治村(鹿児島県垂水市浜平城内629)

竣工:

像高:

作者:熊谷友児

撮影時:2020年3月20日

説明:㈱財宝は、ミネラルウォーター、清涼飲料水、酒類の製造販売の会社。氏はこの会社の創設者。「財宝薩摩明治村」は、社の垂水工場の側に作られた宿泊施設で、像はそこの展望台に立っている。写真のように背景に桜島が入る絶景の地である。

 

林芙美子 (1903~1951)

作家。山口県下関市(本人説)生まれ。さまざまな職業を経験したのち、『放浪記』がベストセラーとなり、作家となった。戦争中は従軍報道などを、戦後は新聞小説で成功を収めた。

林芙美子像>

場所:古里公園林芙美子文学碑(鹿児島県鹿児島市古里町1078)

竣工:1990年3月

像高:

作者:楠元香代子

撮影時:2020年3月20日

説明:2体あり、桜島の南側の古里町にある。座っている像(桜島に住んだ幼少の頃)が一段下に、立っている像(本を片手に立つ姿)が、文学碑(「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」と刻まれたもの)の脇に立つ。芙美子の複雑な生い立ちで、実父は福岡県の門司生まれであるが、私生児だったため母方の叔父の戸籍に入り(そのため出生地は鹿児島県鹿児島市となる)、11歳ごろには一時この地(母親の実家)にいたらしい。



長渕剛 (1956~)

 歌手、シンガーソングライター、俳優。鹿児島県日置郡伊集院町(現鹿児島県日置市)生まれ。大学入学頃から歌い始め、『巡恋歌』で本格的に活動を始める。『順子』でトップシンガー入りを果たし、『とんぼ』などのドラマに主演し、カリスマ的な人気を博すようになった。

長渕剛像>

場所:赤水展望広場(鹿児島県鹿児島市桜島赤水3629-3)

竣工:2006年3月

像高:(約50t)

作者:大成浩

撮影時:2020年3月20日

説明:「叫びの肖像」の作品名。ここは長渕剛が、2004年8月に桜島でオールナイトコンサートを開催した跡地で、この像はその記念に桜島の溶岩で作ったモニュメントである。

 

〇松下兼知 (1905~1989)

 医師。福山病院初代院長、社会福祉法人たちばな会初代理事長。鹿児島県姶良郡福山町(現鹿児島県霧島市)生まれ。長崎医大の精神科助教授時代の1945年8月に原爆に遭い、その後故郷に病院を開設した。一方で幼少期から絵画への造詣が深く、美術作品を集め、また自らも作品を描いたものを、1983年「松下美術館」として開設した。

<松下兼知像>

場所:松下美術館(鹿児島県霧島市福山町福山771)

竣工:1990年6月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月20日

説明:美術館の入り口に立つ。美術館は、福山病院やグループホームなどある医療法人施設群の、真ん中奥の方にある。

 

〇谷口義一 (~2019)

 政治家。国分市議会議員(5期)、国分市長(6期)を務め、地域を発展させた。

<谷口義一像>

場所:霧島市役所前広場(鹿児島県霧島市国分中央3-40)

竣工:2004年7月

像高:

作者:喜多敏勝(四津井工房)

撮影時:2020年3月20日

説明:霧島市役所前の公園(駐車場?)に立つ2体の胸像の内の1体。市役所の方を向いて立つ方の像である(写真ではもう1体が右奥に写っている)。国分市は2005年に、溝辺町、横川町、牧園町、霧島町、隼人町福山町と合併して霧島市となった。

鹿児島県編  その3

 

山中貞則 (1921~2004)

 政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員(17期)。沖縄開発庁長官、防衛庁長官通産大臣自民党政調会長などを歴任した。税制のスペシャリストとして君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。豪快な人柄でエピソードが尽きず「山中伝説」が多く残る。

山中貞則像>

場所:山中貞則顕彰館(鹿児島県曽於市末吉町深川5921-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2021年3月30日

説明:山中貞則の自宅、事務所が顕彰館となっている。非常に丁寧な展示ながら、この日は忙しかったので、玄関先で胸像を一体撮っただけで後にしてしまったが、1Fの「信の間」にもう一体あったことを見落としていた(今、写真を見ると奥に見えているのにね)。また、曽於市中央家畜市場(鹿児島県曽於市大隅町月野1984-1)に大きな立像がある(下記:1960年2月竣工。立体写真像㈱製作)。

 

〇弥五郎どん 

 主に南九州地方(宮崎県と鹿児島県)に伝わる伝説の巨人(大人伝説)。「大人弥五郎(おおひとやごろう)」「弥五郎様」とも呼ばれる。ダイダラボッチのような大男で、山に腰掛け、海の水で顔を洗うほどの大きさだったという。村人を助けたり、時には悪戯をしたりなどして、村人を困らせつつ、おおむね友好的な関係であったとされる。弥五郎のモデルや伝説の起源は明らかではないが、奈良時代までこの地にいて、朝廷から討伐された「隼人族」のリーダーとの説が最も広まっている。宮崎県都城市や日南市、鹿児島県曽於市では「弥五郎まつり」がおこなわれている。

<弥五郎どん像>

場所:大隅道の駅弥五郎どんの里(鹿児島県曽於市大隅町岩川6137-8)

竣工: 1996年3月

像高:15m

作者: (竹中製作所)

撮影時:2020年3月 20日

説明:道の駅のシンボル的な存在。遠くからも大変目立つ。施設内の「健康ふれあい館」内にも小ぶりな像が立つ(下記)。

 

 

〇迫田定則 (1915~1985)

 農政家、政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。農協に就職し、旧末吉町農協組合長理事。この間県議会議員などを歴任した。

<迫田定則像>

場所:そお鹿児島農協末吉支店(鹿児島県曽於市末吉町本町1-6-1)

竣工: 1986年10月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 20日

説明:次の内村静像と並んで立っている。

 

〇内村静 (1905~1973)

 農政家、政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村(現鹿児島県曽於市)生まれ。農協に就職し、戦後旧末吉町農協組合長となる。その間町議会議員などを歴任した。

<内村静像>

場所:そお鹿児島農協末吉支店(鹿児島県曽於市末吉町本町1-6-1)

竣工:1986年10月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 20日

説明:上の迫田定則像と並んで立っている。

 

川路利良(かわじとしよし) (1834~1879)

 警察官僚、薩摩藩士。薩摩国日置郡鹿児島近在比志島村(現鹿児島県鹿児島市)生まれ。藩内の武士としての身分は低かったが、禁門の変の際に、長州藩のリーダーの一人、来島又兵衛を狙撃し倒す、という戦功を挙げ、戊辰戦争鳥羽・伏見の戦いでも活躍した。明治維新後は、警察制度の確立に尽力し、警視庁創設に伴い初代大警視(現警視総監のこと)に就任した。西南戦争では政府側に立ち、陸軍少将も兼務して戦績を挙げた。

川路利良像>

場所:民部塚(鹿児島県霧島市横川町中ノ5645-1)※近くの「特養横川緑

   風園」住所

竣工:1990年 5月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月 21日  

説明:人里離れた「民部塚」の地であるが、ここは西南戦争で川治の率いた「別働第三旅団」が活躍した地であり、戦国時代に島津義弘に攻められ、この地で亡くなった北原民部之助が、川治の祖であるので、その縁と言う意味もあるようだ。民部塚の場所は、県道55号線(栗野加治木線)を栗野方面へ向かい、「横川物産館」のところで右へ曲がり、上記住所で表した特養を左手にみて進むと、九州縦貫自動車道を渡るのだが、その手間の道路左側に立つ。なお、川治像は、鹿児島県警本部前(鹿児島市鴨池新町10-1:1999年)があり(今回は写真は撮れず)、また東京の警視庁警察学校内には北村西望作の立像がある(Wikipediaによる)。

 

 

坂本龍馬とお龍

 略

坂本龍馬とお龍像>

場所:塩浸温泉(しおびたしおんせん)龍馬公園(鹿児島県霧島市牧園町窪田3606)

竣工:1989年11月

像高:

作者: 楠元香代子

撮影時:2020年3月21日

説明:坂本龍馬の説明は高知県編で、坂本お龍の説明は神奈川県編でしているので略させてもらいます。この地は、龍馬が寺田屋で襲われケガをした療養のために、西郷隆盛の勧めでお龍と鹿児島を訪れた時(日本ではじめての新婚旅行とされる)、個々の塩浸温泉で傷を癒したとされることから作られた。鹿児島空港から国道223号線を霧島温泉郷に上がっていく入り口付近にあたり、20年ほど前に訪れたときは、日帰り温泉施設があったと思ったが、その後一時福祉施設となり、2010年に「塩浸温泉龍馬公園」となった。入浴施設が新設され、龍馬の資料館や足湯も作られた。

下に2003年に訪れた時の写真も付けておきましょう。この旅行は同僚たちとの慰安旅行でした。そう言えば、写真を撮りたいとわざわざ寄ってもらったのでした…。