銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

2018-01-01から1年間の記事一覧

銅像あるある その18

№18.銅像探し(4) 最近は、銅像ハンティングに出かける前に徹底的に調べまくる。 ①「日本の銅像探偵団」のホームページやそれ以外の銅像関連サイトを見る ②東京にある各県のアンテナショップの観光案内所で市町村のパンフ蒐集 ③ネットで銅像の写真を探し…

秋田県編 その12

〇小田野直武 (1750<寛延2>年~1780<安永9>年)江戸時代の画家。秋田藩士。角館生まれ。平賀源内から洋画を学び、「秋田蘭画」と呼ばれる一派を作った。源内の推薦で『解体新書』の挿絵を担当した。 <小田野直武像>場所: 青柳家(秋田県仙北市角館町…

秋田県編 その11

〇歌舞伎(勧進帳の像) <歌舞伎(勧進帳)像>場所:明治百年通り(秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2=康楽館住所)※康楽館よりやや南竣工:像高:作者:撮影時: 2012年8月26日説明:小坂町には、幕末から始まる銀、金を掘る小坂鉱山があった。その…

秋田県編 その10

〇日蓮 <日蓮像>場所: 蓮荘寺(秋田県大館市字大館137)竣工:像高:作者:撮影時: 2012年8月25日説明:この寺は、元常陸国(茨城県)水戸太田南沢にあった。佐竹氏の秋田転封により,1615年にこの地に移転。本堂前にいる。 〇空海 <空海像>場所: 遍…

秋田県編 その9

〇ハチ公 1923<大正12>年~1935<昭和10>年 秋田県北秋田郡二井田村(現大館市)生まれの秋田犬。誕生の翌年、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎にもらわれ、東京へ行った。しかしその翌年、飼い主の上野が職場で急逝した。毎日のように渋谷駅まで一緒…

秋田県編 その8

〇和田正明 (?~?) 八郎潟の埋め立てを推進した、八郎潟新農村建設事業団理事長。どうももともとは農林水産省の役人だったようだ。 <和田正明像>場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)竣工:像高:作者:撮影時: 2012…

銅像あるある その17

№17 銅像のある場所(1) 前も書いたように、銅像は学校に立っていることが多い。しかし入りにくい。2001年に起こった附属池田小学校事件からのことだ。学校の就業日は校門が閉まっていて入れないことが多い。開いていても職員が校門付近にたむろしている時…

秋田県編 その7

〇佐藤吉郎 (?~?) ? <佐藤吉郎像>場所:竣工:像高:作者:撮影時: 2012年8月25日説明:6年たつと記憶が定かではなく、このころの記録は適当なところがあります。この後は銅像のリストを住所、施設名を載せて作っているのですが、このころはまだそ…

銅像あるある その16

№16 銅像探し(3) 銅像探しで一番充実感があるのが、調べたときには見つけられなかった銅像を見つけたときである。他の銅像の探索で車を走らせていて道端に未知の銅像が見えたときは、すぐさま車を止めて(止められないときは近くでUターンして戻って)、い…

秋田県編 その6

〇菊池祐寛 (1884<明治17>年~1977<昭和52>年) 僧侶。社会福祉事業家。浄土真宗大谷派。大正の初めから秋田市専念寺住職。養護老人ホームの運営、民生委員児童委員を長く務めた。 <菊池祐寛像> 場所:秋田市旭南1-5-6(秋田聖徳会養護老人ホーム)…

秋田県編 その5

〇西施(BC501~470年ごろ?) 中国の古代女性。紀元前5世紀、春秋時代末期の生まれという。中国古代4大美女の一人(他は、王昭君・貂蝉・楊貴妃)。越王勾践が呉王夫差に献上した美女の中の一人で、その策略に嵌まり、夫差は彼女に夢中となり、呉国は弱体化…

銅像あるある その15

〇銅像の写真が撮れない(4) 十数年前の大阪の小学校襲撃事件から、学校内に部外者が入るのが難しくなった。特に女子大や女子高はガードが堅い。共学の大学は警備員がいても知らんぷりをして入っていって銅像を撮るが、校門が閉まっている時は諦めることが…

秋田県編 その4

〇白瀬矗(しらせ のぶ) (1861<文久元>年~1946<昭和21>年) 陸軍の軍人。南極探検家。出羽国(山形県)由利郡金浦村(現にかほ市)生まれ。陸軍入隊後千島探検、1910年から南極探検に出発、1912年に南極大陸に上陸した。この探検に際し、多額の借金を…

秋田県編 その3

〇齋藤武治 (生没年不詳) 横手駅前地区の地主か町長だろうか?駅前地区の市街地づくりに尽力し、5年の歳月を経て「正平寺たんぼ」と言われた駅前を市街地化したらしい。 <齋藤武治像> 場所:横手駅前(横手市寿町10) 竣工: 1988(昭和63)年10月 像高…

銅像あるある その14

〇銅像の写真が撮れない(3) 古くからある銅像に多いのだが、台座からしてとても大きくて立派なものがある。おそらく御影石などお高いものを使ったのだろう。まあ、こちらはそこまで評価することは少ないので(そのうち検証しようと思うが…)あまり関係な…

秋田県編 その2

伊藤直純 1861<万延元>年~1933<昭和8>年 政治家。号は耕餘。仙北郡金沢中野村(現横手市)生まれ。秋田県会議員、金沢村長、衆議院議員を歴任.。産業組合法の成立や奥羽本線の開通、後三年駅の名付け親。後三年合戦(1083~87)に関する史跡保存をした…

秋田県編 その1

物部長穂 (1888<明治21>年~1941<昭和16>年) 土木学者。秋田県協和郡(現大仙市)生まれ。土木耐震学の第一人者。河川工学、ダム工学に特に優れ、日本の河川開発に当たり、彼の「河川統制計画」により多目的ダムが多く作られることとなった。)水理学…

銅像あるある その13

№13 銅像の管理がされていない 銅像は、その完成の際には除幕式なんかやっちゃって、子供たちが集められ、エライ人が呼ばれたりしてにぎにぎしく為されるんだけど、いつの間にか忘れ去られます。地域にとって有名な人(いわゆる偉人)だと、毎年煤払いとかや…

高知県編 その35

長々と続きました、高知県編もこれで最後です。 写真を撮ったのですが、到着が1月の6時で、すでに真っ暗で写真にならなかった 林譲治、林有造(宿毛市)は、またのチャンスに行きたいと思います。 高知空港の吉田茂は取り損ねました(^^ゞ。中岡慎太郎記念館…

銅像あるある その12

№12 銅像の写真が撮れない(2) 銅像は屋外にいることが多いが、酸性雨の関係か、屋内に移転されることも多い。屋外にいるときは撮影がフリーのことが多いのだが、屋内に入ったとたんに「撮影禁止」となるケースが出てくる。東京文京区の森鴎外記念館は、建…

高知県編 その34

〇楠瀬喜多(くすのせきた) (1836<天保7>年~1920<大正9>年) 婦人運動家。通称「民権ばあさん」。結婚をしたが、旦那と早くに死別、子供がいなかったために、彼女が戸主となった。しかし1878年の高知県区会議員選挙で、戸主として納税しているにも関…

高知県編 その33

〇志磨村治(しまむら・おさむ) 高知県議会議員で、1969<昭和44>年に県議会の副議長をしているようだ。赤岡町選出の議員だったか? <志磨村治> 場所: 高知県香美市赤岡町325-1(香美市赤岡庁舎支所) 竣工: 作者: 像高: 撮影時:2012年1月9日 説…

高知県編 その32

〇実川八百五郎 (1866<慶応2>年~1962<昭和37>年) 香美郡香宗村(現野市町)の農家の生まれ。6歳の時、野市村興行中の実川琴三郎の舞台で初舞台。12歳で土佐の名優と言われた嵐寛丸に弟子入りし、主に土佐歌舞伎・共正会で興業、土佐歌舞伎最後の役者…

銅像本コーナー(2)

以前、お伝えしたこのコーナーですが、今度はちょっとハード系の本を紹介しましょう。 (1)『銅像受難の近代』(吉川弘文館:平瀬礼太) 著者は、美術史家。姫路市立美術館学芸員。明治時代からの銅像の造られてきた歴史を、そして戦中・戦後に造られ(主…

銅像あるある その11

№11 銅像の定義 銅像にハマっている仲間に聞いても、銅像に対する定義は微妙に違っている。まず青銅製(ブロンズ)でなくてもよい。これは、石像(石膏像を含む)や最近だとFRP(強化プラスチック)像や木像、乾漆像など多種な素材があるので、「銅像」と銘…

高知県編 その31

〇峯健二 (1886<明治19>年~1966<昭和41>年) 高知の実業家。県農会に入り、戦後高知県園芸農協連専務となり、高知の園芸の基礎確立につとめた。のち㈱高知青果社長となった。 <峯健二> 場所: 高知市吸江210(兼山神社) 竣工: 1962<昭和37>年2月 作…

銅像あるある その10

№10 銅像で”町おこし”⁈ 銅像は十分に観光資源だと私は考えていますが、多くの町ではあまり考えていないようです。が、銅像で“町おこし”をしているところもあります。一番有名なのは鳥取県境港市でしょうか。「水木しげる」を使って、駅前から「水木しげる記…

銅像あるある その9

№.9 銅像の写真が撮れない(1) 2001年の大阪の小学校襲撃事件から、学校内に部外者が入るのが難しくなった。自分は学校関係者なのでよくわかる。特に(というか、元々だが)女子大や女子高はガードが堅い。共学の大学は警備員がいても知らんぷりをして入っ…

高知県編 その30

〇石元国広 高知県の農政家?1960(昭和35)年に土佐市高岡農協の再建に尽力し、組合長となった。 <石元国広> 場所: JA土佐市高岡支所園芸集出荷場(高知県土佐市高岡町乙3519-1) 竣工:1974(昭和49)年2月 作者: 像高: 撮影時:2012年1月8日 説明…

銅像あるある その8

№8 銅像は動く⁉(1) 青銅製の結構重そうな銅像たち。しかし、彼らは動きます。と言っても怪談話でなく、公園整備のために工事であったり、会社がつぶれたり、新たに何かが造られたりして邪魔になったり、さまざまな諸事情で、銅像の本来あったところから…